「 息子の就活 」 |
今年度の大学3年生は、 12月1日に就職活動開始ということが決められていた。 私も、配達の仕事で、 たくさん就活がらみのダイレクトメールを配った。 うちの長男も今、大学3年だが、 息子あてに一切それらが届かないので心配いていたところ、 息子は息子で、大学の寮あてに届けてもらっていたという。 11月30日、 その長男が家に帰省した。 翌日の、中学生対象の模擬試験で、試験官のバイトをするためだった。 このバイトを始めてから数年経つため、 最近は、「試験官を監視する」という、本部の仕事をまかされているらしい。 この仕事は、スーツでするので、 毎回寮からスーツとYシャツと革靴を持参して帰省してくるのだが、 荷物が多すぎるということで、前回、スーツをうちに置いていってあった。 そして、今日、帰ってくるなり、 「あ! 靴忘れた!」 と言うので、私は、待ってましたとばかりに言った。 「明日から就活開始だよね? スーツとか靴とかYシャツ、買ってあげるよ」 すると、 「いや、スーツは、一着あるからいいよ。靴だけで・・・・・・」 と言うので、私は、新聞の切り抜きを出して長男に見せた。 「洗い替えらや何やらで、 スーツ2着以上、Yシャツ4〜5枚、 それから履きつぶすから靴2足ぐらい用意しておいた方がいいって、 ほら、新聞のここに書いてあったよ」 そもそも、今どきは、 高校を卒業したときに、 大学の入学式用にスーツを買うのが一般的だ。 そのスーツを2年後の成人式に使いまわすか、 余裕のある人は、成人式用に新たに買ったりもする。 長男には、成人式にコートを買い足したくらいで、 スーツは、18歳の時に黒いものを一着買ったきりだったので、 就職活動用に、もう一着買ってやろうかな、と思っていた。 「え? いいよ、スーツは・・・・・・」 と、遠慮する長男を、 半ば強引に紳士服屋に連れて行って、 スーツ、靴、Yシャツ、ベルト、ソックス、ネクタイ、ハンカチの 「就活セット」を買ってやった。 親子で今どきの就活のことを知らないので、 売り場でうろうろしていると、 若い店員のお兄さんが、「お手伝いしましょうか?」と言ってきたので、 いろいろ教わりながら揃えていった。 お買い得のスーツの前でうろうろしていると、 「基本的に、就職活動では、無地で黒か濃紺が主流です」 とか、 「靴は、黒の革の紐靴だと間違いないですから」 とか、 水色のネクタイを手に取る息子に、 「そちらもいいのですが、こちらの濃いタイプの方が無難です」 と紹介するなど、 より「一般的」なものを教えてくれた。 息子は、そういう「みんなが着ているもの」がイヤだ、とつぶやいた。 しかし、私は、息子の耳元で言った。 「何も知らずに着たいものを着て面接に出向いてさぁ、 その場で浮いちゃって、おろおろうろたえる方がみっともないよ。 【基準】てもんを知っていて、それで、それを所有していてさ、 その上、それをあえて着ないで好きな物を着て行く方が、 当日うろたえないで堂々と過ごせるんじゃない?」 「それもそうだね」 こうして、長男は、超【基準】を知り、買い求め、 そして、就職試験には、 自分で選んだアイテムをアレンジして行くことにした。 「みんな有名な会社にばかり勤めたがるけど、 世の大学生がみんな遊んでるときにも、 大学校で毎日ガッツリ建築の実践を勉強してたことをさ、 よ〜く知っててくれて、学校の方に募集を掛けてくれるような、 【有名じゃないけど有力な中小企業】みたいのをさ、 第一志望にする方がいいような気がするけどね」 と私が言うと、 「そうなんだけどね」 と、長男は笑った。 「『ぜひお宅の学生をうちに』って言ってくれる地元の会社もいっぱいあるんだけどさ、 一応、一回は、東京の有名な建設会社にもチャレンジしてみたいんだよ」 と言うので、 「そうなんだぁ。でも、相手に媚びてまで受かろうとするのは、違うからね。 自分が自分の働く場所を選ぶ、っていう志を忘れたら、 連戦連敗で気持ちが折れるだけだからね。プライドを持って挑みなよ」 と言ってやった。 私の時は、バブル全盛期の就職で、 黙っていても、バンバン内定をもらえた。 先輩に勧められた有名量販店グループを受けたのも、 バイトの面接感覚だった。 大勢集まったホールで、 会社の人は、マイクを使ってこう言った。 