「 読もう。日本文学 」

 かつて文学少女だった私は、
余分な金など一銭も無いのに、
矢も盾もたまらず、とあるCD集を買ってしまった。

 何十篇もの日本文学を、
名のある俳優たちが朗読をするCDだ。

 常に何らかの本を読まずにはいられなかった私が、
育児に翻弄されっ放しだった20年で、
すっかり活字離れしてしまい、
更に、知らないうちに老眼にもなっていた。

 育児も少し落ち着いて、
暇な時間も、心の余裕も生まれてきた昨今、
さて、また純文学でも読もうかね、と思った時には、
あろうことか、【本の読めない体】になっていたのだ。

 読みたい!

 でも、読めない!
 というか、ものが見えない!!!

 そんなときに、テレビや新聞で、
朗読CDが売り出されているのを知り、
散々悩んだ末に買っちまったのだ。

 そして、買ってよかった、としみじみ思った。

 今まで読めなかった古い日本語の表現を、
部分的だが現代文に「翻訳」してあり、
しかも、文芸的にも違和感なく訳してあるので、
聞いていて、内容が頭にすいすい入ってくる。

 意味もわからないまま、わかったふりをしていた作品も、
しっかり意味がわかると、
「マジか!」という内容だったりして、
物凄く面白かった。

 たとえば、国語の教科書にも載っていて、
授業で覚えるように言われた、泉鏡花の「高野聖」は、
言ってみりゃあ、R18の「エロ日本昔話」だし、
小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンの「耳無芳一の話」は、
深く、熱く、肌寒く、心えぐるストーリーだったり、
田山花袋の「布団」は、
変態エログロストーカーの心理劇だったりする。

 難しい文語体に隠された変態エログロ狂人話が、
現代語訳で、情緒たっぷりの朗読で語られると、
もう、ハッキリ言って、生々しくて、面白い!

 あんなに生臭くて、教育に悪いものを、
私たちは、今まで、中学高校で、
「読みなさい」「覚えなさい」と言われていたかと思うと、空恐ろしい。

 あんな【変態本】を、純粋無垢な子供たちに
教科書や授業で推薦してくる連中は、
子供たちに、一体、何を刷り込みたいんじゃ、
と、神経を疑ってしまう。

 それほど、生臭く、腐った人間のルツボなのだ。
 名作日本文学は!
 
 いやいや、もちろん、物凄くいい話もたくさんある。

 こんなに甘く美しく、泣ける話なら、
なぜもっとみんなに知らしめないのだ、と思える名作もたくさんある。

 たとえば、伊藤左千夫の「野菊の墓」。

 昔、松田聖子主演で映画化されたが、
そのころは、ただのアイドル映画だとバカにして観もしなかったし、
「アイドル映画の原作」としか見られなくなって、
実際本を読むこともしなかったが、
これが結構、本気で胸を打つ、美しき悲恋の話だった。

 純粋無垢に想い合う若い二人が、
身分や時代によって引き裂かれ、
更に、若い二人によかれと思う大人たちの行動が裏目に出て、
慕い合いながらも、結局、死に別れてしまう。

 真っ白な、幼き純愛!!

 私が、この話をCDで聞きながら、
その文章の美しさと切なさに朦朧としていると、
横で宿題の漢字練習をしていた小3の長女が、
話が終わったとたんに、ひとこと、
「かわいそう・・・・・・」
と言って泣いた。

 古い言葉で書かれているのに、
内容も、登場人物の心情も、ちっとも古くないのだ。

 いや、むしろ、新しささえ感じてしまうほどだ。

 小3女子が泣いてしまうほど、
みずみずしく、今も生きているのだ。

 この話は。


 読もう。日本文学。

 誰でも知っている作家の、誰でも知っている名作を、
もう一回、ちゃんと読んでみよう。

 すると、恐ろしいほど掘り起こされる、永遠のテーマ。

 恋! 愛! エロ! グロ! 

そして、出てくる出てくる、
ダメ人間! クズ人間! バカ人間!!

 読むと、もれなく、
人生がバカらしく、愛らしくなっちゃうんだなあ、これが!!


 (了)


 
(話の駄菓子屋)2014.5.27.あかじそ作