「 奨学金で通わせる 」



 子供が生まれてすぐ、
それまでの貯金をすべてかき集めて、
郵便局の学資保険に、一括払いで入った。

 ところが、家を買う時、頭金がどうしても足りず、
やむを得ず、この学資保険を崩して支払った。

 この時、私は、
「子供たち全員が大学に行くお金など、我々夫婦には、用意できない」
「無理して払ったところで、老後は、一文無しだ」
と思った。

 そして、いろいろ調べたところ、
日本学生支援機構というところがあって、
経済的に厳しい学生に学費を貸してくれ、
卒業後、学生自身に返済をさせる、
というものがあることを知った。

 「これだ!」

 と、思った。

 と、いうのは、私が高校卒業後、大学に進学した時、
父の会社の進学ローンを使ったのだが、
結局、父の給料から自動引き落としで返済され、
私は、一銭も返済をしなかった。

 本来なら、親に「ありがとう!」と感謝すべきところだが、
当時の私は、親が子供の学費を支払うのは当然の義務だと思っていた。

 義務教育の延長のような気持ちで大学に通っていたし、
大講堂での講義は、寝ようと思って一番後ろに座っていた。

 親に数百万円を支払ってもらっているのに、感謝もせず、
「自分が大学に行かなかった分、子供には高等教育を受けてほしい」
という親の願いも無視。

 したいことをし、したくないことはせず、
親に生意気なことばかり言って、
大学の勉強もあまりがんばらなかった。

 ところが、結婚した後に、
どうしても心理学と教育学を勉強したくなり、
大学の通信教育科に入学し、学費も自分で支払ったので、
物凄く一生懸命に勉強したのだ。

 スクーリングで講義を受ける時は、
一講義三千円相当、ということで、
一番前の席に陣取って、必死にノートを取って勉強した。

 90分で3000円。
 ということは、10分で333円強。

 居眠りなんてしていられない。

 自分が必死で稼いだ金で、この授業を買っているんだ、
と思うと、教授のことばを一言も聞き逃すまいとするし、
教授の都合で休講なんてことがあると、
「ふざけるな、金返せ! 講義を聞かせろ!」
と、激昂したものだ。

 親に学費を払ってもらっている時は、
休講は、「さぼれる、やった!」と思って喜んでいて、
教育を受ける機会を1時間分失ったことに気付かなかった。

 そうだ。

 だから、子供に真剣に勉強をさせたかったら、
子供自身に学費を支払わせた方がいいんだ。

 大学は、無料の義務教育でも、
趣味のカルチャーセンターでもなく、
大金を支払って、高等教育を買うところなんだ、と、
しっかり自覚してもらった方がいい。

 だから、その大金を自分で払ってもでも学びたい、
という者だけが、大学に行けばいい。

 遊び半分や、大学全入時代だからとりあえず進学、とかいう者は、
日本の大学のレベルを下げるだけだし、
親の苦労も願いも踏みにじるので、
進学は、やめた方がいい。

 大学受験が難しくても、進級が簡単な日本の大学は、
勉強しない「馬鹿の大卒」を作るだけだ。

 外国のように、入学は簡単だが、
毎日何時間も必死に勉強しないと進級できないようにして、
卒業できた者こそが、はじめて「大卒だ」と言えるようにした方がいい。

 そんなわけで、我が家は、子供たちにその旨を説明し、
それでも進学したいのなら、奨学金を申請しろ、と言った。


 2年前、長男が高校3年の時、
高校で希望者全員が奨学金の候補者選考の申請をし、
貧乏子だくさんの我が家は、するっと通過したが、
実際、長男の進学した大学は、厚生労働省が母体なので、
奨学金が受けられなかった。

 日本学生支援機構の奨学金は、
文部科学省の大学、短大、専修学校のみが対象だったのだ。

 そこで、慌てて学校指定のとある金融機関に進学ローンを申し込むと、
夫の年収では、金は貸せない、と断られた。

 おまけに、最寄りのとある金融機関の職員からの電話で、夫は、
「お宅の子供さんがどんなにいい成績を取っても、
奥さんが生協の加入者でも、どんな申し込み方をしても、
あなたの収入では、決して融資しないので」
と、えらい失礼な言葉を掛けられた。

