しその草いきれ 「20年間のパニックから覚めて」
 
 

 ここのところ、ホームページの更新をしていなかった。
 
 そもそも、言いたいことも、訴えたいことも、
何も無くなっていたのだった。
 
 
 4歳、2歳、0歳の乳幼児を抱えて、
団地の下の階から日に30回もの
「子供がうるさい」という意味の無言電話に耐えていた20年前。
 
 親からは、「もうこれ以上手伝えない」と断られ、
夫は、仕事で連日夜中の帰宅、
ママ友を作ろうと努力もしたけれど、
結局、肉体的にも精神的にも追い詰められてしまった。
 
 そんな時、わけもわからず引っ越した、築18年の中古の一戸建て。
 
 しばらく空き家になっていて、
外装も内装も、ボロボロだった。
 
 こんなお化け屋敷、誰が住むんだ、という物件を、
個人でやっているインチキくさい不動産業者に、
半ば強引に仲介され、2000万円で購入した。
 
 夫の収入では、どの銀行でも融資されないということで、
インチキ不動産屋は、信販会社の利率の高い住宅ローンを組み、
強引に購入にこぎつけ、
「黙って100万払えば、全部修繕してやるよ」
と、ローンの中にリフォーム代を勝手に組み込んで、
頼んでいもいない床やクロスの直しをやってしまった。
 
 とにかく、その当時、
夫は、学生気分で何も考えておらず、
生活については、すべて私まかせ。
 
 私は、ぜんそく持ち&癇癪持ちの3人の息子たちの世話に翻弄され、
生きているのがやっとの状態。
 
 海千山千のインチキ不動産屋にとって、
こんな思考力ゼロの状態の夫婦をだますなんて、
朝飯前だっただろう。
 
 彼から強引な内容の契約書を突き付けられ、我々が押印を渋ると、
彼は、突然、恐ろしい声で
「冷やかしじゃないだろうなあ?!」
と、すごむので、
「ひ〜〜〜」
と、震えあがりながら契約してしまった、という始末。
 
 そんなこんなで、20年前、わけのわからないまま、
泣き叫ぶ3人の乳幼児をおんぶや抱っこをしながら、
おくれ毛ボーボーで、電車で引っ越してきた、この家。
 
 私は、常にベストを尽くしてきたつもりで、
仕事も、子育ても、学校の役員も、町内会の班長も、
ひとりで必死に頑張ってきたので、
すっかり、「必死なおばさん」と化してしまった。
 
 夫の失業、転職、
子供の病気、怪我、入院、学校でのトラブル、
自分の妊娠、出産で、さらに二人産み育て、
とにかく、必死じゃない時が無かった。
 
 子供の成長を楽しむ、とか、
自分の人生を謳歌する、とか、
そんなものは、全然無縁の20年だった。
 
 その間、ほとんど口を利かなかった夫。
 常に必死で緊張状態にある私から、
自分の身を守るために、避けて回っているように見えた。
 
 そういう態度に怒って、夫に激昂し続けた20年でもあった。
 
 
 「パニック」。
 
 そう、20年間もの間、私は、パニック状態だったのだ。
 
 
 40歳目前で産んだ末っ子の長女も10歳になり、
近所の悪ガキに、
「おまえんち、ボロボロだし、お父さんは、キモいし、お母さんは、シワシワだな!」
と、からかわれることがあった。
 
 長女は、笑いながら、
「気にしないけど、頭にきたよ!」
と、言った。
 
 彼女は、優しいので、そう言ったが、
しかし、気にしていないわけがない。
 
 私は、その時、強く意識したのだ。
 
 この子に、罪は無い。
 いわれの無い中傷など、受ける義務も無いんだ。
 
 家を、きれいに直してやろうじゃないか!
 
 知らない間に年をとった私たち親も、
若返ることはできないまでも、
せめて小ぎれいな身なりをしようじゃないか!
 
 金は無いけど、できることは、やろう。
 
 購入当時、築18年のお化け屋敷で、
今は、更に年季の入った築38年。
 
 地盤がゆるくて、不同沈下を起こし、
毎年、台風のたびに床下浸水になる、
末期的状態の古家だけど、
直したる!
 
 できることから、少しづつ、直していくぞ!
 
