「 信じない者は、救われない 」





 「信じる者は、救われる」
という言葉があるが、
「信仰心は、心の支えになる」
という意味で、今まで捉えていた。

 しかし、ふと、思った。

 これは、神様を信じる、ということだけでなく、
自分を信じる、人を信じる、世の中を信じる、
という意味でもあるんじゃないか、と。

 自信がなく、(つまり、自分を信じられず)
人を疑い、(つまり、人を信じられず)
世の中に失望して、(つまり、世をはかなんで)
という状態で生きていると、
何を見ても、何を聞いても、何をしていても、
全然面白くも何ともなく、
みんなして自分を責め立てているような気ばかりして、
救われない日々しかないのだ。

 たとえいい人に出会っても、
猜疑心が先立って、心を開くこともできず、
せっかくの縁を自ら捨ててしまうのだ。

 楽しい気持ちも、嬉しい気持ちも、
疑う心のもとでは、
焼け石に水のごとく、一瞬で消えてしまう。

 そのくせ、
悔しい気持ちや、哀しい気持ちは、
疑う心のもとで、
それは、いつまでもネチネチと
日常の暮らしの中に根付いてしまうのである。


 私は、大人に可愛がられないで育ち、
周囲にも、あまり理解されずに生きてきた。

 それでも、若いころは、
それなりに自信を持って生きてみようとした時期もある。

 ところが、
「うかつに信じれば、必ず裏切られて傷つく」
という経験を数限りなく繰り返してきたことで、
最近は、自らの身を守るすべとして、
「信じない者」として生きてきた。

 それで、わかったのである。

 「信じない者は、救われない」と。

 「信じて裏切られて傷つく」のは、
結局傷つくから嫌なんだけれども、
少なくとも、前半の信じている間だけは、
幸福な気持ちで過ごせるのだ。

 ところが、
最初から「信じない」場合は、
裏切られて傷つくことが無いかわりに、
常に自分を卑下し、他人を嫌なヤツだと仮定し、
いつも最悪の結果を想定しているので、
最初から最後まで、嫌な気持ちしかないのだった。

 これって・・・・・・

 結局、よく考えたら、バカじゃん、と。

 中学生のころ、金八先生が「送る言葉」の中で、
♪ 信じ〜られぬと〜嘆く〜よりも〜、人を〜信じて〜傷つく〜方がいい〜 ♪
と、教えてくれてたのに!!!

 素直に聞いておけばよかったんだよ〜!
 も〜〜〜!!!

 バカ〜!

 明らかに嘘をついている子供や、
何をやっても期待以下の夫、
聞く耳持たずの両親に、
自己中心的なご近所さん。

 猜疑心をベースに付き合っていると、
腹の立つことばかりだ。

 どうせ結局、腹が立つのなら、
もう、バカ丸出しで、
「信じる者」になってみようかな?

 きんぱっつぁんの言うことをよく聞いて、
自信を持って、みんなを信じてみようかな?

 その方が、気が楽だし、
悩む時間が圧倒的に減るし、
残りの短い人生を、楽しく生きられそうだな。

 そうだ!

 そうしよう!

 信じるべ!


 (了)


(しその草いきれ)2014.7.1.あかじそ作