 うちは、貧乏子だくさんだが、乞食ではないのだ。

 侮辱的な事を言われて本当に悔しかったので、
テメエなんかに金など借りるものか、と思い、
貯金をかき集めて、自力で長男を大学に進学させた。

 幸い、この大学は、
産業界で即戦力になる人間を養成する機関で、
ある意味、国が税金を使って「使えるエンジニア」を育成する学校なので、
国立大学並に学費が安い。

 それでも、私立高校ぐらいの学費は掛かるので、
我が家には、非常に痛い。

 すると、長男は、
「お父さんお母さんから奨学金を借りたと思って、
卒業したら、ちゃんと月々返済するからね」
と言ってくれた。

 今は、学校の寮に住み、
バイトをしながら建築設計の勉強をして、
月3万円という微々たる仕送りで頑張ってくれている。


 貧乏も、してみるものだ。
 子供が、親孝行に育ってくれる。

 私の大学時代とは、比べ物にならない。

 ましてや、夫など、大学をさぼってばかりで、
卒業に7年も掛かっている親不孝者だ。
 メガトン級ののろまなので、
自動車教習所も期限切れで追い出され、
もう一回入り直して、やっと免許が取れた。

 そのお金も、全部親が出したが、
本人全然親に感謝していない。

 こんな親たちから、よくもこんな孝行息子が生まれたものだ、
と、心底感動する。


 先日、次男が高校を卒業し、
東京のデザイン専門学校に通い始めたが、
やはり、高校在学当時に奨学金の申し込みをして、
審査を通った。

 親が貧しくても、
その子供が教育の機会を失わないようにしてくれるのが、
日本学生支援機構の奨学金だ。
 
 そうなのだ。

 今、親に金が無いから、教育ローンを申し込むのに、
「金が無いヤツには、貸さねえ」という
矛盾だらけの金融機関とは、えらい違いだ。

 ココロザシが違う。

 次男が入学後、進学先でIDやパスワードを受け取り、
先日、自宅のパソコンで申し込みの申請をして、
無事、手続きを終えた。

 初回の振り込みは、5月の中旬だという。

 ありがたい。
 今、景気が悪くて就職できず、
奨学金を踏み倒す人が多いらしいが、
学生を信じ、学業のチャンスをくれた人に、
恩をアダで返すべきではない、と思う。

 返せない人たち、
いや、何が何でも返さなければいけないのに返さない人たちは、
親に大学の学費を支払ってもらって感謝していない人と同等だ。

 自分のことを信じて、大金を貸してくれたことに感謝すべきだ。

 服や新曲のダウンロードやゲームのアプリを買うお金を後回しにして、
まず、返済に充てるべきだ。

 そうでなくては、このシステムが維持できなくなってしまうではないか。


 と、いうわけで、
私は、次男自身に、一連の手続きをさせた。
 ことあるごとに、
「学費は、自分で払っているんだ、
後で返すためにバイト代を貯めておけ」
と、口うるさく言っている。

 三男は、勉強が嫌いなので、
工業高校を卒業したら、大工になると言っている。

 四男と長女は、次男三男よりも勉強ができるし、
就きたい職業もあるので、
高校卒業後は、進学するだろう。

 私は、口出ししないで、自分で決めさせようと思う。

 自分で選び、自分で払う。
 自分で自分の人生の責任を負う。

 人生は、選択の連続だ。
 選択の仕方で、その先に何千何万種類もの人生がある。


 選べ!
 岐路に立つたびに。

 負え!
 選んだことの責任を。

 そして、生きろ!
 自分にしかできない人生を!


 うちは、18歳成人制。
 子供たちが小さいころから、そう言ってきた。

 18歳までは、親の庇護のもと、責任をもって育てるが、
18歳になったら、自分で生きようとしろ、と。

 助走期間は、助けてやるが、
基本的には、父ちゃん母ちゃんは、
お前たちの滑走路であっても、母艦では無い、と。

 帰還する場所は、自力で作れ。

 父ちゃん母ちゃんが、やがて海の藻屑と消えようと、
帰る場所に困らない大人になるんだよ、と。


 そして、また、
誰かの滑走路になるのだ、子供たちよ。



 (了)


(子だくさん)2013.4.16.あかじそ作