「   平らかに 真ん中に  」


 最近、疲れ果てているのは、
ハードな仕事のせいばかりではないぞ、
と、ふと思った。

 神経が疲弊しまくって、
精神的にまいっているんじゃないか、と。

 もともと、自分は、こんなに神経質ではなかったのだが、
20年間以上の孤独感な子育て生活で、
精神的疲労が蓄積しているのかもしれない。

 夫は、家族とコミュニケーションをとることを放棄しているし、
三男の中学生時代3年間は、
モンスターペアレントにとことん嫌がらせをされて、
すっかり人間不信になってしまった。

 誰にも相談せず、ひとりで自分を責めながら暮らしていたので、
いつも心の底で、「私なんて、ダメだ」と思っていた。

 仕事を頑張って、生活費を稼いでいることと、
子供たちのために動いていることで、
何とか自分のプライドを保ってきた。

 しかし、もう、以前のように、お気楽に、
リラックスして日常を送ることができなくなってしまっている。

 常に常に気を張り詰めて、頑張って頑張って、
「いい人」や「いい親」や「いい娘」をすることに、
もはや苦痛を感じないくらいに、
「無理する自分」が常態化してしまった。

 「人にどう思われたっていいんだよ」
 「自分らしく、マイペースで」
 「自分の人生を楽しんで」

 そんなことは、わかっている。

 そんなことは、生まれた時から知っている。

 でも、「知っている」と、「できる」とは、また別の話だ。

 いっそ、精神を病んでしまえれば、
病気という言い訳ができて気が楽になるのかもしれない。

 しかし、私というヤツは、
軟弱な精神が、強靭な肉体に宿っているから、
病みそうで病まない。

 この、「ギリギリセーフ感」が、逆に苦しい。

 「動けるデブ」という言葉があるが、
その言い方で言うと、私は、
「動けるノイローゼ」といったところか。

 とにかく、神経が疲れ果てている。

 すぐに傷つき、
すぐに大喜びし、
すぐにへこんで、
すぐに大笑いする。

 そう。

 双極性の気分障害、の、一歩手前、なのだ。

 ギリギリセーフだけど、
その苦しさは、四捨五入したら、病気級なのだ。


 ところで、私は、一体、どうしたいのだ、
と、ある日、考えた。

 ゴールは、どこなんだ、と。

 はっきりと明言化した方が、
この苦しさの出口が見えるような気がして、
試しにちょっと口に出してみた。

 すると、私の口から、思わぬ言葉がするすると出てきた。

 「わたしの求めていることは、
すべてを完璧にこなし、それをみんなに認められ、
そのことによって、
『生きていてもいいよ』と、自分から許可を得ることです」

 えええええっ?!

 自分で言っておいて、びっくりした。

 私は、親や社会から認められたくて
必死こいているのかと思っていた。

 しかし、馬鹿みたいに口に出して
自分の気持ちをしゃべってみたら、
「自分自身から生きる許可を得たい」と、私は言った。

 私は、小さいころ、
物凄く生意気なガキだったので、
親やいじめっ子から、
「死ね」だの「消えろ」だのと
しょっちゅう言われていた。

 そして、
「そうか、私は、死んだ方がいいのか」
「生きていちゃダメなのね」
と素直に刷り込まれていたようだ。 

 そうやって幼い私は、
自分が生きていることを許さなくなった。

 だから、子供のころから苦しかったのか。

 「やっちゃいけないこと」=「生きること」を、
毎日やっちゃっている自分を許可しなかった。

 だから、せめて、まじめに正しい行いをして、
みんなに「生きていてもいい」と許可を得ようと必死だった。

 大人になって、いろいろあって、
まあ、みんな、私が生きていても許してくれるんだろうね、
と思ってはいたが、
実は、肝心な自分自身がそれを許していなかったのだ。

 でも、自分自身から生きる許可を得なければ、
結局は、この苦しさから逃れられない、ということを
私は、どこかで知ったのだろう。


 私は、自分が生きることを許可する。

 許可どころか、私が生きなければ、
子供たちが困るじゃないか、と思う。

 そして、また、
あえて、口に出して大きな声で言ってみた。

 「私は、私が生きることを許可する!」と。

 ついでに、もうひとつ言ってみた。

 「私は、私に優しくすること。自分に意地悪しないこと」

 古い自分にそう言った後に、
あらためて新しい目標を口にしてみた。

 「落ち込み過ぎない。
 浮かれ過ぎない。
 心を平らに保つこと。
 心を上下に分ける横一線の中心線があるとしたら、
 落ち込んだり、浮かれたりして上下にぶれる心を、
 いつもその中心線上に持っていく努力をすること」

 こうやって、乱れた情緒を落ち着かせる。

 「こうだろうか、ああだあろうかと、うろたえない。
 心を左右に分ける縦一線の中心線があるとしたら、
いつもその中心線上を歩くこと」

 この中心線が、【自分らしさ】や【マイペース】だ。


 ひとしきり独り言を言いまくった後、
私は、急に元気になってきた。

 難しいことじゃないんだ。

 自分の心を、平らかに、真ん中に保つ。

 これだけで、世界の中心点を、
自分に持ってこられる。


 ああ、楽になった!!



 (了)


 
(しその草生きれ)2013.4.23.あかじそ作