「執念の皆勤賞」

 三男は、重症のアトピー性皮膚炎で、
3歳まで頬の皮膚がなかった。
 いつも赤い肉が剥き出しで、
じるじるとリンパ液がにじみ出ていて、
抱いている私の服の繊維が、べったりと貼り付いていた。
 すれ違う人は、みんな一瞬目を剥いて三男の顔を見て、
そして、慌てて目を反らす。
 中には、「うつるから」と言って、
自分の子供を、三男のそばから引き剥がす親もいた。

 幼児3人、しかもみんな男の子で、
みんな朝から晩までピーピーピーピー泣いている。
 公園に連れて行く気力もなくなり、
また、砂場の砂が、剥き出しの頬の肉にまぶされるのも
見ていられなかったので、自然と家に引きこもるようになっていた。
 
 3歳になると、アトピーは軽減してきたものの、
今度は喘息発作をひっきりなしに起こすようになり、
夜中や明け方に、救急病院に駆け込む毎日が続いた。

 そして、幼稚園入園。
2年保育で、年中から入ったが、
アカンボが生まれてばたばたしているうちに、
三男が、一年間、一回も欠席していないことに、
年度末になってから気がついた。
 年度末の終了式のとき、クラスで3人だけ、
皆勤賞をもらった。
 教室の前に出て、担任の先生から、
大きな賞状をひとりひとり受け取った。
 三男は、非常にシャイな男で、ふてくされたように賞状を受け取ったが、
その頬には、つやつやとしたピンクの肌があり、窓から差す朝日を反射して、
ぴかぴか光っていた。
 私は、胸の奥から、突然熱い塊が突き上げてきて、
涙がどおどお出てしまった。

 今年、年長に進級し、いつものように自宅の前で幼稚園バスを待っているとき、
いつもクールでノーコメントの三男が、
「ことしも、かいきんしょうを、とる」
と、ぶっきらぼうに言った。
 私は、黙って何度もうなづいた。
(了解!)
と、心の中で敬礼していた。

 幼稚園在籍中、一度も休まなければ、
卒園式のとき、舞台に上がり、園長先生から絶賛され、
会場のみんなから、盛大な拍手を受けるのが、恒例なのだ。
 あの大拍手を、彼に浴びせてやりたい。

 長男と次男は、皆勤賞など程遠かったし、
私自身、「休まないこと」が、そんな偉いこととは思えなかった。
 でも、今回は違う。
 この皆勤賞は、この子と私の、これから生きていく為のお守りになるはずだ。

「皆勤賞! 皆勤賞!」

 念仏を唱えるように、眠りについた日、夢を見た。

 起きたら、10時半なのだ。
 完全に遅刻だ。
 幼稚園バスも当然いない。

 私は、三男を自転車の後ろに乗せ、全速力で走るのだが、
強い向かい風に向かっているように、まるで進まない。
 泣きながら、叫びながら、必死で自転車を漕ぐが、
気がつくと、もう夕方だった。

「私のせいで・・・・・・欠席してしまった!」

 私は、絶叫し、頭を抱えた。
三男は、「もういいよ」と、投げやりに言った。

「ちょっと待って! 忌引きってことにしよう!」

 私は、便箋を取り出し、

【突然、親戚の年寄りの病状が急変しました。
 明け方に駆けつけ、親戚一同、必死で看護しましたが、
 願い虚しく亡くなりました。
 そんなわけで、連絡できませんでした。
 だから、忌引きです!
 死んじゃったので、忌引きです!
 欠席ではなく、断じて忌引きなのでありますっ!】

 と、いう主旨の手紙を書こうと思った。

 ところが、嘘をついている後ろめたさから、
何度も何度も書き損じ、10枚書いても20枚書いても、
全然ちゃんと書けない。
 やっと書けた、と思ったら、三男の名前でなくて、
長男の名前を書いていたり、よく見ると、

【皆勤賞が欲しいので、忌引きなのでございます】

なんて、余計なことまで書いてある。

「ああ〜〜〜〜〜っ! なんで書けないの〜〜〜っ!」

と、絶叫し、自分の声で目が覚めた。
 朝6時だった。

 本当に泣きそうになった。
 三男は、横ですやすや眠っている。

 私が、その寝顔をじっと見ていると、三男はその気配で目覚め、
「おかあさん、おちつきなさいよ」
と、ねぼけて言った。

 ああ、そうだった。そうだった。
あんまりナーバスにならないで、皆勤賞の事など忘れて、
毎日、元気に過ごしていこう。

 寝汗が冷えて、ぶるぶるぶるっ、となった。






子だくさん) 2002.04.23 作 あかじそ