「 四男、オーストラリアに行く@ 」

 四男がホストファミリーのお宅に到着したであろう時間に、
突然、電話が掛かってきた。

 出ると、四男の声だった。

 「お母さん・・・・・・何だかわからないけど、
ホストファミリーのお父さんとお母さんが
『おうちの人が心配してるだろうから電話しろ』
って言ってるみたいだから、電話した」

と、言う。

 「ええ?! そうなの? で、大丈夫なの?
パスポート失くしてない? おうちの人と話せてる?」

と、聞くと、

 「パスポートは、失くしてないけど、話は、ちゃんとできてない」

と、泣きそうな声で言う。

 「笑顔でジェスチャーだよ! ポケット辞書も使ってさぁ!」

 こっちも必死にアドバイスすると、

 「う、うん・・・・・・あ、それから、ホストファミリーの人が
お母さんの携帯にメール打つって言ってる」

と言うではないか!

 「え?! メール来るの? お母さん、英語で即返信は無理だよ。
 辞書で調べながらだから、返信に時間掛かるよ!」

と、言うと、

 「うん。まあ、じゃあ、またね・・・・・・」

と言う。

 「ああ、がんばるんだよ! っていうか、楽しんで!」

 こっちも必死だ。

 「うん・・・・・・ばいばい・・・・・・」

 やっぱり泣きそうな声だ。


 大丈夫なのか・・・・・・?
 話通じてないみたいだし、
具合が悪い時にそれを伝えたり、
シャワーの使い方聞いたりとか、
できるのか?
 ちゃんと、言ったり、聞いたり、できるのか?

 大体、声がいつもと違って、ひどく不安そうだったぞ!

 あ〜〜〜〜〜! 
 心配!!!

 しばらくすると、私の携帯が鳴った。

 見ると、英語のタイトルが!

 来た!

 ホストファミリーから英語でメールが届いた。

 辞書を片手に読んでみると、

「彼は、夜、遅れて到着しました。
 今は、明日に備えて、早めに寝ています。」

と書いてあった。

 さあ、大変。
 英語で返信しなくちゃでしょ!

 翻訳アプリをフル稼働して、必死に英文メールを打ったが、
アルファベットでメールなど打ったことがないから、
携帯の操作にも手間取った。

 内容としては、

「息子が大変お世話になります。
 この子は、両親の手伝いをとてもたくさんするので、
あなたの息子さんのよきお兄ちゃんにもなれるでしょう」


・・・・・・というものだが、
正しい英文になっているか、自信は無い。

 まあ、意味合いだけでも通じれば、何とかなるだろう。


 この時、思ったのだが、
「お世話になります」とか「ご面倒掛けます」とかの言葉を英訳すると、
【Thank you 〜〜〜 】という構文になるということだった。

 日本では、

「私なんぞが、あなた様に、こんなにしてもらって、どうもすんません」

というように、自分がへりくだって、相手を持ち上げながら物を言う表現をするが、
英語圏は、こういう考え方ではなく、

「世話してくれて、ありがとね!」

という表現をするのが普通みたいだった。


 自分の子供を、無償で1週間も寝泊まりさせてくれる厚情に対して、
どうやってお礼を伝えようかと表現を凝らそうとしても、
やはり、ニュアンスとしては、【Thank you 〜〜〜 】しかないのであった。

 外国の人と短いメールを交わすだけで、
日本と外国との文化や考え方の違いを痛感してしまった。

 事前にホームステイのオリエンテーションで、
四男は、散々言われたらしい。

 「ほめられたら、『いえいえ』でなく、『ありがとう』と言うこと。
 本音で話さないと通じない。遠慮すれば、それは、『ノー』と取られる。
 意見は、ハッキリ言うこと。イエス、ノーは、ハッキリと伝えること」

 英会話以前に、日本と外国との違いを知ること方が先なのだろう。

 外国に行くことで、外側から日本の特性を知る勉強になる。


 必死で英文メールを送信し終わり、
やれやれ、と疲れ果てて眠りについたが、
それから数日間、四男からもホストファミリーからも連絡が無かった。

 便りが無いのは、無事な証拠。

 パスポート紛失も病気も怪我もしていないのだろう。

 私は、ひと安心して、
四男以外の4人の子供たちの事にも気を回せる余裕が出てきた。

 建築士2級の資格試験に取り組む長男のこと、
遠距離通学をしながら、雑貨デザインの課題に追われる次男のこと、
朝から晩まで部活三昧の三男に新しいテニスシューズを買うこと、
夏風邪で熱を出す長女の次の通院の予約を取ること・・・・・・。

