「 裏バド部 」


 中学3年間、吹奏楽部だったので、
高校に入っても吹奏楽部に入った。

 1年の時に同じクラスになったT女史が、
私にくっついて来て、初心者で吹奏楽部に入り、
大学受験を有利にするために部長に名乗り出たのには、
さすがに引いた。

 しかし、部をまとめるようなキャラでも無いのに、
彼女なりに一生懸命に頑張っているのを見て、
ちょっと見直したりもした。


 高校は、地元では、平均くらいのレベルだった。

 私は、もうちょっと偏差値のいい高校に行けたのだが、
当時好きだった男子が受けるというので、
この高校に入ってしまった。

 入ったものの、
運動中心の、どちらかというと「バカっぽい」この高校のノリに全然付いていけず、
好きな作家の話をしようとしても、
周りは、みんな本や新聞を読まない人ばかりで、
「はいはい、頭いいから威張りたいのね?!」
とか、
「本なんか読んで何が楽しいの?」
などと逆にバカにされて、まるで話が合わなかった。

 おまけに、入学直後に、好きだった男子にふられ、
残りの2年11カ月が地獄になってしまったのだった。

 一方、T女史は、
国立大学の付属中学出身で、頭もいいのだが、
中学で落ちこぼれ、劣等感どっぷりの状態で、
凄まじくランクを落としたこの高校に入ってきた。

 この高校で確実に3年間、学年1位をキープし、
有名大学に推薦で入り、
人生の巻き返しをはかろうともくろんでいるのだった。

 こうして、15歳にして挫折と劣等感にさいなまれている二人の女子は、出会い、
うつろな目でラッパを吹いては、
吹奏楽の調べに知らず知らず癒されていくのだった。


 2年になって、私たちは、
お互いに別のクラスになり、ふたりとも馴染めずにいた。

 言い方が悪いが、
周りがバカばっかりだったのだ。

 とにかく、芸能人の噂話とか、誰と誰がヤッちゃった、とか、
アイツ無視しようぜ、とか、
そんなことばかり言っているクラスメイトにうんざりで、
一緒に弁当を食べたり休み時間を過ごす
平たい付き合いの仲間はいたが、
心から話し合える友人など皆無だった。

 それでも、部活に行けば、
音楽の趣味の合う仲間もいるし、
ギャグのセンスのある友人も数人いた。

 科目によっては、自分より出来る子もいて、
部活に行くために学校に行っているようなものだった。

 昼休み、クラスメイトが誰かの悪口や噂話を始めると、
私は、「ちょっとトイレ」などと言って教室を抜け出し、
体育館に向かった。

 昼休みになると、
さすが運動系高校らしく、
体育館で円陣バレーや、バスケットをする者が多く、
私は、そこで彼らのプレーを見ては、
「そこそこやるじゃねえか」
と面白がって見ていた。

 ある日、体育館の舞台の端に腰かけ、
いつものようにバスケットの対戦を見ていると、
バスケットをする者の向こう側に、見覚えのある女子を見つけた。

 T女史だった。

 「どうした?」 

と、広い体育館の端と端で、
口の動きだけで聞くと、

「あかじそちゃん?」

 と、同じく彼女も口パクで聞いてきた。

 お互いに歩み寄り、
マット置き場あたりで合流した。

 「教室に居場所無いから、いつも来てるの」

と言うと、

 「私も」

と、T女史も言った。

 そのまま山積みされているマットに腰掛け、
黙って円陣バレーを見ていた。

 「マット、クサッ!」

 「ホント! どこの学校のマットも、みんな同じ匂いだよね」

 私たちは、ゲラゲラ笑い、マットから立ちあがった。

 ふと、足元の床を見ると、
誰かが遊んでそのまま片付けずに放り投げたバドミントンのラケットがあった。

 「やらない?」

 Tが言った。

 「やる」

 二人は、向き合って距離をとり、
制服のままバドミントンを始めた。

 私は、子供のころ、
いつも兄弟でバドミントンで遊んでいたので、
腕に覚えがあった。

 彼女の方も、3姉妹の長女で、
いつも姉妹で暇さえあればバドミントンをしていたらしい。

 父親の仕事の都合で、
彼女たち一家は、あちこちの国に住んでいたが、
いつも姉妹は、その国の友だちに馴染むまで、
姉妹でバドミントンをして過ごしていたのだと言う。

 それから、私たちは、夢中になった。

 毎日、弁当を食べ終わると、速攻で体育館に走り、
チャイムが鳴るまでマジのマジでバドミントンに興じた。

 夏も、冬も、それは続いた。

 熱中するあまり、
それは、ほとんど部活のような勢いになり、
「もっとパワーを付けたいよね」
ということになって、
より重いテニスのラケットで練習するようになった。

 弁当を食べ終わると、
テニスのラケットを握って体育館に走る私たち。

 「はいっ!」
 「えいっ!」
 「もう一回!」
 「おしい!」
 「ナイス!」
 「ほら、あきらめない!」

 と、叫びながらプレイする我々を、
周りは、奇異な目で見ていたかもしれない。

 しかし、私は、それに気付かなかった。

 もう、周りにどう思われるか、とか、
この場所にどう馴染もう、とか、
そんなことは、考えもしなくなった。

 ただただ、バドミントンが上手くなりたかった。

 制服の腕の部分の裏地は、ビリビリに破けた。

 制服のまま激しい練習をするからだ。

 この「裏バドミントン部」が「裏」であるゆえん。

 それは、あくまで、
「昼休みに制服のままプレイする」というところにあった。

 おそらく、私たちは、
本家のバドミントン部の部員よりも上手くなっていたに違いない。

 本気度が違うのだ。

大会に出て、表彰されるわけでもない。
何がどう評価されるわけでもない。

 しかし、挫折女子高生ふたりは、
常に命がけのプレイをしていた。

 魂のバドミントンだった。

 私たちは、今、ここで、生きていくために、
魂を振り絞って、シャトルを打っていたのだ。

 その他にも、
「数学の試験で毎回満点を取る大会」
とか、
「やきそばUFOを一滴残らず湯切りする競争」
とか、
しょうもない、くだらない戦いを3年間、繰り広げた。

 吹奏楽部では、パッとした成績は残せなかったが、
ブラスバンドならではのスウィングで、心を洗濯し、
裏バドミントン部では、凄まじい技術力を身に付けた。


 大人になって、親になり、
子供の学校の体育館で、マットの匂いを嗅ぐたびに、
「どこのマットもおんなじ臭さ」
と、ひとりつぶやいては、
Tとの蒼い想い出を思い出すのだった。



 (了)


(青春てやつぁ)2013.11.5.あかじそ作