「 家とは、なんぞや 」


 台風の長い尻尾のような雲が、
関東北部と東北の上に、
筋状になって、何日も居座っていた。

 埼玉にある我が家は、9日夕方には床下に、
10日早朝には、玄関に水が入ってきた。

 もう、5〜6回目の床下浸水。

 近所には、床上まで上がってしまった家もたくさんあった。


 北関東の川は、あちこちで決壊し、
たくさんの街が、根こそぎ流された。

 家も、人も、暮らしもすべて、
一夜にして流されてしまったのだ。

 新築の家が泥流に流されていく映像を見ながら、
(命さえ助かれば、あとは、何とかなる!)
と思いながらも、やはり、現実問題、
消えてしまった住宅に対してのローンがごっそりと残される、
という現実が待っているのだ。

 我が家は、床下浸水で済んだけれど、
床下は、カビだらけで、木部は傷みまくり、
築36年で基礎のコンクリートや外壁にひびが入り、
大きく傾いた状態で、
まだローンが10年、1000万円も残っている。

 家のローンを滞らないようにするために、
切り詰める生活。

 もう、何カ月、果物を買っていないだろう。

 嗜好品を買うどころか、
新しい靴や肌着などを買う余裕など、全然無い。

 ああ、家ってなんなんだろう?

 屋根と壁があって、雨露をしのぎ、
電気とガスと水道があり、冷暖房を効かせ、
安眠をもたらして、家族を守る安全地帯。

 そう考えれば、
生活費を切り詰めてまでも、支払う価値があるものだ。

 しかし、この、物理的な「家屋」というものを保つために、
生活そのものに不自由を感じている事実も見逃せない。

 いや、貧しくとも、生活ができているのは、
そもそも「家屋」が保てているからではないか?

 自問自答しながら、「家」という「物」の意義を考え続けている。

 「家屋」という「物」の中に、「家族」と、その「生活」を入れている。

 「家屋」というのは、ハードで、「家族の生活」は、ソフトなのか?

 ハードあっての、ソフトなのか?

 一番大切な「ソフト」の入れ物=「家屋」というハードを守るために、
ソフトを犠牲にするのは、本末転倒ではないのか?

 ホームレスの心細さを解消するためのホーム。

 では、「ホームレスの心細さ」とは?

 借りて住む気軽さ。
 嫌になれば、すぐに移り住める。

 買って住む安定感。
 身に重くのしかかる経済的重圧。
 簡単には、移転できない束縛感。


 「家」って、なんなんだ?

 「家」って、どうなんだ?

 暮らしを守る「家」。
 暮らしを縛る「家」。

 台所を勢いよく転がるビー玉をぼんやり眺めれば、
私の心も、部屋の隅へとコロコロと転がって行くのだ。



   (了)


(話の駄菓子屋)2015.9.15.あかじそ作