 物凄く気に掛かることがあっても、
家族の数だけ「その他の気がかり」もある。

 心配性の保護者には、気の休まる暇など無いのだ。


 それから数日後、また四男から電話が掛かってきた。

 明るい声だった。

 「『昨日今日の出来事をお母さんに教えてあげなさい』
って言われたから電話掛けたよ〜」
と、いつも通りの四男の調子だった。 

 電話の向こうで、小さい子の声が聞こえている。

 「アントニーの声が聞こえるよ」

と言うと、

「アントニー、今お母さんに叱られてるんだよ。
 しょっちゅうお母さんに叱られて泣いてるから」

と、余裕のある感じで言う。

 「ちゃんとコミュニケーションとれてるの?」
と聞くと、
「よくわかんらないけど、何となく伝わってるから、大丈夫」
と、笑っている。

 (す・・・・・・すげえ・・・・・・うまく行ってるじゃないか!)
 (英語で知っている語彙など、ほぼゼロなのに、
何となく通じて、楽しく暮らしていやがるぜ! こいつは!)

 「アントニーと仲よくなっていつも一緒に遊んでるから。
 昨日は、乗馬して、今日は、市長のところ行ったよ。
じゃあねえ〜」

と、屈託なく電話を切った四男。

 大丈夫なのだ。

 何とかなっちゃうのだ。

 親の心配は、その大部分が取り越し苦労。

 子供は、親の知らないところで、どんどん経験を積んで、
何とかなっちゃうのだ。きっと。


 それからまた、数日後。

 集合した所と同じ公民館に大型バスで帰ってきた子供親善大使団。

 猛暑の中、親たちがそわそわしながら待つ中に、
冬のオーストラリアから帰った長袖軍団の中学生たちが
笑顔でバスから降りてきた。

 「おかえり!」
 「楽しかった?!」
 「おつかれ!」

 おそらく、どこの家も景気の悪い時代を生きていることには違いない。

 大枚はたいて可愛いわが子に旅をさせた親たちは、
みな、満面の笑顔で子供たちを迎えた。

 親元から離れ、
ひとまわりもふたまわりも大きくなって帰ってきたことを信じて、
痛む懐をさすりながら、子供の無事の帰宅を喜んだ。


 長旅で疲れているだろうから、ということで、
儀式めいた解散式は、省略され、三々五々、解散した。


 行く時は、親の私がでっかいスーツケースを車に積み込んだが、
帰りは、四男が自分で積みこみ、自分で降ろした。

 そんなところだが、ちょっとの成長を感じた。


 家に入ると、間髪いれず、お土産を次々渡された。

 四男がお世話になったホストファミリーは、裕福な家らしく、
見せてもらった写真には、
大きな家と、広い庭やプール、
宝石がたくさん飾ってある部屋や、
大きなリビングに大きなテレビなどが写っていた。

 ホストファミリーのお母さんとお父さんは、
見たところ60代のようだが、子供が6歳なので、
おそらく、里親をしているのだろう。

 里子を育てていることからも、
慈善精神のある人たちであることがわかったが、
その上、日本人中学生のホームステイを受け入れるのだから、
よほど気持ちと経済に余裕のある人たちなのだろう。

 写真に写る表情からもよくわかった。

 うちの家族ひとりひとりに向けて、お土産を買ってくれ、
カードに手書きで、家族の名前をひとつひとつ書いてくれた。

 四男には、冬物ブーツを、
3人のお兄ちゃんには、オーストラリアの絵柄の入ったキャップを、
妹には、ファインディングニモのTシャツを、
私には、カンガルー柄のエプロンセットを、
夫には、コアラやカンガルーなどの描いていあるキーホルダ―をくれた。

 なぜファインディングニモのTシャツかというと、
ニモを捕まえた歯医者のいるところが、
オーストラリアのシドニーの海辺だったからだ。


 お土産をそれぞれ身につけて、
家族集合写真を撮り、
ホストファミリーにお礼の手紙を送ることにした。


 さて、しばらくすると、四男が、恐ろしいことを口にした。

 「夜にホストファミリーのお母さんから電話が掛かってくるから」

 (えっ!!! 電話!!!)