 5人の子供たちは、みな成長し、
長男は、ハウスメーカーの現場監督2年目、
次男は、今年、印刷製本会社のデザイン部門に入社、
三男は、工務店で内装大工2年目、
四男は、バイトをしながら幼稚園教諭を目指してピアノとギターを練習する高2。
長女は、理系の仕事に就くことを目指す小5だ。
 
 全員いい子に育ってきてくれたけれど、
困ったことに、全員収集癖あり。
 
 2階の子供部屋は、2段ベッドを2台詰め込んだ洋間で、
男子4人の寝室になっているのだが、
各自勝手に購入してきた服で足の踏み場も無い。
 
 1階の子供部屋は、男子4人の机と本とマンガ、
趣味のスケボーやスノボー用品、
山盛りのディズニーグッズ、ギター数本と、電子ピアノ、
ドラムのスティック数十本と、テニスのラケット数本、
オシャレ小僧の四男の、趣味の観葉植物など、
6畳間に家一軒分くらいの荷物が詰め込まれている。
 
 6畳の茶の間には、長女の机とたんすと棚が、
部屋の半分を占め、
事実上、左半分が長女以外立ち入り禁止状態となっている。
 
 物が多すぎて、家の床が抜けるんじゃないか。
 
 実際、毎年くりかえされる床下浸水のせいで、
床下は、カビがはびこり、
根太が腐って、あちこちで折れて、ベコベコしている。
 
 本当にヤバい。
 
 私がパニック状態だった20年の間に、
この家は、危機的状態まで追い詰められていたのだ。
 
 
 さて・・・・・・
 
「2017年の正月は、古いが、手入れの行き届いた家で過ごす」
 
 これを目標に、パニックをようやく脱した私は、
一個一個、家のリフォームを始めたのだった。
 
 まず、手始めに、外から来た人から一番目に付く、
家の外側を手入れすることにした。
 
 20年前、夫の母が、金沢から来た時、
あまりにボロ家だったのに驚き、
外装塗装と、新しいベランダを設置する資金を出してくれた。
 
 おかげで、しばらくは、見違えるようにきれいだったが。
20年経つと、もう、木部のペンキがはがれ、
傷みが目立つ。
 
 とりあえず、木部、つまり、雨戸の戸袋を中心に塗装することにした。
 
 ホームセンターで、ペンキと刷毛、
養生のためのマスキングテープやビニール、ブルーシートなどを買ってきた。
 
 色は、長女の意見を取り入れて、
洋にも和にも合う、ブラックチョコレート色だ。
 
 20年前、赤茶色に塗った木部。
 今見ると、家全体が、ちょっと安っぽく見えて、時代遅れだ。
 
 よし、塗ろう!
 
 戸袋と、その周りの窓枠の数は、合計8か所。
 
 しかし、一か所だけ、
2階の西側は、足場が無いので、塗るのは、断念。
 
 百歩譲って、窓から手を伸ばして、
まだらに塗装することはできても、その前のマスキングができない。
 マスキングしないで塗ったら、
そこいらじゅう、ベチャベチャとペンキで汚れてしまうので、
逆に壁が汚れてしまう。
 
 「高所での危ないことはやめてくれ」
と、現場監督の長男から言われているので、
ここは、プロの意見を素直に聞いて、あきらめることにした。
 
 それ以外の7か所を、塗る。
 
 実際、塗装よりも、その前のマスキングの方が、時間も手間もかかる。
 
 塗ってはいけないところを、テープやテープの付いたピ二ールで覆うのだが、
その貼ったところが、塗装の境目にもなることもあるので、
いい加減に貼ると、仕上げが汚く曲がったり、にじんだりしてしまう。
 
 一か所につき、ケレン(塗装面の掃除)やマスキングに1時間半、
塗装に1時間掛かった。
 
 本当は、2回塗りしたかったが、蚊が出てくる前に終わらせたかったので、
(私は、恐ろしく蚊に刺されやすいのだ!)1回塗り用のペンキを選んだ。
 
 1日3時間を、7か所。
 
 天気のいい日を選んで、配達の仕事の後に塗った。
 
 それが、今年の1月〜2月。
 
 
 次に、1階のトタンの屋根を塗装することにした。
 
 それほど目立ちはしないが、やはり、ところどころ錆びていたので、
屋根に上ってデッキブラシでゴシゴシ掃除し、
(本当は、高圧洗浄機でケレンしたかったが、食費がかさんで買えなかった。
ちなみに、リフォームの予算は、生活費をやりくりして叩き出しているのだ!!)
まず、トタン用のさび止めを塗装した。
 
 これが、結構怖い作業であった。
 
 広い面は、すいすい歩いて行けたが、
ベランダの設置してある所は、30センチしか足場が無く、
つかまる所さえ無い場所で、屋根の縁から頭を下げて塗る時は、
生きた心地がしなかった。
 
