「 人生は、仕事じゃない。生活は、ノルマじゃない 」


 子供が生まれてから、
私の人生は、「仕事」になった。

 子供の命を守るために、
自分のことを、
ひとつ、またひとつあきらめて、
最近は、何も望まなくなった。

 自分が頑張らなければ、子供が死んでしまう。

 いとしい子供を守らなくちゃ! 
 守らなくちゃ! 
 私が守らなくちゃ、誰も守れないんだから!!

 一生懸命に、必死に、無我夢中に、
頑張って頑張って頑張って、育てて、
振り返ったら、子供との蜜月の記憶は、
すっかり忘れ去られた。

 楽しいはずの家族との日々が、
ただただ「仕事の経歴」と化している。

 部屋を片づけなくちゃ。
 料理を作らなきゃ。
 家の修繕をしなければ。

 生活は、ただ、無事に今日を生きるための仕事。
 死なないための防御行為。

 一生懸命。必死。無我夢中。

 ああ、なぜ、夫は、父は、母は、友人は、
こんなに頑張っている私を、
変人を見るかのような目で見るのだ?


 力んで、力を入れて生きまくって、
限界を何度も超えて、
そして、これまで何度も何度も、
息が切れて、すべてがどうでもよくなった。

 うつ状態になった。

 そして、数十年かけて立ち直り、
また一から頑張り始める。

 ところが・・・・・・

 繰り返す、このガンバリズムの循環の輪が、
ある日突然、何かの拍子に、ぶっつり切れた。

 輪がほどけ、一本の、風にたなびく、ポップなチロリアンテープになった。

 ついに、ついに、ついについに・・・・・・

 弛緩、キタ――――――!!


  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 ヨガで「しかばねのポーズ」というのがある。

 仰向けに寝転がり、胴体から顔から、
手足の指先まで、全身に力を入れてビーンと突っ張る。

 「ギ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」

と、脳の血管がぶちぎれるほどに緊張し、
そして、突然、

 「フ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

と、脱力する。

 すると、力を入れる前よりも、力が抜ける。

 まるで、しかばねのようにダランダランになって、
リラックスの極致に達する。

 体中が凝り固まり、リラックスできない時にこれをやると、
頑張らなくても力を抜けるのだ。


 それが、今、私の人生に、やっとキタ!!

 極端な緊張生活からの、物凄い弛緩!



 あれ?

 なんだなんだ?

 なに必死こいてるんだ、私よ。

 子供を、家族を、生活を、
くそつまらない「仕事」にしてるんじゃないよ!

 子育てを「ノルマ」だなんて思ってちゃ、
子供は、たまったもんじゃないよ。
 ママの「お仕事」になんて、なりたかないよね。
 愛されたいだけ。愛したいだけなんだからね。

 料理? 食べたいもの作ろうよ。

 掃除? 要らないもの全部捨てちゃえば、楽になるさ。

 子供? 面白がって見守ろうぜ。

 夫? ほっとけ!!


 生活を、ただ生き延びるための仕事だとしか思えなかったら、
じゃあ、名前を変えようじゃないか。

 「暮らし」って言おう。

 「暮らし」って、めんどくさいこと、いやなことも、
楽しく感じちゃう魔法の行為。

 便利な道具使えばいいのよ。

 つらければ、休めばいいし。

 今まで危機感や義務感でため込んだ物は、
どんどん捨てちゃおう!

 部屋には、好きな物しか置いてなくて、
ガランガランの部屋にして、
短時間でサクサクお掃除して、
ガランガランの台所で、
サッサカサ〜、と適当に食べたいもの作って、
お気に入りの食器で、うまいうまいと味わって食べて、
楽な気分で日々を過ごそう。

 今まで50年近く、
私は、かろうじて生きては、きたが、
暮らしては、いなかった。

 きちんと「生活」していたかもしれないが、
楽しい「暮らし」は、していなかった。

 体は、生きていたが、心は、瀕死だったんだ。


 激しい緊張の人生は、ここらで終了。

 子供たちも大きくなったし、大仕事も乗りきった。

 頑張った、自分!
 ゴールだ、私!


 あとは、「暮らし」を楽しむだけだ。

 「しかばねのポーズ」で、生きるのみだぜ!




  (了)

(話の駄菓子屋)2015.9.8.あかじそ作