「 おとな幼稚 」 |
目覚めると、私は見知らぬ部屋の身知らぬ布団の中にいた。 布団の横には、小さなちゃぶ台があり、 こぶのおにぎりふたつと、麦茶の入ったちいさなコップが乗っていた。 私は、なぜか迷わずおにぎりにかぶりつき、夢中で食べた。 滅茶苦茶にお腹が空いていたのだ。 慌てて飯粒を口に押し込んだせいで、私はのどを詰め、 胸を叩きながらコップに口を寄せて麦茶を飲んだ。 そして、コップを握り、ごくごくと飲んでいるうちに、 コップを持つ手が妙に小さいのに気が付いた。 ちゃぶ台にコップを置いて、両手を広げて目の前に並べてみて驚いた。 子供の手ではないか。 私は、36歳だ。 そして、今、私のこの手は、子供の手だ。 視線をツツと下ろしていくと、私は子供物のキャラクターパジャマを着ていた。 そして、どう見てもこの体は、5歳くらいの大きさではないか。 待てよ。 私は36歳のはず。 しかし、その次の瞬間には、「ま、どっちでもいいか」と思い、 またムシャムシャとおにぎりの続きを食べ始めてしまった。 若くて綺麗な女の人が、すっぴんで私の前に現れ、 「さあ、もう時間よ」と言って、着替えを私の横に置いた。 幼稚園の制服らしい。 (どうしたものか) と、その場でじっと制服を見ていると、 「ほらほら、もうバス来るよ」 とせかされて、女の人が私のパジャマを脱がせ、ブラウスを着せてくれた。 「あ、自分でやります」 と、慌ててボタンを留めようとしたが、 このちっちゃい手が全然言うことを聞いてくれない。 うまくボタンをつかめないし、穴を広げられない。 もたもたしていたら、女の人が留めてくれた。 幼稚園バスに乗った。 一緒の場所でバスを待つ幼稚園児たちと一緒に、 私は、無意識に公園の生垣から葉っぱを一枚取り、 バスに乗り込み、その葉っぱを運転手のおじさんに手渡した。 「はい、ありがとねー」 おじさんは、ニコニコしながら葉っぱの切符を胸ポケットにしまい、 バスを発車させた。 私は、となりに座った女の子に話し掛けた。 「あの、ちょっと伺いますが・・・・・・」 自分の声が1オクターブ高い。 ボイスチェンジャーを使っているような可笑しな感覚だ。 「シッ」 話し掛けられた女の子は、私の口をふさいだ。 「そんな明瞭に大人のことば使っちゃマズイですよ!」 女の子は、細い三つ編みを揺らして首を振った。 「育ち直しツアーじゃないですか」 女の子は、声をひそめて言い、周りを見回した。 「私たち、心理療法で催眠術かけられてるんですよ」 そういえば、そうだった。 親に捨てられ、施設で育った私は、大人になって情緒不安定になり、 人に勧められて心理療法を受けていたのだった。 希望者は、催眠治療も受けられる、ということだったが、 担当の心理療法士が実験的に集団催眠をしてみたいと言い出して、 その治験者を引き受けていたのだ。 「でも私、我に帰っちゃったんですけど、どうしたらいいんですか?」 ≪そのままで〜そのままで〜無理はしないで〜楽にして〜≫ どこからか天の声が聞こえてきて、私は、突然気楽な気分になった。 バスが幼稚園に着いて、みんな、めいめいの教室に駆けて行った。 私は、スキップしながら【さくらぐみ】の教室に入った。 先生がしゃがみこんで私の顔を覗き込み、 にっこり笑って「ユカちゃん、おはよう!」と言った。 先生は、もじもじしている私の肩に手を置き、 今度は突然教室の奥に向かって大声を出した。 「サトシくん、カンちゃん! ケンカしないの!」 先生は、掴み合うふたりの男の子の間に割って入り、 腕を振り回して暴れるカンちゃんに言った。 「お友だちと仲良くしましょうね。人に暴力を振るっちゃいけません!」 カンちゃんは、下唇を噛みながらも、 先生にじっと見つめられて大人しくなっていた。 そして、今度は、鼻血を出しながらも、やられっ放しのサトシくんにも言った。 「サトシくん、自分を守りなさい。やられたらやり返しなさい。 それができないのなら、逃げてもいいのよ」 サトシくんは、先生に鼻血を拭かれながら、泣き崩れた。 いろいろな子がいるけれど、みんな5歳のチビだった。 お弁当の時間になり、私は、バッグから弁当の包みらしき茶色の紙袋を開けると・・・・・・ そこには、施設の仕出し弁当が入っていた。 どの子のお弁当も、ちっちゃな可愛らしい一口サイズのおむすびや、 リンゴのウサギ、ピックに刺さったミートボールなんかが入っているのに、 私の弁当は、コンビニに売っているようなプラスチック・パックの弁当だった。 私は、サッと顔の血が引いて、急いで弁当をバッグに戻した。 「施設! 施設!」 