「大津さんのこと」

 小学6年の時の修学旅行で、飯士山(いいじいやま)という山に登った。
 その山には、高い木がほとんどなく、したがって、日陰がないため、
真夏の登山は、相当きつかったのを覚えている。
 

 さて、学校というものは、どうして何かにつけて、こう、
「目標」だの「めあて」だのを設定したがるのか知らないが、
今回の山登りでも、「目標」を設定すべく、事前に学級会が開かれた。
 登頂には、小学生にとって、多少の頑張りが必要な高さだった。
 だから、毎年3分の2の児童が挫折して、途中で引き返して降りてしまうという。

「それぞれの力でがんばる」
「自分の持つ力を全部出す」
など、小学生らしい、清く正しい目標がいくつか提案され、
黒板に書かれていった。
 私は、自慢じゃないが、運動神経ゼロなのに、
「全員頂上に立つ」
という目標を提案してみた。
 と、一斉にブーイングが上がり、
「また優等生ぶりやがって!」
「強引なのよ!」
「そういう自分は、頂上まで行けるのかよ!」
と、非難轟々だった。

「あくまで目標は高く持った方がいいと思います」
と言う私に、今まで黙って見ていた担任の若い男の先生が、突然大きく拍手をした。
 つられて、何人かが拍手をし、大勢がしぶしぶ拍手して、私の出した目標が採用された。
 教室の後ろの方で、中学生くらいに見えるほど、
体が大きく、胸の大きな女子たちが、こそこそと耳打ちをし合い、私を睨んだ。
 いつものことだ。
 にらまれている私は、低学年に間違えられるほど、胸のぺッタンコなチビスケなのだった。

 
 登山当日は、いやになるほどピーカンだった。
 真夏に着たことがないような、分厚い長袖長ズボンを全員が着せられ、
軍手までして、もう、それだけでうんざりだった。
 頭にはタオルをかぶり、その上に麦藁帽子をかぶった、
アリの行列のような総勢120名が、一列になって山をつらつらと登り始めた。
 私のクラスは3組で、最後尾で行列を眺めながらの出発だった。

 ちょっと登ると、私は、もう後悔していた。
「全員頂上に立つ」なんて、何で言ってしまったんだろう。
 苦しいのだ。
 暑いし、息苦しいし、足は痛いし、汗で全身ずぶ濡れだし、もう、本当にイヤになった。
 前のクラスの何人かが、へらへら笑いながら降りてくるのとすれ違った。
「かったるいよねー」
とか言いながら、テレビ番組の話なんかしながら降りてきている。

 私は、なぜか腹が立ち、何が何でも頂上に立ちたいと思った。
 景色がぐるぐる回り、汗が目に入り、あごからしたたり落ちて、もう限界、
と思っていたら、
担任の先生が、
「あと、はんぶ〜ん!」
と、大きな声をみんなに掛けた。
「ええ〜〜〜〜〜〜〜っ!」
と、みんな声を上げたが、私は、もう声も出なかった。
 あごを出し、「はあん、はあん」と、裏声であえぎながら物凄い小股で、
ちょびっとづつ、登っていた。

 先生は、自分の来ていたシャツを思い切り脱ぐと、
くさむらの中にざざざざ〜、と汗をしぼった。
「お〜い、赤木〜、生きてるか〜!」
 先生は、豪快に笑ったが、私は、リアクションもできなかった。
「完全にやばいな」
 先生は、また笑った。
周りのみんなも笑った。
 クラスの中で、私が一番ヤバイ状態なのがわかった。

 もう本当に限界だった。

 挫折組も激増し、登り続けるよりも、降りる勇気の方が貴いような気がしてきた。
(もう、絶対に限界!)
 そう思って立ち止まった時、クラスの男子が、
「目標思い出せ」
と私の耳元でささやいて、私を追い越していった。

 もう少しだけ、登ってみることにした。

「8合目まで来たぞ〜〜〜、がんばれ〜〜〜!」
 先生は、みんなに声を掛け、みんなも、細い声ながらも、
「お〜〜〜〜〜〜っ!」
と、答えた。

 私は、と言うと、もう、泣いていた。
泣きながら、あえぎながら、とぼとぼと足を動かしていた。

「赤木〜、がんばれ〜」
 先生の励ましがいちいち癇に障り、ジロッと睨み返すと、
「こえ〜」
と、先生は肩をすぼめた。

「頂上が見えたぞ〜!」
という先生の声で、やっと少し元気が出てきた。
 頂上には、すでに到着して、水筒のお茶を飲みながら、
「ヤッホー」などと笑って叫んでいる者もいる。
 
(あと少しあと少しあと少しあと少しあと少し)

