しその草いきれ 「心頭滅却すれば、火もまた涼し」
「心頭滅却すれば、火もまた涼し」
このことばを、子供の頃に初めて聞いた時、
私は、まだ10年ちょっとしか生きていなかったが、
人生の確かな手掛かりを得たような気がした。
大人げの無い大人たちに囲まれて育った私は、
どちらを向いても自分勝手な人間ばかりの環境に、
早くも絶望を抱いていたのだった。
家庭や学校や習いごとだけでできていた当時の私の狭い世界は、
「いかに相手を押しのけて自分の都合を押し通していくか」
という人間関係で囲いこまれていた。
そのことに違和感を感じていた子供の私は、
いつも遠慮なくそれを指摘するので、
「気難しくてかわいげのない子供」として
楽しい集いの輪から遠くへ押しやられ、、
自分の人生なのに、脇役を強いられているような状態だった。
どうしてパパもママも、すぐに殴ったり蹴ったりしてくるのだろう?
どうして、転校するたびに、わけもなくイジメられるのだろう?
どうして先生は、「このことは、親には言わないでね」と、口止めしてくるのだろう?
どうしてみんな、自分勝手なんだろう?
そんな日々の疑問に、その言葉は、
答えこそ与えては、くれなかったけれど、
「心や頭を静かに整えれば、どんな環境でも、心穏やかに過ごせる」
という、ノウハウを教えてくれた。
どうすれば助かるかは、教えてくれなかったが、
どう考えて過ごせば、楽に生きられるかを、
教えてくれたのだ。
自分が自分が、と、ぐいぐい押しているうちは、
何でもない出来事が、
次から次へと襲い来る炎の連続となる。
自分の欲を消し、他の為に生きれば、何も怖くない。
私欲が火を呼ぶ。
使命感が火を消すのだ。
世にあふれる私欲まみれの人々と、
何より、私自身の私欲の根っこが、
いまだに私の心に火を次々と運んでくるけれど、
「心頭滅却すれば、火もまた涼し」。
涼しく生きよう。
人を変えるより、自分から変わろう。
涼しく生きる清々しさを、打ち広めながら生きていこう。
涼しげに火の中を歩く美学を掲げて。
(了)
(しその草いきれ)2015.8.11.あかじそ作