小学校の昇降口で、大勢の男子に蔑まれ、 後からランドセルを蹴られて前につんのめり、 頭の後ろでずっと繰り返されるその単語を聞いていた。 「施設! 施設! 施設! 施設!」 先生に抱きすくめられて我に返った。 ここは、昇降口でもなければ、私は小学生でもなかった。 幼稚園のお弁当の時間だった。 「ユカちゃん、バッグ間違えてるよ。ユカちゃんのは、こっちだよ」 渡されたバッグを開けると、そこには、お弁当も何も入っていなかった。 私は、また血の気が引いた。 地面が突然割れて、地の底まで落ちていくようだった。 目が回り、そして、思った。 (やはり私には親はないのだ。私には、誰もいないのだ) 頭が真っ白になっていった。 「ユカちゃん!」 名前を呼ばれてぼんやりとその方を見遣ると、 そこには、朝起きたばかりのときに会った、 若い綺麗な女の人が立っていた。 その女の人は、私に駆け寄って来て言った。 「ユカちゃん、ママ、お弁当入れ忘れちゃった! ごめんねー!」 「ママ」は、細かいイチゴ模様の付いたピンクのナプキンに包んである、 小さな可愛い私の弁当を片手で振って見せた。 そして私は、「ママ」にギュッと抱きしめられ、気を失った。 おいおいと、誰かのすごい嗚咽が聞こえて、目を覚ました。 それは、私の泣き声だった。 薄暗い部屋にカーペットが敷かれ、5人の男女がそこここで寝ていた。 やがて彼らは目を覚まし、それぞれぼんやりとしていた。 私は、一目見て、彼らが誰だかわかった。 パンチパーマでアロハを着ているのは、カンちゃん。 スウェットの上下を着て青白い顔をしている17、8歳の青年は、サトシくん。 バスで話したのは、あの白髪のお婆さん。 私たちは、催眠術から解けた後、輪になって話した。 カンちゃんは、ドメスティック・バイオレンス、 つまり妻に暴力を振るうのをやめたくて治療に来ていた。 催眠中、幼稚園の先生に毅然と、「お友だちと仲良くね」と言われ、 素直に「もう暴力はやめよう」と思ったと言う。 サトシくんは、中学の時、集団でいじめられ、5年近く引きこもりをしていた。 いじめられても無抵抗で、重症になるまで繰りかえしリンチを受けていたが、 彼の悩みは、そのことよりもむしろ、ひきこもって、 いじめっ子から逃げるしかない自分のふがいなさだった。 催眠中、幼稚園の先生に「時には逃げてもいいのよ」と言われて、 ほっとしたらしい。 お婆さんは、5人の娘たちに迷惑をかけまいと、 今は亡き夫と暮らした家にひとり住み、 鬱状態になっていたのを、娘たちが心配して治療を頼んできたらしい。 子供に返って、夢中で遊んでいるうちに、 スッと心の霧が晴れてきた、と言った。 私は、自分の身の上を紹介するのが面映(おもはゆ)かった。 もう、施設で育った淋しさや、そのことでいじめられた心の傷、 その傷が膿んでしまって自分では治せなくなってしまっていたことなど、 すでに過去の悩みになっていた。 私には、「ママ」との思い出がある。 作り物の思い出だけど、この思い出ひとつで、 私は白い飯を何杯もおかわりできるし、哀しい涙もすぐ乾く。 このイチゴ模様の小さな思い出がひとつあれば、 この先の何十年、生きていける気がするのだ。 初めて、あの幼稚園に登園してから半年が経ち、 クラスメイト(?)とも酒を酌み交わすほどになっていた。 そして、飲み会では、みんな口を揃えて言っていた。 「疲れた大人や子供は、みんな、幼稚園にもう一度入るといい」と。 お友だちとケンカしても、すぐに仲直り。 歌を歌い、絵を描き、ダンスをする毎日。 人間にとって一番大切なことを、 間違っても間違っても、繰りかえし教えてくれる。 一回失敗したからって、「お前はアウト」とは言われない。 いろいろな子がいるけど、みんなホントはいい子で、 「コマッタちゃん」だって、先生は抱きしめてくれる。 いいところを探してくれる。見守ってくれる。 私たちは、シャレが次第に本気になり、 ついにみんなの共同出資で「おとな幼稚園」を運営することになった。 そして、2年経った今、全国に58もの姉妹園を持つ、 行動心理学のセラピー園として繁盛している。 今、私は、「こども幼稚園」、「青年幼稚園」設立に向けて、日夜走り回っている。 カンちゃん夫婦は、卒園生のための「おとな小学校」の設立準備に追われ、 ケンカをする暇もないらしい。 サトシくんは、「おとな中学校」準備委員として、ドイツで研修中だ。 そして、孤独な一人暮らしをしていた、あの白髪のお婆ちゃんは――― 総理事長としてシャネルスーツをビシッと決め、 各園を視察し、文部省に指導をする、忙しい毎日を送っているのだ。 (了) |
(小さなお話) 2002.06.27 作 あかじそ |