「 コンビニ夫婦 」

 口をきかない夫との生活の中で、たったひとりの息子だけに愛情を注ぎ、
その息子を、舐めるように育てた母親がいた。
 少年は、自分が何をしたいのか、何をしなくてはいけないのか、
それらを考える前に、いつも先回りした母親に環境を整えられていた。
 もじもじするだけで、彼の前にはいつも、舗装された道が用意された。

 その一方で、若い両親に常に抑圧されながら育っていた少女がいた。
 主張すればするほど押さえつけられ、
「とにかく静かに黙っていなければ育ててやらない」と言われていた。
 小さな彼女は生き伸びるために、夢や希望を持たぬことにした。

 その二人が成人し、 
「もうこれ以上、ひとりで生きるのは限界だ」
と、感じていた頃にたまたま出会い、何の因果か結婚してしまった。

 夫は、やはり自分の父親同様、口をきかない男になった。
何か処理すべき問題が生じても、ただもじもじするだけだった。
 どんなにもじもじしても、すぐに問題を解決してくれる母親は、
遠い故郷に住んでいる。
 自分で、その問題を解決しなければならないときでも、
彼には、やはりもじもじすることしかできなかった。

 一方、妻は、抑圧してこない男と住んで、これで自分が自由になれる
と思っていたが、それは大きな間違いだっと知った。
 過去の経験から、自分が我慢することで、すべてを遣り過ごそうとしたが、
我慢だけでは家庭生活は成立しなかった。
 アカンボが怪我や病気をしても、まるで無反応の夫に抗議してみるが、
夫に何か主張すると、カタツムリのように目玉を引っ込め、
貝殻の中に入り込み、決して出てこなくなってしまうのだ。
 
 夫も妻も人一倍淋しがりやなことは確かだ。
 しかしふたりとも、人一倍、コミュニケーションが不得手だった。

 妻は、夫と仲良くしたくなればなるほど、
その無反応に傷つき、攻撃的になってしまう。
 夫は、妻と仲良くしたいとは思っていても、
黙り込むことしかできずに、どんどん硬化してしまう。

 その繰りかえしが10年以上続いて、妻は、もう、疲れ果ててしまった。
 怒ったり、喚いたりしても、夫はますます遠くなる。
 旅人が風に吹かれてコートの襟を立てるように、
妻の伸ばした手は、刃物のように夫を傷つけるだけだった。
 妻は、叫びたくなるような気持ちを抑えるために、
何度も深呼吸をし、静かに夫に呼びかけるが、
夫は、もう、妻の前で二度とコートを脱ぐことはなかった。

 愛されている実感のない者は、人を愛せないという。

 妻は、自分の子供たちが、愛に飢えていることに気づいていた。
 愛をたっぷりと注がなくては、この子たちは育たないと危機感を感じていた。
 しかし、妻は、結婚して12年の間に、
自分が愛された思い出のシーンを何度も何度も思い返し、
淋しい日々を乗り越えているうちに、
もう、その愛情電池を使い果たしてしまっていた。
 かつて、「もうひとりではいられない」と思って結婚したように、
今もまた同じく、「もうこのままではいられない」と感じていた。
 
 妻は、夫と仲良くしたいからと言って、攻撃的に迫るのはやめた。
 それは、自分のパターンとは違う行動で、かなりのストレスを伴ったが、
まずは夫が、硬い貝殻の中から自ら出てきてもらうしかないと思ったのだ。
 夫は、妻が口うるさく責めて来ないことに安心し、
ゆったりと「口をきかない生活」を送るようになっていった。
 妻が何も言ってこないところを見ると、
彼女は満足して楽しい生活を送っているのだろう、と思った。

 給料は決まった日に銀行に振り込まれ、
妻は黙ってそれを引き出して受け取り、やりくりした。
 夫の食事は、冷蔵庫にラップをかけて入っているし、風呂もわいている。
 黙っていても、仕事に行って給料さえ振り込まれれば、
生活に必要な食事や風呂や寝床も用意されている。

 この夫婦に、喧嘩や言い争いは、もうなかった。

 コンビニで買い物するように、スマートに、静かに、
口もきかずに目も合わさずに、生活が滞りなく営まれていた。
 
 しかし、子供たちの間に喧嘩が絶えず、
常に家庭に緊張の糸が張り巡らされているのは確かだった。
 今は静かなこの家庭が、空中分解するのは、もう時間の問題だろう。

 夫の両親の家庭内別居が完全に確立されたように、
この夫婦にも冷たい利潤関係が確立していくのか、
または、暴れる子供たちに夫婦共に殴り殺されるか、殴り殺してしまうのか、
一家全員、木端微塵になってしまうのか、そのいずれかには、きっとなるだろう。
 
 夫は、風邪を引こうが、寒かろうが、心の貝殻を脱ぎ捨て、
妻や子供をしっかりと見守り、自分からどんどん話をすれば、
おそらく彼の手は妻に届く。
 妻が、自分に伸ばしていた手を、おずおずと引っ込めようとしているのを
ぐっと引き止めることができる。

 妻は、「淋しい淋しい」「助けて助けて」と、夫を殴る手を止めて、
素直に泣けばいい。
 静かに言えば、きっと夫の心に静かに届く。

 どうしてそれができないのか。
 この家には、もう、彼の執事の母親もいなければ、
彼女を殴る若い両親もいないのに。
 このふたりに重い鎖を縛り付けている、
彼らの親達の亡霊が、この家の主人だ。
 そして、この夫婦は、亡霊を振り払う努力もしない。

 どうしてそれができないのか。
 どうしてそれをしないのか。
 コンビニ夫婦の賞味期限は迫っている。


                 (つづく)

 なんだなんだ、なんなんだ。
どうしたどうした、もう終わりか?
また何だかやばやばムードじゃないですか?
 そしてそして・・・・・・
 あれだけいろいろあったのに、
 まだ何にもしてないの、夫?
 もうあきらめちゃうの、妻?

 冷たいムードが漂う中、つづく。
 やばやばムードで、つづく。


                  (つづく)


(しその草いきれ) 2002.06.22 作 あかじそ