「米袋の中で」
 夫の父は、戦争で父親を失い、気丈な母親の女手ひとつで育てられた。
彼は、7人兄弟だった。
 たくさんの子を抱え、母親は、豆腐の行商をして生計を立てていた。

 北陸の冬は、寒い。
 母親は、朝から夕方まで、雪の中を歩いて豆腐を売り歩き、
そして、毎晩、自分ひとり、そっと家を出て行った。
ひとりで映画を見に行っていたのだという。
 真冬の富山は、雪に埋もれ、その家に暖房はなかった。
そんな凍えるような寒さの中、子供たちは、ぺらぺらの毛布に包まりあって、
身を寄せて売れ残りの油揚げをかじっていたという。

 そんな特殊な家庭にあって、彼は、非常に癇の強い子供で、
年がら年中泣いていたために、子供嫌いな母親に、納戸の麻の米袋の中に詰め込まれ、
袋の口を紐でかたく閉じられて、一日中、ほおっておかれた。
 2歳ごろ、毎日のように袋詰にされていた彼は、
いつも、となりの若い書生さんに救出され、おんぶしてもらって、
田んぼの周りを何周も何周も、ぐるぐる歩いてもらったが、一向に泣き止まなかったらしい。

 そんな彼は、すっかり無口で自閉的な大人に成長し、
誰もがハッと振り返るようないい男であるにもかかわらず、結婚の話にはならなかった。
 そして、見合いを勧められ、さして相手に意見も感想もないまま、結婚した。
 その相手が、夫の母である。

 今は、家族とのコミュニケーションも枯渇状態で、家庭内別居をしているが、
要領の悪い、しかし実は優しい彼は、100歳近いキツイ母親を
兄弟達から体よく押し付けられ、一緒に暮らしている。
 どうしようもなく要領の悪い、クソ真面目なこの夫婦は、遠く関東に暮らす孫達に、
それぞれ別々に、毎月何かしらを送ってくる。
孫たちを愛している、ということを、ストレートに発信している。
 そのストレートな愛情を、どうかお互いに向けることができますように、と、
苦労を教訓に変えて、これからの人生の終盤を、仲良く幸せに過ごせますように、と願う。

 戦争がなければ、彼らの人生も、性格までもが、今とは違っていたはずだ。
 しかし、戦争で狂ってしまった、彼らのぬかるんだ人生の上に、
今の社会が築かれ、そこに私たちは生きているのだ。
 逃げ出すことは出来ない。
 ここで生きていくのだ。

 小さな、母を乞う2歳児が、真っ暗で、死ぬほど狭い米袋の中に、
体を折って詰めこまれている間、どんな気持ちでいたのだろう。
 彼が詰め込まれていた頃と同じ歳の、彼とよく似た2歳児を抱きながら、本当に、そう思う。


                                      (おわり)
2002.03.13 作 あかじそ