「○○大学、△△大学、■■大学、●●大学、▲▲大学、☆☆大学・・・・・・、 この大学出身の方は、隣の小ホールにお移りください」 有名大学ばかりだった。 おそらく、その中から採用するのだろう。 残った、その他大勢、有象無象は、 人事課の若い衆が手分けして集団で面接され、 バンバン振り分けの作業に掛けられていった。 私と一緒の面接をして子たちは、必死に、 「こちらを希望した動機ですが・・・・・・」 と売り込んでいたが、 私は、バイトの面接気分だったので、 「こちらの他には、どちらを受けましたか?」 と質問されて、 「牛丼屋の女性店長募集の方に行こうと思っています。 バリバリ元気に働きたいと思ってま〜す!」 と言ったら、2次面接に進めた。 そんな調子で、 「大学時代、何に打ちこみましたか?」 の質問に、 「演劇部で思いっきり楽しんでいました。 自分でも『絆』をテーマにした本を書いて舞台化しました。 とにかく、いつも面白いことに全力で取り組んでいます」 と答えて、次の面接に進んだ。 常務との最終面接では、 「御社が〜」「貴社の理念が〜」などと、 きちっとした受け答えの人たちと一緒に集団面接を受け、 「こちらの衣料品売り場のセンス、おかしいですよ。 いくら主婦が対象でも、あんなショッキングピンクのブラウスとか、 でっかい花柄の毛糸のセーターとか、絶対売れないですよ。 主婦を舐めたらダメです。私だったら、あんなもの買わないし、 売りたくもないですね〜」 と言い放ち、常務は、大いに笑い、 結局、私一人だけ採用されたのだった。 内定者の研修旅行では、 グループごとに発声練習をしたり、シチュエーション訓練をしたのだが、 みんなが照れて戸惑ってい中、 演劇部でそういうことを毎日やっていた私は、 面白がってガンガンやっていたので、 見回っている本部の人たちは、みんな、 私の名札を覗き込んで、何かをメモしていた。 そして採用され、数百人の中で12人という、 その年立ちあげたばかりのプライベートブランドの初年度採用者に選ばれた。 見回すと、同僚は、みな、 有名大学の経済学部出身の人ばかりだった。 私のような、3流大学の文学部の人間など、 他に全然いないのだった。 つまり、私の就職活動は、 非常に不真面目で、遊び半分で、 その分、肩の力が抜けきっていたので、 逆に面白がられて「敗者復活戦」を勝ち残ってしまったらしい。 ところが、勤めて半年で、 うつ症状を発症し、酷い自律神経失調症もあって、 退職してしまった。 要するに、本気でなかった分、 本気で取り組まないとできないような正社員の仕事に耐えられず、 心身を病んでしまったのだった。 やめちゃもったいない、と、みんな言ったが、 私は、もう、「名誉あるその仕事」が、 自分の首を絞める拷問にしか思えなくなっていた。 その挫折感が今でも私の人生に影を落としているので、 自分の息子には、 「会社の名前で選ばない方がいい」 と何度も言った。 「小さな設計事務所で見習いやってもいいじゃない? 人にどう思われようと、やりたいことをやればいいよ。 お前の目的は、家を設計することでしょ? そのために、1級建築士の資格を取らなくちゃいけないし、 その受験資格の【3年以上の建築関係の就業】をクリアしなきゃいけない。 就職がゴールじゃないんだから、もっと先を見越して、 気持ちに余裕を持っていきなね」 とアドバイスしたが、 真面目な長男に、また、変なプレッシャーを与えていないか、 心配になってきた。 親孝行な長男は、 親の経済状況を配慮して、私立の理系大学を受験することをやめ、 公立の職業訓練大学校に進んだ。 今度も、両親に迷惑を掛けないように、 期待に添うように、と、 それを一番に考えて就職を決めようとしやしないだろうか? 有名な一流企業に勤めることで、 親を満足させようと必死にならないだろうか? 「自分の生きたいように生きなさいよ!」 それだけを強調し、 バイトを終えて寮に帰る長男を送りだした。 やきもきしちゃうよ。 息子の就活。 今どきの就職活動は、 親がかりだと聞くけれど、 自分で自分のゆく道を開きな。 自分の人生だよ。 人生の岐路に立つたび、 自分自身で選択し、 たとえいばらの道に迷い込んだとしても、 自分の選択に責任を持って、 最後まで強く生き抜け! がんばれ、がんばれ! 就職は、ただの通過点だぞ! (了) |
(子だくさん)2013.12.3.あかじそ作 |