「 なぜなぜなぜ 」

 ニュースでは、
韓国の大きな船が沈んで、
修学旅行中の高校生が行方不明になった、
と、連日伝えている。

 そして、もう事故から6日も経った。

 うちにも高校生がいるので、とても人ごとと思えず、
「なんで!」とテレビに向かって叫ばずにはいられない。

 なぜなんだ?

 なぜ、船長はじめ、ほとんどの船の責任者たちは、
子供たちを船の重しに使って逃げたのか?

 なぜ、船は、よりたくさんの人を乗せられるように改造したのか?
 重心が高くなって危険になるのに。

 なぜ過積載だったのか?
 より多くの利潤を追求したのか?

 なぜ、マスコミすら船が沈む前に駆けつけられたのに、
中の人たちを救助できなかったのか?
 傾く船の中、まだみんな生きていたのに。

 なぜ政府は、スキルを持つ日本からの救助を断ったのか?



 なぜ? なぜ? なぜ?

 問えば必ず、大人の事情が見えてくる。

 エゴだ。
 エゴでしかない。

 いつも自分の保身のことを一番に考えているから、
こういう有事の時に一気にそれが露見する。

 自分だけ助かりたい船長も、
儲け主義の船の会社も、
喧嘩相手に借りを作りたくない大統領も、
同じ罪だと私は思う。

 自分に課せられた多くの人命を、
自己保身のために見捨てた。

 どの国にも、その街にも、どの村にも、
考える前に体が動いて、身を呈して人を助ける人たちがたくさんいるのに、
よりによって、がっつり人命を背負っている人物が、
他人の命を軽んじる。

 私は、「なぜ?!」と大きな声で、
何度も何度も問いかけたい。

 聞く耳など持っているとは思えないが、
なぜ、と問わずにいられない。

 そして同時に、
自分の中にあるズルさ、せこさ、自己中心的なところに、
戒めの言葉を投げかける。

 いつ自分が、
「なぜ?」と問われる側になるかわからない怖さに、
目をそらさずに生きていきたいと思う。

 醜い大人のエゴに、
大事な子供たちが殺されないように。



 (了)


(しその草いきれ)2014.4.22.あかじそ作