話の駄菓子屋 「何が何だかわからなくなる」
先月の末から、仕事が凄まじくハードになり、
時々、「あれ?」となる。
車を運転していて、急に、
「あれ? どこ行くんだっけ? 何しに外に出たの?」
となる。
仕事をしていて、
5分くらい、意識が飛ぶ。
その間、無意識のうちに、
しっかりいつも通り仕事をしているようなのだ。
ボケてきたのか?
疲れ過ぎているんじゃないか?
「ここはどこ? 私は誰?」とまでは、いかないが、
突然、今まで見ていた景色がまるきり違うものに感じ、
「ん? 何だ、これ?」となる。
私は、もともと目が悪く、
おまけに最近、恐ろしく老眼が進んできているので、
視野が狭くなってきているような気がする。
目がよく見えないがゆえ、
また、非常に主観的な性格のため、
配達の仕事中でも、
車や歩行者、信号や表札やポストなど、
自分に必要な情報のみを集中して脳に送っているらしく、
ふとした瞬間、急に、
【仕事中のプロ意識】や【社会人としての意識】【大人としての意識】などが
フッ、と抜けて、
本当に、一個の生き物としてのフラットな意識になったとき、
今まで見ていた景色がガラリと変わり、
「どこ、ここ?」
と、なるのだ。
表札やポストしか見えなかった家の、
屋根の色や形が見える。
庭先に咲いている花のつぼみが見える。
ゴミ集積場の、ネットの色や、ちょっとしたほつれが見える。
公園のベンチに座る若いお母さんの表情が見える。
空が見える。
猫が見える。
子供の笑い声が聞こえる。
おや? これは・・・・・・
景色が変わったのではなく、
視野が変わったのか?
視野が変わった、ということは、
意識が変わったのか?
同じ場所に居ても、
【配達員として】【社会人として】【大人として】、
ここに居る場合、
それに必要な情報を選んで取り入れているから、
空も猫もゴミネットの色など見ない。
見ないから、脳には、無いこととして認識されていた。
しかし、疲れで集中力が途切れたせいなのか、
【配達員】【社会人】【大人】という意識が一瞬オフになり、
今いる場所の、いつもと違う情報が、
脳にどっと押し寄せてきたのだ。
仕事中のプロ意識が一瞬でも飛ぶのは、大問題だが、
それにしても、こう考えると、
理性的に生きる、ということは、人の意識を固定化して、
物の見え方をも変えてしまい、
無意識に情報を絞り込んで、
半ば、目が見えない状態になって生きている、
ということなんじゃないか、と思えてきた。
私が時々、急に、
「何やってんだ、あたしゃ」
「ここ、こんなだった?」
という状態になるのは、
自分の選択したこの生き方が、
たくさんある中のひとつでしかない、
と、突如自覚し、
「こうじゃない自分もいるんだぞ」
と、選択されなかった選択肢に生きる自分自身から
揺さぶられているんじゃないか?
う〜ん、それとも、やっぱり、単なるボケか?
なんか、もう、わからん!
寝よう!
疲れている!
これだけは、間違いない!
(了)
(話の駄菓子屋)2013.3.26.あかじそ作