 電話って、リアルタイムじゃないか?!

 えええええ〜〜〜っ!
 ダメダメダメ! わたしゃ、昔からヒアリング能力ゼロだから!
 聞き取れないから!

 文章言えても、聞き取れないから!

 電話じゃジェスチャー通じないし、
英語の成績は、まあまあだったけど、英会話能力はゼロだから!

 私こそが、日本の英語教育失敗の生き証人だから!


 そうこうしていられない。
 私は、急いで翻訳アプリで調べて、
「あなたたちのおかげで息子がオーストラリアで楽しく過ごせました」
「彼に親切にしていただいて、大変感謝しております」
などの例文を大きな紙に書き出して、
電話そばの壁に貼り付けた。

 一応、
「私は、英語が苦手です」と、「もうちょっとゆっくり話してください」
も、訳して書き出しておいた。

 ああ、話すことは話せても、
絶対聞き取れないって・・・・・・

 困る〜〜〜。

 お礼をたくさんしたいし、
外国の人とお話したいのに、
使える英語を全然習ってない〜〜〜!!!

 壁にメモを貼り終えて、電話の前から離れようとした途端、
電話が鳴った。

 「うわ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」

 飛び上がって驚いた。

 早速掛かってきたじゃねえか!
 速攻で来たぞ!
 うお〜〜〜〜〜っ!

 「ねえ、電話だよ! 出て!」

 四男を見ると、
旅の疲れですっかり眠りこけている。

 「うっそ〜〜〜っ!」

 私が出るのか? 
 私しかいないよねえ?!

 深呼吸をし、震えながら受話器をあげた。

 すると、老婦人の声で、
≪This is ○○○○○.≫
と、言う声が聞こえた。

 (ああ! 来た! 来たぞ! 話すしかない! 私が! 英語を!)

 「あ〜〜〜、ディス イズ ■■■■■」

 何とか、自らの名字を告げた。
 さらに、続けて、

 「Thanks to you,
  my son was able to passed happily in Australia」

と、ひと単語ひと単語、発音に気を付けてゆっくり言った。

 すると、言葉の通じないアジアの家庭に電話を掛ける
相手の緊張が解けたことが手に取るように伝わった。

 ≪☆Θ§ΔΓΠΞαλ・・・・・・≫

 と、英語であることはわかるが、
内容が一切わからない英語が轟々話しかけられた。

 「おっお〜〜〜〜(*_*;」

と、私が、うろたえていると、相手は、
少しゆっくりと話してくれた。

 言葉の端々で、四男と電話を変わってくれ、
と言っているのがわかった。

 「そそ、そ〜り〜。ひ〜〜 いず すり〜〜ぴんぐ な〜う。」

 しかし、それでもなお、
彼と話したい、という旨の単語が続く。

 「ひ〜いず、べり〜たいあ〜〜ど、な〜う。あいむそ〜り〜」

と言ったが、相手も引かない。

 こりゃダメだ、と思い、

「じゃすた、みに〜っつ」

と言い、四男を揺り動かして起こした。

 「ちょっと! 起きて起きてよ! あっちのママから電話だってば!」

 四男は、おもむろに起き上がって受話器を取り、

「イイェァ!」

と言った。

 電話口では、四男が腰に手を当て、
軽くうなづきながら、笑顔で相槌を打っている。

 「イェァ。イェァ・・・・・・イェァ。オー、イェァ。 ハッハ〜、オ〜ウ、オケオケ、・・・・・・イェァ・・・・・・」

 ・・・・・・話している!

 あの、アルファべットすら怪しい四男が、
英語でオーストラリア人と談笑している!!

 そして、急に私に向き直り、
「お母さんに替わってって」
と、受話器を渡す。

 「ええ〜〜、いいよいいよ、もう、いいって〜!」

と言いながら、半べそで電話に出ると、

向こうのお母さんが、

≪Your son is beautiful boy!≫

と言っているのが聞き取れた。

 そのほかにも、
四男をほめたたえているとおぼしき英単語が続いた。

 私は、思わず、
「ノーノーノーノーノー」
と口走ってしまったが、ほめられたらサンキューと言わなきゃいけないんだった!

