しその草いきれ 「【元彼】と化す夫」
 
 
 子供たちと一緒に、近所の夏祭りに行こうとしていたら、
たまたま早く帰っていた夫が一緒に行こうとしていたので、びっくりした。
 
 この驚き、たとえて言うなら、
「デートに行こうとしたら、元彼がついてこようとしていて、ビックリ!」
みたいなものだった。
 
 20数年、阿鼻叫喚の5人育児の最中、
どんなに協力を求めても、「相談に乗って」と頼んでも、
「無理」と言って逃げ通してきた夫が、
子供が手がかからなくなった途端に、
急に家族面されても心底困惑してしまう。
 
 子供が生まれて、育てて、看病して、学校に通わせて、
いい時も悪い時も、頑張ってきた過程で、
「あなたも一緒に考えて」「どうしよう」という妻の声を
ただの「騒音」としか捉えずに無視し続けた男に、
家族の中の立ち位置が残っているわけがないじゃないか。
 
 よく、
「俺は、家の中に居場所が無いんだよね〜」
と、嫁を非難する男がいるけれど、
そんなのは、自業自得なのだ。
 
 仕事が忙しいとか、疲れている、とかは、言い訳でしかなく、
仕事が忙しくても、疲れていても、
ちゃんと「父親している」「夫している」男は、
妻や子に愛されて、居場所は、家庭の中心に用意されるものだ。
 
 「親」は、動詞だ。
 
 「親する」のだ。
 
 産みっぱなしで、子のために命を掛けない者は、「親」じゃない。
 
 子より自分を優先する者は、「親」していない。
 
 野生動物にもできることを、
頭でっかちになった人間様は、
自由とか個人主義とか言って、
怠けているのだ。
 
 子供の事など見向きもしないで、
仕事をして、金を稼いで、それで、
「俺は、私は、子供を食わせてやっている」
と、豪語している者も多いが、
金を子供の頬に「ほらよ」と投げつけても、
子供は、育たないし、家族は、幸福ではない。
 
 逆に、すべてを投げうち、
自分の子供のことだけを特別に過保護にし、
他の子供や、学校や、社会を
「うちの子供に合わせなさい」とヒステリックに叫ぶ者もまた、
子を根ぐされ人間に育て上げてしまっている。
 
 日本には、昔から、そういう父親と母親が、大勢いる。
 
 名ばかりの父と母が、
大手を振って「親」を名乗る。
 
 そして、また、被害者たる子供たちは、
悲痛な大人、あるいは、有害な大人となって、
これからの世の中を構成していくのだ。
 
 自分もまた、悲痛な大人と化し、
そして、しょうもない「親」のひとりになっていないか、と、
常に気にしながら、今日まで子供たちを育ててきた。
 
 私の夫は、五十を超えて、
やっと最近、心を入れ替えてきたようだが、
いくらなんでも遅すぎると思う。
 
 子供たちは、みな、
「お父さんもお祭りに一緒に連れて行ってあげたら」
と、言っていたが、
私は、もう、この人が家族かどうか、よくわからない。
 
 家の中に「知らんおっさん」(夫)が居て、
恐怖を感じることすらある。
 
 
 世の、居場所無きお父さん方。
 急に離婚を切り出されて、心当たりの無いお父さん。
 
 そういうことでございます。
 
 
 
 (了)
 
 (しその草いきれ)2014.8.5.あかじそ作