「 いまだにガラケー 」

 今年度、学校の役員になって、
「じゃあ、このプリントに連絡事項が書いてあるので、
写真で撮って後で読んでおいてください」
と言われた。

 おう・・・・・・
 やっぱきたか、スマホ機能前提のコミュニケーション。

 私は、いまだにガラケーなので、
資料を写真に撮っても、読めるほど拡大できない。

 その旨を相手に伝えると、
「じゃあ、赤外線で・・・・・・」
と言われ、ああじゃないこうじゃない、と大騒ぎして、
何とか相手のプロフィールを受け取り、
私が相手に空メールを送って、
連絡先を伝え合うことだけは、できた。

 ああ・・・・・・、
すでに時代についていけていない。


 今、大学生の長男が小学生の頃、
携帯電話を持っていない人もたくさんいたので、
学校の役員同士の連絡は、
昔ながらの電話連絡。

 ここ4〜5年は、メールでの連絡。

 そして、今年。

 ほとんどの人がスマホを持つ時代、
ガラケーにしがみついている私は、
いつ「ラインで連絡する」と言われるか、ドキドキしている。

 携帯を機種変更するとき、
何度かスマホにする機会があったが、
かたくなにガラケーにこだわってきた。

 理由は簡単。
 それしか使えないからだ。

 それに、スマホを使っている子供たちが、みな、
常に、スマホの電池が切れることを気にしながら暮らしているのを見て、
全然電池が切れないガラケーって、いいな、と思うのだった。

 それでも、世の中のほとんどがスマホになり、
少数派になってみると、
何だか、じりじりと時代に取り残されている焦りも出てくる。

 アプリがどうの、ダウンロードがどうの、と、
みんなが当たり前にやっていることができず、
出先で調べ物ができないことも、不便だ。

 「震災が来たら、電池が切れにくくて、電話が通じやすいから」
と言って、ガラケーにこだわってきたけれど、
「お母さん、電池切れにくい機種もあるし、ラインなら、もっと通じるよ」
と言われた日にゃあ、
頑なにガラケーにこだわる意味もわからなくなってきた。

 興味もあるし、便利なのもわかる。

 でも、新しいことに何の抵抗も無く飛びつくことができない性格なのだ。

 せめて、何か抵抗をしてから、飛び移りたい。

 いや、飛び移る、というほどのことでもないし、
そもそも、スマホは、もう、「新しいこと」じゃないだろう。

 しかし、時々いじるタブレットで感じるイラつきを、
常時、携帯でも感じなければならないのかと思うと、
嫌になる。

 「シンプルな生活にもう戻れなくなる恐怖」もある。

 こうやって、一個づつ「不便」や「シンプル」を捨ててきた結果、
私の大好きな「昭和」は、いつの間にか、
ノスタルジーだけの世界となってしまった。

 「生々しく生きている昭和」が好きなのに、
便利で楽な世の中が、
いつの間にか、私を「過去の時代の人」にしていく。


 楽で、便利で、ワンクリック。

 そういう生活に、生きている実感が得られないのは、
私だけなんだろうか?

 これじゃあ、いかにも、
時代に置いて行かれた者のセリフだが、
でも、「不便で手が掛かることの面白さ」を全然知らない子供たちが、
これからの世の中を作っていくと思うと、
不安でならないのだ。

 不安でならないけれど、
次の機種変更の時期に、
またガラケーを選ぶ自信が無いのも確かだ。

 あ〜あ!
 な〜〜〜んか、いやだなあ!
 淋しいなあ!!



  (了)


(しその草いきれ)2014.5.20.あかじそ作