「 『日本昔ばなし』を観て思う 」


 今年49歳の私が、小学生の頃、
夢中で観ていたアニメ番組「日本昔ばなし」を、
今、小学生の娘が夢中で観ている。

 毎週、食い入るようにテレビを観ている娘が、
エンディングの歌を熱唱した後、突然、
「神様ってひとりじゃないの?」
と、聞いてくるので、
「日本には、何にでも神様が住んでいるんだねえ」
と、ニヤニヤして答えておいた。

 日本には、やおよろずの神様といって、
山にも、海にも、川にも、池にも、沼にも、
台所にも、屋根裏にも、石ころにも、木にも、
どこにでも神様がいるという。

 それぞれみんな、
神様なのに人間味のある、個性豊かな性格を持ち、
人びとの暮らしの隣で生きているらしい。

 私がそれを知ったのも、この番組だった。

 この番組の中に出てくる主人公の多くは、
たいてい貧しく、日々働き詰めで、
それでも一生懸命に、明るく、つましく、暮らしている。

 今の暮らしから見たら、まさに、究極のシンプルライフ!

 老夫婦が助け合って作ったミノガサやらワラジやらを、
大晦日にジサマが担いで街に売りに行き、
その売り上げで、正月に食べるわずかな餅を買って、
家で待つバサマに持って帰るのだ。

 「ああ、ごちそうじゃ、ごちそうじゃ、ありがたや、ありがたや」

 「ありがとうよ、ジサマ」

 「こちらこそ、ありがとうよ、バサマ」

と、言って、
囲炉裏の前で餅を食べようとするのだが、 
一夜の宿を借りに来た旅人に、「食え食え」と言って、
その餅を惜しげもなくふるまってしまったりもする。

 「よかったねえ、ジサマ」
 「ほんとうだねえ、バサマ」

 「ありがとうごぜえます、ありがとうごぜえます」

 なんてことない、よくあるこういうシーンに、
涙がぼっとぼと落ちてきたりしてしまうのは、
年のせいなのだろうか?

 娘に見つからないように鼻を噛むついでに涙を拭くのだが、
何なんだろう、この心の底から洗われる感じは!


 なんて豊かな暮らしなのだろう!

 日々、食うや食わずの暮らしの中で、
助け合い、許し合い、手を取り合って暮らす毎日。

 ちょっとの病気や怪我で、すぐに死んでしまう。

 せっかく生まれたアカンボも、あっさり死んでしまうし、
愛する母親を、冬の山に捨てることもある。

 それでも、生きている、
それでも暮らしていっている、この人たちって、
ものすごく、ものすごく、凄い。

 運命を受け入れ、分をわきまえて、
大きな悲しみを胸の奥に抱え、
小さな幸せを喜びながら、
一日、一日、暮らしている。

 こうして生きるしかないから、生きるだけ。

 選択肢なんて無い。

 でも、だからこそ、哀しく、美しい。

 暮らしの中で一緒に生きる小さな神様に手を合わせ、
今日の家族の無事を祈る。

 このピュアでシンプルな暮らしが、
実は、真実の豊かさなのではないか?


 もちろん、昔話の中にも、
街で一個もミノが売れずに
手ぶらで帰ってきたジサマを罵倒するバサマもいる。

 意地悪じいさんも、意地悪ばあさんもいて、
楽して儲けることばかり考える、えげつない老人もいる。

 自分だけ得しようと、
仲間を出し抜いてズルをするヤカラもたくさん出てくる。

 だけど、これって、今の世の中の人間の、
一般的な人たちの姿じゃないか?!

 損か得かで物事を考えて、
人の事なんてお構いなしで、
自分がいかに裕福になれるか、
いかに楽して暮らせるか、
そんなことばかり考えているのが、
今の人たちの一般的な姿なんじゃないか?

 少なくても、私は、そうだ。

 その日暮らしで働きづめの毎日に、
心の余裕をすっかり失い、
タブレットを手放さない基本無言のジサマを軽蔑し、
売り上げの悪さをののしり、
いかに楽して老後を過ごせるかと、
保険のパンフレットを読み比べたりしている。

 悪いわ〜〜〜。

 まさに意地悪ババアだわ!

 オバケ満載のツヅラを開けて、腰を抜かす方のヤツだわ〜〜〜!!!

 テレビの神様が見せてくれた真実に、目を覚ませってか?


 毎週日曜日の朝、
画面に見入る娘の後ろから、
こっそり昔ばなしを観ては、
今日こそ心を入れ替えようと誓うバサマなのだった。



 (了)

(子だくさん)2015.1.20.あかじそ作