しその草いきれ 「節約しようと思ったら」
 

 
 震災がきっかけだった。
 
 夫の収入がひと月あたり10万円減ってから4年。
 
 この4年、と言えば、
長男の大学在学、次男の専門学校在学とちょうど重なり、
人生で一番教育費の掛かる時期だった。
 
 私もマイナス分を補うために必死で働いてきたが、
結局、20年掛けてコツコツ貯めた貯金は、
4年で480万円のマイナスとなり、
このたび、すっからかんになってしまった。
 
 「今月は足りないから、貯金をおろして・・・・・・」
が、できなくなり、非常に切羽詰まった状況になった。
 
 日々、無駄遣いしないように気を付けていても、
しょっちゅう、突然の臨時出費が発生し、
やりくりの見当がつかない。
 
 家の電気配線が古くなり、危険な状態だったため、電気工事をしたり、
水道の蛇口が錆びて爆発的な水漏れが起き、水道を付け替える工事をしたり、
生きるために必要な臨時出費が止まらない。
 
 昨年は、20年にわたるケチケチ生活に嫌気がさして、
長年つけていた家計簿をやめてみた。
 
 すると、何だかんだで金に気を揉まずに1年乗り切れたが、
貯金残高は、果てしなくゼロに近づいた。
 
 贅沢はしなかったし、旅行も外食三昧もしていない。
 
 普通に暮らしていただけだったが、
いつもお金が無く、欲しいものがひとつも手に入らなかった。
 
 そこで、昨年末、心を入れ替えて、
「何が何でも収入の範囲内の支出!」
と決め、家計簿を再開することにした。
 
 住宅ローン、税金、光熱費、教育費、医療費、車検の積み立てなど、
絶対に払わなければならない金額を全収入から差っ引いて、
残りをやりくり費用に回すのだが、
この時点で、夫の収入だけでは全然足りない。
 
 私の収入からも税金や支払いを支出し、
残り少ない金額で生活していくしかない。
 
 ・・・・・・と、いうわけで、
最初は、純粋に節約しなくちゃ、ということから始まったのだが、
今、なぜか、節約生活の副産物の恩恵で、
なぜか前より心豊かな気分で暮らしている。
 
 
 エアコンでなく、石油ファンヒーター、
ファンヒーターよりも、電気を使わない石油ストーブ。
 
 石油ストーブに、ヤカンを乗せると、
ちょうどいい加湿器にもなる。
 
 ときどき餅を焼いたり、焼きフルーツを作ったり、
煮物をしたり、シチューを温めたり。
 
 毎朝、コーヒーを飲むためにお湯を沸かしていたのだが、
今や、いつの間にか部屋を加湿しながらお茶用にもお湯が沸いている。 
 
 一石二鳥、いや、三鳥だ。
 
 そうは言っても、火は危険なので、
子供だけで留守番するときは、
自動消火機能のあるファンヒーターを使うが、
私の在宅中は、小さくコトコトと湯の沸く音をたてるヤカンを乗せた、
昔懐かし、ストーブの前に座って過ごしている。
 
 火の前に陣取っていると、
幼いころ、ばあちゃんが火鉢の横に座り、
あかぎれの手をあぶりながら、
かきもちを焼いてくれたことを思い出す。
 
 何度も火箸でひっくり返していると、
細いかきもちが、急にプクッと膨らんで、
丁度いい焦げ目がついてくる。
 
 ばあちゃんは、それを小皿に乗せて、
サッとしょうゆをかけて、私に渡すのだ。
 
 餅をほおばりながら「おいひい!」と叫ぶ私に、
ばあちゃんは、目を細めてうなづき、
「そりゃあ、なによりだよ、ケケケケケ」
と笑っていた。
 
 
 贅沢な暮らしではなかったが、温かい暮らしだった。
 
 家の中でも寒かったけど、それも込みで面白かった。
 
 
 原油価格が下がっていることもあるが、
ファンヒーターより灯油を食わないストーブで、
今年の光熱費は、おそろしく節約できている。
 
 結果的に節約できているというだけで、
昭和の匂いのするストーブが、私たちの暮らしをスローにし、
温かい暮らしが過ごせていることの方が大きい。
 
 私は、子供たちに餅を焼き、湯を沸かし、
ケケケケケと笑っている自分自身が嬉しくてたまらない。
 
 スローって幸せ!!
 
 
 今まで買っていた「○○の素」的な物を、
ちょっと手間をかけて全部一から自分で作ってみると、
意外と簡単で旨かったりする。
 
 新婚当時は、工夫して節約することが楽しかった。
 
 最近は、忙しさにかまけて、
工夫しようとも、手間を掛けようともしていなかった。
 
 なるべく安い「○○の素」を買い、節約した気になっていた。
 
 なるべく簡単にできる献立を、なるべく短時間で作り、
なるべく合理的に生活しようとしていた。
 
 便利な家電をどんどん使って、
家事に使う時間を自由時間に回し、
自由時間をどんどん増やしても、
全然心が自由じゃなかったのは、
なぜなんだろう?
 
 実は、それは、
略してはいけないことを省略し、
飛ばしていけない大事なことを、
飛ばしてしまうことだったのかもしれない。
 
 一足飛びで金を儲け、
一足飛びに幸福を手に入れ、
一足飛びに楽できることを、
きっと私は、無意識に夢見ていたのだ。
 
 ひざまづいて一個一個ゴミを拾ったり、
一個一個粉をまぶしたり、
ひとりひとりの目を見て話したりすることこそが、
本当は、一番豊かで幸福な暮らしなのかもしれない。
 
 まわり道そのものが、近道、いや、目的地なんだ。
 
 
 節約しようと思ったら・・・・・・
 
幸福の糸口、見つけちゃった!!
 
 
 
  (了)2015.2.3.あかじそ作