 それを実家の父に言うと、
「ひとりの時に危ない作業するな! 落ちても誰にも気付かれないだろうが!」
と、叱られた。
 
 父は、現役時代は、某電話会社で保全工事の仕事をしていて、
日曜大工も、かなりの腕前だ。
 
 私がDIYの趣味を持つのも、
幼いころから父の手伝いをしてきたためだと思われる。
 
 さて、さび止めを塗り終えた後、
しばらく雨の日が続いて、作業が止まってしまった。
 
 その間、高所作業の危なさを家族に繰り返し諭されているうちに、
すっかり屋根の塗装が怖くなってしまった。
 
 しかし、さび止めを塗った後、
これから本チャンのペンキを塗る作業があるのだ。
 
 今、心が折れたら、中途半端なところで工事が止まってしまう。
 
 私は、自分を鼓舞しながら再び屋根に乗り、
一回塗り用のペンキ(やはりブラックチョコレート色)を塗った。
 
 長女がどうしてもやってみたいと言うので、
危なくない場所を塗ってもらった。
 
 意外と上手で、安心してそのパートは任せられた。
 
 かつて、家の修繕を、夫に頼んで、
修復不能のぐちゃぐちゃにされてしまったことがあったので、
病的に不器用な夫には、二度と任せないことにしたのだが、
長女という頼りがいのある助手ができて、
正直助かった。
 
 いつも、急におっくうになって、
全てを投げ出してしまう私の性格をよく知っていて、
定期的にテコ入れしてくれるのだ。
 
 さて、落下の危機を何度も乗り越えて、
何とか屋根の塗装も終えた。
 
 これが、3月のことだ。
 
 さて、4月になり、我が家の日陰がちな庭に、
早くも蚊がウジャウジャ集まり始めた。
 急がねばならない。
 
 仕事が休みでゴロゴロしている、
建築のプロである長男や三男に、
ちょっと手伝ってもらいたい、と声を掛けるも、
彼らは、揃って、
「仕事で現場仕事してるから、休みの日は、やりたくない!」
と言う。
 
 まあ、職場では新人で、
現場仕事で気苦労している彼らが、
休みの日には、全然違うことをして気分を変えたい、
と言うのも、わかる。
 
 ぶつぶつ文句を言いながらも、
彼らを頼りにするのは、やめた。
 
 しかし、要所要所、プロの意見を聞いてみると、
監督の仕事をする長男は、やはり監督目線のアドバイスをする。
 
 「お母さん、ここの養生が甘かったから、仕上げが残念だったね」
と、チェックばかりして、命がけの作業をしたアラフィフ女性をほめてくれもしない。
 
 三男は、大工で、内装の職人なので、
失敗箇所を見ても責め立てるようなことはしなかった。
 
 その代わり、
「こういう所は、こういう風に工具を使うと、うまく加工できるよ」
と、作業のやり方を丁寧に教えてくれる。
 
 さすがだ。
 
 そこで、「ちょっと、ここ、やってみせて」と頼むと、
「疲れてるから勘弁」と言って、決して手伝ってくれない。
 
 んも〜〜〜〜〜!!!
 
 
 さあ、そろそろ、庭に取りかかろう。
 
 今年も台風が来て、また床下浸水を起こすに決まっている。
 
 その前に、何とか床下通気口の周りにミニ堤防を築かねば。
 
 しかし、どうやってやろう。
 
 ネットで調べると、床下通気口用のふたも売っているが、
古い我が家の規格には、合わないようだ。
 
 ブロックを2段重ねて囲む方法を見つけ、
とりあえずやってみようと、地面に這いつくばって床下通気口を覗いてみると、
なんと!!
 
 基礎が割れている〜〜〜〜〜!!!
 
 前々から家が傾いて、不同沈下していたのは知っていたが、
あちこち基礎が割れていて、
家が無事建ち続けることも危ない状態であることには、
正直、頭がくらくらしてきた。
 
 水が入らないように、という前に、
家が倒れちゃうじゃないか!
 
 どうしたものか、と悩んでいた時に、
熊本で大きな地震が起こった。
 
 多くの古い木造2階建ての家の、一階部分が潰れてしまった。
 
 まさに、我が家も、その危機に瀕しているのを実感し、
青ざめてしまった。
 
 これは、貯金をはたいてでも、業者に頼んで、
基礎を布基礎(土むき出し)からべた基礎(コンクリ敷き)に直すべきか。
 
 しかし、貯金が足りない。
 
 25万〜180万円で、部屋の中に耐震シェルターを設置する方法もある。
 
 また、もっと安価な耐震家具を置いて、
最低限、身一つ、2階部分の直撃を避けるだけに留めるか。
 
 耐震補強工事は、自治体から補助金が出ることもあるが、
300万円とかかかると聞くと、
「やはり無理か・・・・・・」
と、放心してしまう。
 
 どうしたものか。
 
 自力のリフォーム工事は、
未曾有の地震がショックで、一回、頓挫しかけているのだが、
またもや、しっかり者の長女がひと言、
「お母さん、今は、困っている人に寄付しよう」
と言って、また私を奮い立たせてくれた。
 
 さて、どうなる?
 
 いや、どうする?
 
 この計画!
 
 
 (つづく)
 
 
 
 (しその草いきれ)2016.4.19.あかじそ作