 その少しが、なかなかたどり着けない。
そして、永遠かと思うほどの「あと少し」の挙句、最後の一歩にたどり着いた。
 頂上に腰掛けた1組の男の先生が、
「軍手取りな」
と、私に静かに微笑んだ。
 私は、わけがわからないまま、軍手を外すと、先生は、
私の手のひらを取って、マジックペンで、大きく花丸を描いた。
 私は、ハッとして先生の顔を見上げると、
「よくがんばったな!」
と、先生も、そばにいた知らない子達も拍手してくれた。
 気がつくと、私の後ろには誰もいなかった。
 私が最後の登頂者だったのだ。

 頂上は、6畳ほどの広さで、そこには、30人くらいの子供たちが
ギュウギュウになって座っていた。
 しかし、そのどの顔も晴れがましく、会話はなかったが、
気持ちのいいムードが漂っていた。 

 途中で水を飲むとお腹が痛くなるから、ということで、
頂上まで水筒の水を飲むのは禁止だった。
 だが、もう、喉が渇いて死にそうだ。
 私は、震えながら水筒のフタを開け、コップに注いだ。

「あっ!」

 ごくごくと飲もうと、口を寄せた、そのお茶の中には、
キラキラと銀色の破片が無数に舞っていた。
 魔法瓶の内側が、途中で割れてしまったのだ。

「誰か・・・・・・お水ちょうだい・・・・・・」
 やっと声を出して周りの人に言ってみたが、みんな一気飲みしてしまって、
全然余分の水はなかった。
 私は、絶望的な気分で唾を飲み込んだ。

 そのとき、背中をトントン、と軽く叩かれて、振り向くと、
同じクラスの大津さんが笑っていた。
 大津さんは、やせっぽちで、くるくると丸い目をして桃をひとつ、私に手渡した。

「これ、くれるの?」
 私が言うと、
「食べな」
と、言った。
 2年間も同じクラスだったのに、このとき初めて口をきいた。

 私は、お礼もそこそに、桃の皮を剥いた。
しかし、実にくっついていて、皮がなかなか剥けない。
「皮ごといっちゃえ!」
 大津さんが言ったので、私は、桃にむしゃぶりついた。

 プチッ、と甘い汁が口に広がって、貼りついていた喉の筒が、
水分で少しづつパリパリと開かれていった。 
「あまい・・・・・・」
 私は、そう言って、大津さんの顔を見た。
 ふたりで、少し笑って、下の方に広がっている町の景色を眺めた。

 帰りは、大滑り台大会だった。

 夕焼けに染まりながら、急な山道を、みんなでずりりりりりりり〜、
とお尻で滑って降りていった。
登りはあんなにきつかったのに、くだりは、笑いながら、すぐに終わってしまった。
 大津さんの背中を見ながら、土まみれになって滑っているうちに、ふと考えた。

 私は、学級委員で、目立ちたがりで、
いっつもみんなの真ん中にいたつもりだった。
 一方、大津さんは、ほとんど居るのか居ないのか、わからないほど影の薄い人だ。
 私は、正直、自分は、大津さんより偉いと思っていたのだ。
 しかし、苦しい山登りをして、狭い頂上に登ったら、
私は、みんなの真ん中じゃなかった。
端っこの端っこだった。
 そして、いつも端っこの大津さんが、私を引き寄せてくれた。
 みんな自分のことで精一杯で、一滴の水もくれなかったのに、
大津さんは、ニコニコしながら桃をくれた。

 何か、頭の中を全部取り替えられたような感じがした。
 心が一気にスカスカになって、そして突然、たっぷりと何かが満ちた。

 平らなところまで降りてきて、立ち上がると、私のリュックから、
敷物やら弁当箱やらがなだれ落ちた。
 山肌を滑っているうちに、リュックの底が摩擦で抜けたのだろう。
 
 私と大津さんは、ゲラゲラ笑った。
「水筒も割れちゃったし、リュックも底抜けた!」
「みんなぶっ壊れた!」
「あっははははははは〜〜〜」

 宿に戻り、仲良しの友達と風呂に向かう途中、
クラスのヤンチャ坊主とすれ違いざまに言われた。
「お前、ちゃんと頂上まで登ったんだろうなあ!」
 私は、あごを突き出し、ふんぞり返って自分の手のひらを彼に見せた。
 私の手のひらの花丸を見て、彼は、驚き、そして、笑って、
「ほらっ!」
と、自分の手のひらをこちらに見せた。

 そこには、やっぱり大きな花丸があった。

 その後、風呂に入って、すぐにその花丸は消えてしまったけれど、
今でもその花丸は、この手のひらが覚えている。
あれ以来、教室で大津さんと話すことはなかったけれど、
私は、大津さんのことを一生覚えているだろう。
 花丸と共に。


              (了)


(青春ってやつあ) 2002.05.10 作 あかじそ