「 自分がひとりぼっちであることに気付け 」


 先日の台風で床下浸水になったので、
市役所に床下の消毒を依頼する電話をしたら、
「それでは、ご近所との連絡役をお願いします」
と、役所から頼まれた。

 さっそく、床下浸水したであろうご近所に
「何日の何時頃に市役所から派遣された消毒業者が来ますよ」
と、連絡して回ったが、
うちの隣は、留守だったので、メモを玄関に残してきた。

 その家は、私の親世代のご夫婦が二人で住んでいる。

 旦那さんは、大きな声で歌を歌ったり、
テレビを見て大笑いしたりしている陽気な人で、
奥さんは、「あんたは、うるさいんだよ、バカだねえ!」などと、
旦那さんを子供のように可愛がっているサバサバした人だ。

 メモを入れた日も、消毒の当日も、
お隣に人の気配がなく、
「ご夫婦で旅行に行っているんだろうなあ。仲いいからなあ」
と、思っていた。

 すると、翌朝、
ふらっとそのご主人が家に来た。

 「メモ入れてくれてありがとうね。
 うち、昨日おとといと、留守してたんだよ。
 母ちゃん死んじゃってさ、葬儀だったの」

 「えっ?!」

 私は、硬直してしまった。

 確かに最近見かけないなあ、と思ってはいたけれど、
亡くなったって・・・・・・そんなバカな・・・・・・

 あんなに元気だったのに!!

 「あ、あの・・・・・・急だったんですか・・・・・・」

 「いや。ちょっと入院してたんだけどね」

 「あ・・・・・そうだったんですか・・・・・・知らなくて、すみません・・・・・・」

 私が、終始両手で口をふさいで目を見開いていたので、
旦那さんは、気を使い、

「まあ、時間ができたら線香でも上げにきてよ」

と笑って言い、いつものように陽気に手を振って去っていった。


 でも、あんなに元気だった奥さんが?
 ねえ、嘘でしょ?

 うちの子供たちが反抗期で大暴れしていても、
私が大声でしかり飛ばしていても、
「いつもうるさくてすみません」
と声を掛けると、
「全然いいのよ! 気にしないで子育て頑張って!」
と、クレームを言うどころか、励ましてくれた。

 5人目にやっと女の子が生まれた時も、
「ホントによかったわね! 可愛いわねえ。抱っこさせて」
と、優しく声を掛けてくれた。

 年がら年中、大声でしゃべっていた旦那さんの声が、
そういえば最近は、一切聞こえてこなかった。

 亡くなったんだ・・・・・・本当に・・・・・・

 夕方、お隣に線香をあげに行くと、
旦那さんが家に上げてくれたのだが、
ガランとした薄暗い茶の間に、
小さな脚折れテーブルでにわか作りされた小さな祭壇があり、
そこに奥さんの遺影が飾られていた。

 お線香を上げ、長い間手を合わせていると、
斜め後ろで一緒に手を合わせていた旦那さんが、
震えながら忍び泣いている息遣いが聞こえた。

 「ありがとうございました」
と、お礼を言うと、
私が持参した御霊前ののし袋と線香セットを見て、
「あ、これ持ってって」
と、お返しの品の入った紙袋を渡してきた。

 「あ、いいんですよ、ホントにちょっとなんで」
と、お断りすると、
「いいのいいの。持ってってよ」
と、震える手で渡してくるので、
「では、遠慮なくいただきます。返ってすみません」
と素直に受け取った。

 帰り際、
「いつもすぐ隣にいますから、何かあったら声を掛けてください。
 でも、こちらが助けていただく事の方が多いとは思いますが」
と言いながら玄関に向かい、
旦那さんの方に振りかえると、
いつも陽気な御主人の目に、たっぷりの涙が溜まっていた。

 ああ、神様は、なんて残酷なんだ。

 こんな子供みたいな、
母ちゃんがいなけりゃ何もできないような人を、
急に一人ぼっちにさせちゃって。

 この人は、たったひとりで、
今日からどうやって生きていったらいいんだ。

 私は、涙がこみ上げてくるのをこらえながら、
「どうか、お気を落としませんように」
と言うと、
旦那さんは、子供のように両方の目からポロポロ涙をこぼし、
「はい」
と言った。

 「奥さんには、本当に、よくしていただきました。ありがとうございました」

 私は、深々と頭を下げ、そして、顔を上げて、
旦那さんがうんうん、と泣きながらうなづくのを見てから、
静かにドアを閉めた。

 その日も、その次の日も、
旦那さんの声も、テレビの音も、
一切聞こえなかった。

 いつもいつも、陽気な笑い声と歌が聞こえていた、
あの家から。


 ああ、いつ、誰が、
急に死んじゃうかわからない。

 今の今、元気にしていた人が、
次の瞬間、いなくなってしまうかもしれないんだ。

 家族で、夫婦で、
お互いにやいやい文句を言っていても、
死んじゃったら、「しーーーん」なんだ。

 どんなに気にくわない夫でも、
どんなにうっとおしい奥さんでも、
相手が死んじゃったら、自分は、ひとりぼっちだ。

 片割れだ。

 誰かと一緒にいると、だんだんわがままになってきて、
自分の言い分ばかりを通そうとしてしまうけれど、
所詮、夫婦は、「ひとり」と「ひとり」。

 家族は、「ひとり」の集合体だ。

 淋しいひとりひとりが、
互いを助けたり、支えたり、
受け入れたりしているんだ、ということを、
忘れちゃいけない。

 いつまでも、誰かが一緒に居てくれるものだと【誤解】して、
安心しきって、
そばに居る人を粗末に扱ってはいけない。

 「しーーーん」が誰より淋しいのなら、
今すぐ、自分が「ひとりぼっち」であることに気付こう。

 「ひとりぼっち」のはずなのに、 
「しーーーん」じゃない今を、
大喜びしていよう。


 洗面所で歯を磨きながら、隣の音に耳を澄ますと、
「おほん」と小さい咳払いが聞こえた。

 また泣きそうになった。




  (了)

(しその草いきれ)2013.9.24.あかじそ作