「【ふしぎ老女】と【プリティ地雷弾】」 |
もう、全然流行らないが、いっとき、タレントで、くりくりの瞳で、 チンプンカンプンな受け答えをする女の子が、【ふしぎ少女】と呼ばれていた。 そして、私の身近にも、【ふしぎ】な【女の子】がいる。 夫の母親、その人は、【ふしぎ老女】である。 戦争中は、親が満州で事業をしていて、現地の人を何人も召使に使っていた 「お嬢様」だったらしい。 敗戦で命からがら日本に引き上げてきた苦労人だが、その体験が彼女を 「悲劇のヒロイン」にしてしまった。 生まれつきのタレ目だが、長い歳月を経て、更にタレて、タレてタレて、もう、 目が縦になっちゃうんじゃないかと思われるほどタレて潰れたチャウチャウ顔である。 ふしぎ老女の心の中は、【私って、いつまでも「17歳の少女」のまま】である。 自分は、常に悲劇のヒロインである。 それだけならまだ笑って済ませられるけれど、周りの人間を、「ヒロインをいじめる悪役」と みなすのには、困った。 自分の思ったとおりにならないと、きまって彼女は、正座の尻を横に落として、 横座りになり、しくしくしくしく声もなく泣く。 あれ、と気づくと、始終横座りでしくしくしているので、周りはいつも慰めたり、 謝ったり、もう、とにかく気を使う。 そして、泣く原因は、たいてい、突き詰めると、「誰も私を可愛がってくれない」というものだった。 私は、その気持ちは、痛いほどわかるのだ。 私だって、子供の頃から同じような気持ちを抱いて生きている。 でも、いちいち泣かない。 どうしても我慢できなくなったら、ひとりでこっそり泣いている。 しかし、彼女は、なにひとつはっきりと主張しないかわりに、 いちいち、人目に付くように「泣いて見せる」のだ。 周りの人が、彼女を必死でなだめ、彼女のご機嫌を伺って、 ようやっと彼女の要求を聞き出し、みんなで必死にその願いを叶えてやろうと奔走する。 「何か、要求があれば、口で言いなよ!」 と、私のようなガサツ者は、思ってしまうのだが、彼女にしてみれば、 「人にお願いすることは、卑しいことや」という認識がある。 あくまでブライドだけは、満州時代のまま、【お嬢】なのだ。 だから、自分の要求を先回りして察したり、動いたりしてくれない「周りのひとたち」に、 腹が立ち、その腹立ちに気づいてくれない「周りのひとたち」に、泣いて訴えるわけだ。 数時間ごとに、しくしくされる家族は、たまったものではなく、 「今度はなんや!」 と思いつつも、そんな言い方をしたら、また一層しくしくが長引くため、ぐっとこらえて、 「どしたん?」 と、いちいち背中を抱いて、聞き取りをしないといけない。 ふしぎだ。 ふしぎすぎる。 歳をとっても、それを続けることが許される環境が、ふしぎなのだ。 一方、彼女の夫は、これまたふしぎなおじさまなのだ。 彼女が「雪崩を起こしたような顔」であるのと相反して、彼は、70を目前にして、 お目々パッチリで、小顔、髪を染めれば、今すぐジャニ事務にでも入れそうな可愛い顔をしている。 そして、性格は、【地雷】である。 いつも、にこにこにこにこ、可愛い顔でことば少なく微笑んでいるが、突然、何かが癇に障り、 「キ――――――――――ッ!」 と、なり、物を投げたり蹴ったり、ひっくり返したりして、オモテへ出て行ってしまう。 まさに【プリティ地雷弾】である。 初めての女の子が生まれた時、妻の実家から「お雛様買うて」と渡された大金で、 変な気を効かせ、大量の「リカちゃん人形」を買って来てしまう、脅威の人だ。 そして、頼んでおいたお雛様でなく、リカちゃん数十体を渡された、 当時の【ふしぎ少女】は、もちろん、横座りでしくしくである。 私が、なぜこんな昔話を知っているかと言うと、彼女が、「思い出ししくしく」をするからで、 【プリティ地雷弾】が、いかに自分に対して可愛がってくれないか、を、 繰り返し、繰り返し、しくしくされながら聞き取っているからに他ならない。 この夫婦、二人ともクソ真面目だから、「離婚」なんて、教科書外のことなどできるわけもなく、 かと言って、お互い歩み寄ることもせず、結局長い長い「家庭内別居」を続けている。 我が家に子供が生まれて、ふたりをうちに招待した時も、【ふしぎ老女】は飛行機で、 【プリティ地雷弾】は新幹線で来た。 同じ家を出て、同じ場所を訪ねるときも、二人とも、自分の使いたい交通手段を一歩も譲らない。 いつもそんな調子だ。 「真面目」とか、「一途」とか、「清純」とか、「馬鹿正直」とか、って、不幸だなあ、と、 彼らを見ていると、つくづく思う。 夫婦のうち、どちらかが、そんな「柔軟性のない人」だったとしても、 もうひとりが「いい加減でやわらかい人」だったら、こんな悲劇は起こらないはずだ。 私も、自分に流れる血によって随分苦しんできているが、こう見てみると、 夫も、相当な業を背負っている。 夫の血の中に、「柔軟性」が皆無なら、もうひとりの私が「柔軟剤」にならないと、 真夏の炎天下に長時間干しつづけたバリバリのタオルみたいな痛い家族になってしまう。 【ふしぎ老女】と【プリティ地雷弾】を掛け合わせた、チャウチャウ顔の【ふしぎ地雷弾】な男。 それがなんと、わが夫なのだ。 はい、教訓! さあ、私は、まずすべてを一旦、あきらめましょう。 そして、幸福のため、【柔らかい人】になりましょう。 ふしぎもいいけど、わかりやすいことって、とっても大事。 愛があっても、相手に通じなきゃ、ないも同然。 簡単明瞭、生理整頓、愉快痛快で生きたいものだ。 私は、淋しくても、もう、夫に、親に、子供に、社会に、横座りしてしくしくは、しないようにしよう。 「淋しいんですけど」と言おう。 淋しくないように、元気になることをやってみよう。 もう、いい加減、前に進もう。 |
2002.03.13 作 あかじそ |