「 一時停止状態 」


 自分のやりたいこと、好きなことを、
結婚しても、子育て中でも、
時間や気分を上手にやりくりして、
家庭生活と並行して進められる人は、
幸せだと思う。

 私を含めてだが、ほとんどの人が、
自分のしたいことを、
結婚や子育てで一時中断せざるを得なくなり、
中には、再開しようととすることも
あきらめてしまう人も大勢いるだろう。

 あきらめるために、
「私のしたいことは、
温かい家庭を築くことや子供たちを育て上げること、
それ自体なのだ」と、
思いこもうとしている人も多いと思う。

 それはそれで、幸せなことだし、
それでいいのだと思う。

 しかし、あきらめているはずなのに、
自分の中の奥の奥で、
毎日、ジリジリとイラついていることもある。

 そのジリジリを常に意識していた人や、
途中で気付いた人は、
子育てが一段落して、自分の時間や予算ができたら、
再開するのだと思うが、
タチが悪いのは、
それを再開することに尻込みしている状態が長く続いたまま、
イライラと生き続けることだ。

 自分が自分であるために、
どうしても今の生活が手かせ足かせになる場合、
みんなどうするのだろう?

 スパッ、と自分の生き方を転換し、気持ちを切り替えて、
今の、このシチュエーションの中での幸せを追求するのか?

 それとも、わけのわからない、形の無いモヤのようなもののために、
今の生活をすべて捨てるのか?

 おそらく、ほとんどの人が、
日常生活のひとつひとつの瑣末な雑事の隙間隙間で、
自分のことをちょっとづつ、ちょっとづつ、差し込んで、
「気分転換」と称して何とかやり過ごしているのだろうが、
そういう器用なことができない私は、
ずっとずっと、20年以上も一時停止状態のまま、
息を止めて生きている気がする。

 家族は、一番大事だ。
 自分の命よりも。

 子供は、命がけで育てているし、
そのことは、私の誇りでもある。

 しかし、それとは、また別の次元で、
私の生き霊がうつろな目で宙に浮いているのが見える。

 生活への不満とか、そういうものではなく、
一時停止になったままのストーリーが気になって、
気持ちが悪くて仕方ないのだ。

 できれば、映画は、最初から最後まで、
何にも邪魔されずに一気に観たい。

 それができずに、
一番いいところで一時停止されている状態では、
幸せなはずのシチュエーションが充分に楽しめない。

 というか、集中できないのだ。
 そのストーリーに。

 一個、映画を見ている途中に、
他の映画を観はじめてしまったので、
何だか、あっちもこっちも、気になって、
どっちにも集中できないのだ。

 並行して観られる人ならいい。
 並行して混合して、おもしろさ倍増のストーリーなら、
なおいい。

 しかし、自分らしさを発揮するために、
今と真反対のシチュエーションに身を置くことが必要な場合は、
結構つらい。

 下痢をしているのにトイレが無い状態。
 子供が生まれかかっているのに、
まだ力んじゃダメ、と言われている状態。

 それが、10年20年続いている状態。

 そういう心境であるにかかわらず、
何食わぬ顔で「お母さん」をしている女性が、なんと多いことか。

 ほのぼのした家庭のママの胸の奥に、
今にも破裂寸前の風船が、すごい勢いで膨らみ続けているのだ。

 欲求不満ではなく、
今の生活のへの不満でもなく、
心の隙間とかでもなく、
怒りとか、あせりとかでもなく、

自分が自分であろうとする本能が、
止まらない勢いで、膨らみ続けている。


 どうすんの?!
 これ!

 どうなるの?!
 これ!

 世の夫たち、知らないだろ、
あんたのカーチャン、こうなってるの。



  (了)


(しその草いきれ)2013.2.5.あかじそ作