「要求されたタスクは完了しました」

 午前2時半に起きて、朝刊の配達をし、
明るくなってから帰宅する。
 夫の朝食を準備し、昼食の仕込みをし、
身支度をしてビル掃除の仕事に出かける。
 朝8時から11時までの3時間、
7階建てのビルを3人で掃除して、作業着のまま帰宅。
 家に帰ると、朝食の食べ散らかした後が
テーブルの上に散乱し、夫の姿はない。
 街道沿いの、いつものパチンコ屋に行ったのだろう。
 昼食の支度をして、テーブルに並べ、
ラップをかけ、自分は、ささっとその辺のものを食べて、
次の仕事に出掛ける。
 
 こんな生活が20年続いている。
 私はもうすぐ60歳になる。

 夫は、若いころは結構腕のいい左官職人だったが、
景気が悪くなるとともに、素行も悪くなっていった。
 親会社が、「コストを削れ」だの、「材質を落とせ」だのと
夫に細かく口を出し、職人のプライドがどうとか言って、
次々に仕事を蹴った挙げ句、どこからも見放されてしまい、
仕事を失っているのだ。

 夫は、「失業ではない」と言う。
 仕事を選んでいるのだそうだ。

 こうして、私は、子供が小学生の頃から、
パートを掛け持ちし、一日中働いて、
家族の生計を立ててきた。
 最近は、独立した息子たちからプレゼントされた
パソコンに向かい、人差し指で画面に向かって
見知らぬ若い人たちとメールで世間話をするのが日課になっている。

 昨日、私は、20年勤めた食品会社を正式に解雇された。
 その会社は、大手食品会社で、パートとはいえ、
潰れることはないので、安心して勤めていたが、
扱っていた精肉の産地をごまかしていたことが明るみに出て、
会社自体が解体されることになったのだ。
 
 同僚たちは、まだまだお金のかかる子供を抱え、
次の就職先を急いで探していたが、
長年この会社に勤めていたことが知られると、
採用は一瞬で断られるという。
 
 我々従業員は、不正を知らず、
ただ真面目に働いていたのだが、
食品の安全性や信頼を失墜させた加害者として、
ひどい言葉を浴びせられて帰ってくることになる。

 私は今まで、何に対してもあきらめず、
前向きにやってきたつもりだ。
 夫が仕事をせず、日々、悪態をついても、
こうして毎日元気に働けることをありがたく感じ、
天に感謝して生きてきた。

 しかし、今回の解雇で、全身の力が抜けてしまった。
何十年も張りつめて頑張ってきたものが、
プツンと切れてしまった。

 たかがパートだが、自分にしかできない仕事もあった。
 生き甲斐とまでは言わないが、
仕事だけが、倒れそうな私の心のつっかえ棒になっていたのだ。

 私は、夜のスナックの厨房の仕込みを終え、
深夜に帰宅し、夫が残したものをボソボソとかじって、とこに入った。

 私はもう、やるだけのことはした。
 子供も育て上げたし、夫と自分の年金もすべて納めた。
 このまま私がこの家から消えても、もういいだろう。
 
 ―――――と。
 
 ふと思い出して布団を抜け出し、
真っ暗な部屋でパソコンを立ち上げ、
メールのチェックをしてみた。
 昨日、岩手に住むという若い母親に、
メールで離婚についての相談をされ、
返事を送っていたのを思い出したのだ。
 
 彼女からメールは来ていなかった。
 誰からも、メールは来ていなかった。
 
 何度クリックしても、新しいメールは来ておらず、
「要求されたタスクは完了しました」という決まり文句が
何度も繰りかえし表示された。

 私は、彼女に対する自分の返事を読み直してみた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
 みゅんさんの事情は、
よく聞いているのでわかっています。
 私からは、「離婚しなさい」とか、
「もう少し我慢しなさい」とは言えませんが、
20年後、みゅんさんが、
「これで良かったんだ」と思える選択をすることが
大切だと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 私は、自分の、人様への忠告に胸を突かれた。

 私に20年後があるかわからないが、
20年後の私が「これでよかったんだ」と思える、
今の自分でありたいと思った。

 私は、すぐにパソコンのスイッチを切り、
身の回りの荷物を大きなバッグに詰め込んで、
真っ暗なオモテに出た。
 
 私に要求されたタスクは、すべて完了したのだ。


                 (了)


(小さなお話) 2002.05.16 作 あかじそ