「 通い始める 」


 この春、堰をきったように、いろいろなものが流れ始めた。


 一級建築士の受験資格を得るため、
3年間の現場経験を積むべく、ハウスメーカーに就職し、
施工管理、つまり現場監督の見習いを始めた長男。

 雑貨デザイナーを目指して、関連する業種でのアルバイトに就き、
日々、就職活動をしている次男。

 地元工務店に就職し、内装大工の修行を始めた三男。

 幼稚園教諭を目指し、ピアノを習い始めた四男。

 引っ込み思案をおして、一緒にピアノを始めた長女。


 子供たちは、みなそれぞれ、自らの人生を生き始めた。


 不安げに【世の中というもの】に足を踏み出した我が子たちを、
毎日、ハラハラしながら見送っていたのだが、
どうやら少しづつ適応しているようで、
子供たちの表情に笑顔が増えていった。


 やれやれ、これでどうやら安心していいのかな?

 そう思った途端、
20数年ぶりに心に春風が吹きこんでいることに気付いた。

 息を吹き返したように、呼吸を始めた。

 ずっとずっとマイナーコードだった頭の中のBGMが、
突然、メジャーコードに切り替わったみたいだ。


 家事育児が苦痛だったわけじゃない。
 子供の成長を、日々、喜びをもって楽しんでもいた。

 しかし、正直言うと、我慢が相当にあったのも事実だ。
 いつも自分の都合を後回しにしているうちに、
自分を殺すことがくせになっていたのだと思う。

 知らず知らずのうちに、心が息を止めていたのだ。


 ああ、世の中って、こんなに広かったっけ?

 こんなに私を歓迎してくれるの?

 こんなに、こんなに、自由だったんだっけ?


 子育てしながら自由を謳歌できる人も大勢いる中で、
きっと、私は、不器用だったのだ。

 手ぶらじゃないと、自分らしく生きられないタイプだった。


 でも、今は違う。

 重い荷を負って、長い間歩き、
そして、荷を降ろして、手ぶらになった。

 手ぶらしか知らない自由人よりも、
より激しく自由を感じることができる。

 「ひとり」というものを、
「孤独」では無く、「身軽」と感じる。

 「孤独」に苦しんでいた若いころの悩みを、
重い責任を全うすることで、
自ら切り抜けたんじゃないか?

 家事、育児って、すごいな。ほんと。

 そして、きっと、仕事とか、介護とか、
世で重責と言われるものも、おそらく、
自らをより解放してくれるゲートになり得るのだろう。


 ああ!

 頑張ってきてよかった!


 子離れで「空の巣症候群」になっちゃうかも、と思っていたけど、
そうじゃなかった。

 次のステージに挑戦するモチベーションが上がってきた!

 なんだか知らないうちに、凄い経験値になっていたしね!



   (了)

 
(子だくさん)2015.5.5.あかじそ作