「 一粒の砂のごとく 」



 千年以上生きている樹木や、
数千年以上前に作られた遺跡、
数万年前にできた山や川が、
今もまだ厳然として存在し続けているのを目の前にすると、
人は、自分がいかに小さい存在なのかを思い知る。

 他人と比べて、自分というものが、
微妙に小さいな、と思うと、結構めげるけれど、
自然という圧倒的な存在に対峙して、決定的に負け倒すと、
逆に勇気がわいてくるのは、なぜだろう?

 一生懸命に生きても、
ちゃらんぽらんに生きても、
数千年、数万年、数億年という天文学的な数字から見ると、
それに何も違いの無い。

 一粒の砂にも及ばないほど小さく、
一瞬のスパークにすらならない短い命を、
我々は、ああじゃないこうじゃないと迷いながら生きている。

 若いころのように、
自分の存在価値を日々問うようなことは、もうしていないけれど、
あきらめにも似た「なんちゃって悟り」を開いて、
毎日を遠い目で生きている。

 老人か!!

 どうせ一瞬の命なら、
楽しくニカッと笑って散ろうじゃないか。

 放っておくと、すぐに悲観的になってしまう自分の、
尻を乱暴に蹴飛ばして、
大声で笑いながら駆けだそう。

 中高年なめんな!!

 バブルの落とし子だぞ!

 無責任世代の両親に育てられ、
受験地獄とか、校内暴力とか、金妻たちが蔓延する、
イビツで、かたよった環境の中で大人になった、
歪みをはらんだ子供たちだぞ!

 一筋縄では、ないんだよ!

 生きるぜ!

 行きまくるぜ!

 一瞬を!
 一粒の砂のごとく潔く。



  (了)

(話の駄菓子屋)2015.10.20.あかじそ作