 急いで、
「ノーノーノーノージャナクテ〜、サンキューサンキューサンキューべリ〜マッチ」
と言った。

 続けて、まったく聞き覚えのない英単語が続々続いて、
一切意味を聞き取れなくなった。

「おっお〜〜〜、お〜う。え〜〜〜と、あ〜〜〜んと・・・・・・」
と、私が、困り果てているテイの言葉を発すると、
今度は、その「聞いたことのない英単語」を、
ゆ〜〜〜〜〜っくりしゃべってくれている。

 いやいやいやいやいや。
 早くて聞き取れないんじゃないの。
 単語の意味がわからないから、
ゆっくり言ってもらっても、やっぱり意味がわからないの!

 「アイムソーリー、アイアム プアー アット イングリッシュ」
「アイム ソーリー、アイ ドントゥ アンダースタンド」
「オ〜〜、ソーリー、ソ〜〜リ〜〜〜」
をひたすら繰り返していると、
相手のお母さんは、哀しそうに、
「Good−bye」
と言った。

 ああ・・・・・・ごめんなさい〜〜〜!
 四男の事を凄く愛してくれて、ほめてくれて、
私に対してもいいお子さんをお持ちで、
・・・・・・みたいなことを言ってくれているのだろうけど、
ごめんなさい〜〜〜!!!

 ちゃんと話したかった〜〜〜!

 息子のいいところを、人から言ってもらえるなんて素敵な機会を持てたのに〜!
全然聞き取れなかったし、ちゃんと返事もできなかった〜〜〜!!

 私も残念そうに、
「お〜、グッバイ」と言った。
 
 続けて、
「サンキュー。サンキューソーマッチ。
 Thank you very much for your kind of him!」
と言うと、

あちらも、こちらの「話せなくてごめん」の、気持ちが伝わったようで、
「Bye−Bye! Good−bye! Good−bye! Good−bye!」
と、明るい声で何度も言ってくれた。

 「サンキュー、グッバイ! サンキュー!!」

 お互いに繰り返しているうちに、電話が切れた。

 ああ・・・・・・なんとか電話は、終わった・・・・・。
 こちらの感謝の意だけは、かろうじて伝わったと思う。

 私は、張り付いた笑顔のまま、ゆっくりと受話器を下ろした後、
「オーノー!」と叫びながら床に倒れ込んだ。

 そして、30秒後、
むっくり起き上がりながら、四男に、
「向こうのママは、何て言ってたの?」
と聞くと、
「知らない」
と、シラッと言う。

 「え?! 何て言ってたかわからないのに、
『イェァ。イェァ・・・・・・オー、イェァ』って言うの?」

 「うん。なんか、雰囲気で」

 「はっ! すんげ〜〜〜〜〜! すんげ〜〜〜神経!」

 父親譲りの、見事なカラ返事!
 あっぱれだよ、お前は!
 ノンストレスの人生送ってるよな、マジで!

 私は、しばらく、床に突っ伏したまま、起き上がれなかった。


 夜になってから、四男は、ポロポロと面白いエピソードを話し始めたが、
その中でも「ほお」と思った話があった。

 最終日、20人の中学生親善大使と、そのホストファミリーたちが集まって、
盛大にお別れパーティーが開かれた時のことだ。

 みんなが楽しく談笑しているさなか、
四男は、散らかった皿を片づけていたらしい。

 その様子をホストファミリーのお母さんが目撃して大感激し、
日本の訪問団団長(普段は、市内の世話焼きおじさん)のところに四男を連れて行き、
「この子は、素晴らしい子供です。もっと高い評価を受けるべきです」
と、切々と訴えたらしい。

 しかし、団長は、まったく英語がわからないので、
「イェァ。イェァ・・・・・・イェァ。オー、イェァ」
と、これまたカラ返事をして、四男の働きは、さらりと受け流された。

 しかし、そばに居た英語のわかるおばさま団員が、
それを聞きつけ、
そのことで高い評価を受けた四男は、
お別れパーティー最後に、
代表でお礼を述べる大役を仰せつかってしまった。

 もちろん英語でのスピーチなどできる能力など皆無だが、
四男は、いつもの笑顔でニッコシ笑って、みんなの前に立ち、

「さんきゅ〜えぶりわん! さんきゅ〜そ〜まっち! さんきゅ〜! さんきゅ〜 ふぉ〜おーる!!」

と、言うと、

全員が一斉に立ちあがって、笑顔で拍手してくれたのだという。

 わ〜〜〜〜〜〜おっ!!!




  (了)

 
(子だくさん)2013.8.13.あかじそ作