話の駄菓子屋 「自分が見ている」
 

 
 人からどう見られているかばかりを気にして生きていると、
確かに無事にその場にいられるけれど、
結果、自分の人生では、なくなる。
 
 誰でもいいことになる。
 
 空気を変えず、乱さず、
人に影響を与えず、
波風立たせずに今この時を過ごせればいいのであれば、
自分である必要ではない。
 
 無事、無難、無味無臭で透明に生き抜き、
周囲になんら影響を与えなければ、
叱られることもないし、嫌われることもない。
 
 そして、それは、自分自身の人生でもない。
 
 
 人間関係のめんどうな摩擦から解放されるだろう。
 
 気楽だ。
 
 誰からも見えない透明人間は、
 
 誰からも非難されないから、楽だ。
 
 誰からもほめられないから、淋しい。
 
 誰からも求められないから、虚しい。
 
 
 体こそ生きてはいるが、心は、死んでゆく。
 
 
 
 自分は、見ている。
 
 誰も認めてくれなくても。
 
 自分は、見ている。
 
 今日もあきらめずに生きたことを。
 
 
 ひとからの評価を乞い求め、心の乞食となるか、
いつも見てくれている自分に、今日の生きざまを見せるか、
どっちにするんだ?
 
 常に自分が自分を見ている。
 
 生きてきた道のりを語り合える、
これ以上の証人がどこにいるのか?
 
 
 
  (了)
 
 
 (話の駄菓子屋)2015.11.10.あかじそ作