「 2015年の目標 」


 例年通り、家族で初もうでに行き、おみくじを引いたら、
久しぶりに大吉が出た。

 昨年まで100円だったおみくじは、200円に値上がりしている。

 倍額のくじを引いた人を納得させるために、大吉の数を増やしたのかもしれない。
 家族みんなが大吉だった。

 消費税増税と神社仏閣のおみくじの値段は関係ないと思うが、
お札やお守りがことごとく値上がりしていて、
年明け早々、予算オーバーであった。

 しかし、倍額支払っただけのことはあった。

 今まで、あまりよく読まなかった細かい部分に、
私のこれからの生き方に光を与える文言がいくつか書いてあったのだ。


 「短気は、直すこと」

 これは、身に沁みた。
 そうなんだろうなあ、とは、思っていたが、
やはり、私は、相当短気なのだろう。

 第三者にあらためて言われると、
「やっぱ、そうだよね、直そう」
と、素直に思えた。

 今まで我慢してきたことを、
昨年、年女だった一年間、
なぜか全然我慢できなくなり、もう短気炸裂で、
意地悪な近所の家ともめたり、実家の父と喧嘩したり。

 恨みつらみと自己嫌悪とが心をいつも占めていた。

 キレるのは、一瞬だが、
その後、半年も一年も険悪な雰囲気が続くのには、参った。

 本当に、めんどくさいのだ。
 もう、怒っていないのに、険悪さだけがいつまでも残る。 

 だから、今年からは、
相手が暴言を吐こうが、理不尽な意地悪をしてこようが、
キレずに、さらっと流すことにしようと思う。

 心の中で「はいはい」と言って、気にも留めないで流そう。

 感情の整理に毎日を費やすほど、残りの人生は長くないのだ。

 時間の無駄だ。

 ひいては、人生の無駄だ。

そう、要は、「短気は損気」なのだ!


 そして、おみくじには、こうも書いてあった。

 「自信を持でば、道が開ける」

 これは、凄まじく心に刺さった。

 意地悪なご近所にイライラするのも、
会社の上司の理不尽な締め付けに胃が痛くなるのも、
そもそも自信が無いからなのだ。

 今まで生きてきた自分の足跡を振り返れば、
結構頑張ってきた痕跡があるじゃないか。

 泣きながら、めげながらも、歯を食いしばって、 
20年以上も、阿鼻叫喚の嵐の中、
病弱な5兄弟の育児を続けてきただろう?

 子供たちは、みんな優しい子に育ってきたし、
次々に成人していっている。

 少しは、自信を持って、胸を張ってもいいんじゃないか?

 誰かに何かを言われると、私は、いつもパニックになり、
必要以上に神経を疲弊させていた。

 親に虐待されていたとか、
学生時代にいじめられた事がある、とか、
自信を持てない理由はいくつか考えられるが、
そんなことは、もうどうでもいい。

 今まで生きてきた道の途中で、
私が人にされた仕打ちなど・・・・・どうでもいいのだ!!

 それよりも、私自身がやってきたことは何だ?

 受動態じゃない。能動態で考えろ!

 それがどんな小さなことでも、
何かひとつでも成し遂げたことがあるならば、
小さな自信を持つべきだ。

 レンガをひとつひとつ積み上げてゆくように、
小さな自信をひとつひとつ積み重ねていくのだ。

 バカでかいお手柄を上げて、
みんなからの称賛を浴びて、
大喝采の中で生じた即席の自信は、
大味で食えたもんじゃない。

 自信過剰で食えないヤツになるだけだ。


 私は、自信過剰の時期の後、自信喪失の時期が長く続いた。
 即席の自信の空気が抜けて、ペッタンコの心になっていたのだ。

 でも、もういいんじゃないか?

 自信の無さが引き起こす、
不安、イライラ、迷い、怒りの数々が、
日常生活に猛烈に影響を与えていることに、
いい加減気付くべきだった。

 自他を傷つけるほど、負のエネルギーを放つ「自信の無さ」は、
もはや暴力でしかない。

 この暴力は、また、誰かを傷つけ、誰かの自信を奪い、
憎しみの種をまき、負の連鎖を産む。

 短気が呼びこむ対人トラブル、激しい自己嫌悪、
心の中で年がら年中繰り返される妄想の中の口論。

 自律神経が狂って、体調が悪くなるのも当然だ。


 こんなしょうもない状態をすべて解決するためには、
「自信を持つこと」。これしかない。


 自分を信じる。
 自分のことが、好きじゃなくてもいいんだ。

 ただ、信じてやればいい。

 苦手なことは、基本に忠実に、一個一個丁寧にやる。

 人から善く思われることを第一に考えるのはやめて、
不器用でも、信じる道を一歩一歩、歩こう。


 すべてを解決する、魔法。

 それは、小さな「自信」。



 ああ、大吉のおみくじよ、ありがとう。

 神様、素敵なヒントをありがとう!!


  (了)

(しその草いきれ)2015.1.13.あかじそ作