「 恐れ入りやの一週間 」

 思い出そう。
 私たちは神様なんかじゃなく、
頭でっかちな動物なんだってことを。

 スイッチをパチッと入れれば
明るくなるし、ご飯は炊けるし、ゴミは吸い取るし、
服は洗えるし、テレビもつくし、パソコンもできる。
 暑かったら涼しくできるし、寒かったら暖かくできる。
 コックをカチッとひねれば、
鍋の下にちょうどいい火が出てきて、
生のものがほくほくの料理になる。

 そこまでわかっているなら、まだいい。

 しかし、何もかも親にやってもらっている子供や、
妻にやってもらっている夫は、
いつも綺麗な洋服がタンスに入っていて、
いつもできあがった料理がテーブルに乗っていて、
部屋はいつも快適温度で、明るくて、満腹で、
それが全部当然と思ってしまう。

 しかし、そういう勘違いは、神への冒涜なのだ。
 クリックひとつで何不自由ない生活ができると思ってしまう、
心までデジタル化した無機質人間に成り下がり、
オゾン層が壊れようが海がゴミで埋まろうが、
自分に全然関係ないと思ってしまう。
 
 ところで、今日は何曜日だろう?

 月火水木金土日。 

 一週間のどの曜日が抜けてもカレンダーが狂ってしまうように、
私たちは月火水木金土日の、どれが欠けても生きられない。
 28日周期の月の引力に影響される潮の満ち引き、女の生理や出産。
 土の上に巣を作り、太陽の光と熱を浴び、作物を作って、火をおこし、
水を飲んで畑に水を撒く。
 
 そのどれを取っても、私たちは自力で支配できるものなど何もない。
 当たり前にいつもいつも、快適な環境は用意されない。
 
 命を育むこれらの自然は、同時に私たちの命を、
何の思い入れもなしに平気で奪ってしまう。
 自然を畏れない者は、水に流され火に焼かれ、太陽に干からびさせられ、
心身ともに病んでしまう。

 しかしまた、世の中が自然を無視したバブル状態になっていくと、
バランスをとろうと極端に自然を畏れすぎる者も出てくる。
 自然界のバランスとして存在する細菌やカビなどをも毛嫌いし、
管理しようとする風潮が出てくる。
 
「抗菌抗菌!」
「防カビ防カビ!」

 そして異常に強い不自然な薬品で、それらを壊滅させようと躍起になる。
 いじめっ子の小学生を退治するために、ゴルゴ30を派遣するようなものだ。
やりすぎだ。間違ってる。

 自分の人生の主人公を、自分に設定するのは正しい。
 でも、同時によそさまの脇役でもあるはずだ。
 自分のところだけツルピカ清潔にするために、ひとのところを汚していいのか?
 地球というオンボロアパートは、もう崩壊寸前だ。
 みんな他に住むところなんてないのだ。
 なのになぜ人間だけが勝手に柱をぶった切ったり、
自分の部屋の除菌に使った有害ゴミをとなりの部屋の住人のポストに突っ込んだりするのか?
 心がデジタル化していて、気づいていないのだ。
 何だかんだ言っても、スイッチひとつで、またリセットされると思っているのだ。

 命と直結する火。
 火は私たちの体を温め、冷たい生の食べ物を食べやすい物に変えてくれる。
 そして、時に私たち自身を焼く。
 
 命と直結する水。
 水道の蛇口から水源にまで、どんどん辿っていってみよう。
 先週の土日にゴミをポイ捨てしてきたあの海や川にたどり着いたりするんじゃないか?
 その海や川は、休日のレジャーランドなどではなく、淡々と大事な我が子を
飲み込んでしまうようなこともする。 

 月火水木金土日。

 今日は何曜日だろう?
 私は何様だろう?


(しその草いきれ) 2002.06.15 作 あかじそ