「 誤飲 」

 私が小学校低学年の頃、「パパゲンなんとか」という
オレンジ色の粉のラムネ菓子のような甘い甘い風邪薬があった。

 1回一袋なのだが、あまりに旨いので、
「もう一個もう一個」
と、いつもねだっては母親に叱られていた。

 ある日、両親が小さい弟を連れて、どこかへ出掛けると言うが、
「リカちゃん、お留守番するよ〜」
と、幼いながらも、あるひとつの企みを以って言ってみた。 
  
「じゃあ、いい子にしていてね」
と、あっさり両親は私を置いて出て行った。

 さあさあ、これでバッチリ。
あの美味しいパパゲンを食べちゃおう、
と、私は、親が玄関を出た直後に、あるタンスの前まで走った。

 パパゲンは、子供の手が届かないように、とタンスの上に置いてあったが、
私は、迷わずタンスの引出しを下から順に次々引き出していき、
その臨時階段を登って、難なくパパゲンを手に入れた。

 パパゲンは、ピンクの可愛い四角の缶に入っていて、
どう見ても美味しいお菓子なのだった。
 ふたを開けると、四角く平たい透明ビニールがふたつ綴りになっていて、
中央に切り取り線の付いたものが、いっぱい重なって入っていた。

 中でサラサラと揺れる甘い粉。

 私は、すぐにふたつつながった袋を切り離し、
一袋を開け、上を向いて口の中にサラサラサラ〜、と
粉を注ぎ込んだ。

「あま〜い!」

 私は、続けてもう一袋開け、同じように口に注ぎ込んだ。

「1回一袋よ!」
と、母の声が耳の奥で聞こえたが、
1日3回まで飲めるんだから、今日は3袋飲んでダイジョブだろう、
と思い、立て続けに3袋食べた。

 今日の分は、もうおしまいだけど、缶の中には半端な一袋が残ってしまった。
 これではバレル、と思って、急いでその半端な一袋も口に注いだ。

 その一袋が妙に旨くて、もう、どうにも止まらなくなり、
「ダメ、って言われてるけど、黙ってりゃいいや」
と、缶の中の20袋くらいを全て、頭を真っ白にして一気に食べきってしまった。

 ふたを閉め、元のタンスの上に戻して、引出しもしっかり閉めて、
これで親がいつ帰ってきても大丈夫だ。
 バレないだろう。

 両親が帰ってきて、母は、「いい子にしてた?」と聞いた直後、
ハッとして例のタンスの前まで走った。
 缶を開けて叫び、畳の上に散らばった無数の透明の開き袋を見て
また叫んだ。

「アンタッ! これ全部食べちゃったの?!」
 母は、異常に釣りあがった目をして、私の両肩をギチギチに掴み、
どさどさどさどさ揺らした。

「食べてないも〜ん」
と、私はシラバっくれたが、母は、その返事も聞かずに
私の腕を掴んで台所に引っ張っていき、コップの水を私の口にぐいぐい押し付
けてきた。

「ただの水じゃダメだ、塩水塩水!」
 父がコップに大量に塩を入れ、二人して怖い顔をして
無理矢理私の口にコップを押し付け、鼻をつまんだ。

 飲もうと思っても、それじゃ飲めない。
ふたりの異常なテンションに押されて、私は、呆然としながら
口の端から塩水をだくだく流し出していた。

「ダメだ! こいつ全然飲んでないぞ! 何やってんだ!」
 父が母に怒鳴りつけ、母は、ますますキッとなって、
「リカ! 死んじゃうんだよ! 早く飲みなさい!」
と、叫んだ。

 私は、今度はコップを渡されて、オエッとなりながらも素直に飲んだ。
 一口かふた口飲んで、「もういらない」と、コップを返そうとすると、
「全部飲め!」と怒鳴られた。
 半べそをかきながら何とか全部飲むと、今度は、父の小脇に抱えられ、
庭に連れて行かれて口の中に思い切り指を突っ込まれた。
 ベロの奥に2、3本の指をぐいぐい押し付けられて、
私はゲエゲエと吐いた。
 最初は透明な塩水だけが出たが、そのうち、世にもおぞましい紫のどろどろ
の液体がたんまり出てきた。
 
 何度吐かされても、その紫のどろどろは、いくらでも出てきた。
そして、もう何も出なくなったとき、うちの庭は、見たこともないような気味
の悪い紫色に染まっていた。

 泣きながらぐったりと床に倒れている私の背中を、母は思い切り叩いて、 
声にならない声で何かを叫んだ。

 いつもうるさい父は、何も言わなかった。
 誰も私を叱らなかった。
 
 もう、誰も何も言う必要はなかったのだ。
 黄色いタンポポが敷物のように広がっていたこの庭が、
ねっとりと紫色に染まったのを見ただけで、
みんな、それがどういうことか、よくわかった。
 
 私は反省していた。
薬は怖いと思った。

 父も母も、私以上にそう思っていたようだった。
それ以来、うちにパパゲンの缶がやってくることは二度となかった。


(しその草いきれ) 2002.06.09 作 あかじそ