「 ファミリー合評会 」

 私は、大学で文芸科専攻だったので、
ゼミでは、学生の書いた作品をお互いに批評し合う
「合評会」というのをやっていた。

 自分では、完璧だと思っていても、
人が見れば穴ぼこだらけだったりするので、
仲間同士で
「この表現、わかりづらいよ」
とか、
「ここは、こういう言い方じゃない方がテーマが生きるんじゃない?」
とか、
「ここの、この部分、よく書けてる!」
とか、
「単純にこの作品好き!」
とか、
「こりゃダメだね、書き直しだろ?」
とか言い合うのだ。

 ゼミの仲間の中には、
「せっかくいい気持ちで書いてるんだから、こんな文句のつけあい嫌だよ。
放っておいてもらいたいよ」
と言う人もいたが、
私は、この合評会が好きだった。

 間違いや独りよがりの文章をそのままにして、
「いいの書いたな〜、おれ」
と言っているだけじゃ、ただの自己満足の自慰行為で、
そんなの「作品」とは呼べない。

 私は、こっぴどくけなされようが、
せっかくのアイディアを否定されようが、
「自分の伝えたいことが表現できる技術」を身につけたかった。

 自分の感じた驚き、喜び、哀しみ、一瞬のドラマを、
みんなに聞いてもらいたい。

 この心の中に映った超面白映像を、
相手の心の中に投影するためには、
画をいったん言葉に変換し、
変換されたことすら気付かぬほど巧みに
相手の心に画として映す。
 それができなければ、
ただの押しつけの、不快な心の排泄行為になってしまう。

 わーわー衝動的に叫ぶのではなく、
聞き手の目に耳に、心地よく伝えたい。

 そのためには、もっと自分の未熟なところを指摘してもらわなきゃ。
 へたくそなところを、今すぐ直さなくちゃ。

 面白いことを思いついたら、
わかりやすくみんなに話して、
腹を抱えて一緒に大笑いしたいじゃないか。

 そのためには、ちゃんと伝える技術が必要なのだ。

 その技術を獲得するためには、
安い感受性やちっぽけなプライドは邪魔なだけなんだ。


 大人になって気がついたのだが、
この「合評会」というものは、
社会で生きていく上で必要な
コミュニケーション能力を身につける訓練に似ている。


 子供が学校に行くようになり、
自分という「未熟な現象」をみんなにさらして、
「そういうところ、良くないよ」
と指摘されたり、
「こういうところ、いいところだね」
とか、いろいろ言われて、
「放っておいてよ!」
「傷つけないで!」
とか思いながらも、
人の中で生きていくすべを身につけ、
集団の中で生きていけるようになる。

 その中で、
「俺は俺だ。文句言うなよ。勝手にさせろ」
という姿勢でいると、
結果、社会の中で、そういう位置に置かれていく。

 それが孤独な人生になるか、
最先端を切り開く天才になるかは、
その人次第。

 とにかく、何にせよ、人間の社会で生きる上では、
ある程度のコミュニケーション能力を鍛えねばならない。


 我が家では、私がおしゃべりであるからなのか、
何に対しても、ああだこうだ、と感想をまくしたてるので、
子供たちも、次第に
「それは、こうじゃないの?」
「いやいや、こういうことだと思うよ!」
と、自分の解釈や考察を言い合うようになっていった。

 家族でテレビドラマを見ていても、
「このセリフは、言っちゃいけないよね」
「相手の立場が無くなるよな」
「いや、逆に言ってやった方がタメになるんじゃないの?」
「そりゃそうだけど、傷つくでしょ、あれは」
「言い方ってもんがあるよな」
などと、一個のセリフに、みんなしてわあわあわあわあ言い合うので、
ドラマが聞こえなくなって、筋が分からなくなることがよくある。

 誰かが義理チョコを貰ってくれば、
「それは、クラスの全員に配られたヤツなの?」
「女子クラスだから、完全にお情けだろ」
「何でもいいからちょっと食わせろ」
「誰か本命チョコもらうヤツァいねえのか?!」
「でも、手作りチョコって怖くない?」
「何でもいいから食わせろ!」
・・・・・・と、ひとつの事に最低30個くらいのコメントが行き交うのだ。

 家族の人数が多めだからかもしれないが、
大したことのない議題でも、
しょーも無い内容でも、
とにかく、わけも無く盛り上がること必至なのだった。

 うちの子供たちは、みんな、
猛烈な人見知りであるのにもかかわらず、
ちゃんと心許せるいい友だちを持てている、ということは、
生まれた時からずっと、知らず知らずのうちに、
自分の感想を言い、人の意見を聞き、
それに対しての考察を付け加えたりする訓練をしているからなのかもしれない。

 ニュースを見ていても、みんなあれこれ意見するし、
お笑い番組だと、みんなで大笑いした後に、
必ずそのモノマネをするヤツが現れ、
それを似てるとか似てねえ、とか、
そうじゃねえ、こうだ、とか、
しばらく大騒ぎしている。

 おそらく、学校で友だちと話しているような内容を、
家でもみんな話している。

 友だちには言えないような恥ずかしい感想も、本音も、
家族だから思いきり言い合える。

 言い合った挙げ句、つかみ合いの喧嘩だってする。

 だから、面白いのだ。


 子供たちよ!
 みんな、偉くならなくてもいい。 
 立派な人にならなくてもいいよ。

 母は、願う。

 周りの人と、よくしゃべり、よく聞き、笑い、
心交わりながら生きていきなさい。

 一方的に話すのではなく、
一方的に聞くのでもなく、
しゃべり合いな。

 人は、一人で生まれ、一人で死んでいくものだけど、
まあ、ガヤガヤしゃべっている間は、
何だかそんな淋しさ忘れてるもんね!


  (追記)

 うちの家族がハマって、よく話に出るドラマは、
「11人もいる!」と「泣くな、はらちゃん」。

 毎日のように誰かが何かを語り、
誰かが突っ込み、
そして、みんなで笑っている。



 (了)

(子だくさん)2013.2.19.あかじそ作