「 許すと楽になる 」


 理屈では、とっくにわかっていたのだが、
実感として理解できたのは、初めてだった。

 「許すと、楽になる」ということを。


 長年、「こいつ、マジで嫌なヤツだわ〜!」と、
その存在を思い出すたびにイライラする相手がいた。

 たとえば、
身勝手で、いつも周りを傷つける父。
 たとえば、
我が家をゴミのように扱う隣の一家。

 いつも偉そうに上から目線で、
私に理不尽な仕打ちをしてくるので、
本当に本当に、大嫌いだった。


 昨年、仕事の重圧に加えて、
四男の受験や三男の就職活動で心配しまくり、
学校の役員をやったり、町内会の班長をしたりして、
忙しさが頂点に達していた。

 そんな心の余裕を失っている時に、
彼らが立て続けに、
神経を逆なでするような傲慢な言動をしてきたので、
長年我慢していた彼らへの怒りが爆発してしまった。

 次々と投げかけられる失礼な言葉に対して、
理路整然と、相手の理不尽を説明したのだ。

 当然、彼らは、私を「生意気だ」と、激怒し、
無視したり、加害者扱いしてきた。

 理不尽な言葉の暴力やパワハラに対して、
満を持して言い返したのだが、
向こうから見たら、
「目下の者が噛みついてきた」
とか、
「あいつ頭がおかしくなった」
としか、捉えられなかったのだろう。

 それが去年の6月だから、およそ10カ月の間、
無視や嫌がらせをされ続けて、
以前よりも緊張状態になってしまった。

 その間、ずっと、私は、
もやもや、イライラし続けて、
ストレスのあまり、短期間であちこちにポリープができ、
自分や家族の怪我も続いて、頭がおかしくなりそうだった。

 更年期とか、そういうこともあったのだと思う。

 今考えたら、私も情緒不安定になっていたのだ。


 ひょんなことから、
20年ぶりに中学時代の友人ふたりと会い、
20年の間にお互いに起きたことを話す機会があった。

 そこで気付いたのだ。
 私は、自分の生活の大変さばかりに意識が集中していた。
 異常に視野が狭くなって、主観的になっていたのだ、と。


 聞けば、彼女たちも、それぞれ、大変な苦労をしていた。
 夫に傷つけられたり、夫や自分の親に振り回されたり、
子供のことで悩んだり、
自分の性格や、考え方のくせで痛い目に遭ったり、
お金の苦労をしたりもしていた。

 私だけじゃないじゃん!
 むしろ、私なんて、全然平和な暮らしをしているじゃんか!


 急激に視野が広がり、周りのことがよく見えてきた。

 20年ぶりに鋼鉄のリュックサックを降ろしたかのように、
身も心もふわふわと軽くなってきたのだった。


 ああ、子育てが一段落し、ひとつの季節が過ぎたのだ。

 結婚、出産、子育てに一生懸命になっているうちに、
長い年月をかけて、少しづつ、少しづつ、
責任感に縛られ、身動きがとれなくなっていたのだろう。

 やがて、すぐに来る、介護の日々の前に、
また学生時代の友人と集い、
昔のように語り、聞き、共感し合って、
互いの心にからみついた鎖をほどき合えばいいんだ。


 ・・・・・・と、なぜだろう?

 あんなに憎かった父や、近隣住人が、
かわいい人間に思えてきたのだ。

 短い人生の間に出会った、短い付き合いの中で、
彼らも彼らで、目が見えなくなっているんだ、と思えた。

 テンパッているのだ、彼らも。

 相手の立場も洞察できないほど、
テンパッているか、それか、馬鹿なのだ。

 だから、許してやろう、と思った。
 可哀想なヤツらじゃ、と思おう、と。

 頭を下げ、腰を低くして、ニコニコ笑いながら、
心の中では、(しょうがないな、許してやるよ!)と、
イニシアチブを握っていればいいじゃん。

 そう思ったら、とたんに気が楽になり、
生活の中のあらゆるシーンで雪解けが始まった。


 友人の夫の話を聞くと、
ある一点では、うちの夫よりも優れているが、
またある一点では、うちの夫のほうがマシだったりもする。

 他の夫たちの話を聞くと、比較の対象が生じる。

 夫ひとりだけを見て、
「最低!」と思っていたが、実のところは、
誰とも比較せず、一分の一で、判断していたのだ。

 一分の一で人間性を決定するシステムには、不備がある。

 夫の欠点を数え上げて吊るし上げ、
「こんな夫と結婚して、苦労している私は、不幸だ!」
と、悲嘆に暮れるのは、ナンセンスだったのだ。

 四六時中、目に入れば腹の立つ我が夫も、
さあ、許すとしよう。

 【最低】というランク付けは、解除しよう。
 【低い方】に昇格だ。

 く〜〜〜!


  (了)

(しその草いきれ)2015.4.28.あかじそ作