帰 郷 |
北の大地、その東の果て。未開の地であると考えられていた地域。
其処は外部からは人工的な物を何一つ見ることは出来ない。
連なる山々は城壁のように立ちはだかり、森林は人の進入を拒絶しているかのような面持ちさえ感じさせる。
古よりそのままの姿を保っているかのように。
その山々を踏み分けて進む男がいる。獣道のような道を一歩一歩、奥へ奥へと黙々と突き進んでいく。
その姿には躊躇や迷いと言ったものは一切感じられない。男の進む先には目指す何かがあるかのように男は歩き続ける。
その男は・・・ゲイルだった。
ゲイルは何処を目指すのか・・・。
額を流れ落ちる汗を拭おうともせず、ひたすら前々へと突き進む。
彼の瞳にはその先に待つものがしっかりと捉えられている。目指す先には彼にとって大切な場所があるかのようだった。
いくつもの山を越え、やがて小高い丘が目の前に広がる。
其処はこの地域の中にポッカリと浮かぶ別世界のように美しい場所だった。
ゲイルはふぅと一息つくと丘の頂上から眼下を見下ろす。
彼の眼下には谷間の小さな村が見えていた。
「・・・」
丘の上で休息を取りながら、ゲイルは穏やかで、それでいて悲しげな面持ちで村を見ていた。
いつの時も彼の心から決して離れないその村。
記憶の殆どを刻み込んだ場所。喜びも悲しみも。
ミスティ・ハーブ−−−ゲイルの生まれ育った村。
ゲイルは村の入り口に立つと、静かに眼を閉じ、耳を澄ませる。
・・・誰の声も聴こえはしない。聴こえてくるのは風が木々の葉を揺らす音だけ。
分かっている、誰もいないという事は。だが、そうしなくてはいられなかった。
家から立ち上る煙、牛の声、村人の営み、子供達の笑い声・・・閉じた彼の瞳には映っている。
故郷を襲った出来事を目の当たりにしていない彼には、退屈だったが平和なこの村の、のどかな風景がいつでも眼に浮かべることが出来る。
(ただいま、ミスティハーブ、村のみんな・・・)
ゲイルは心でそう呟いて村へ入っていった。
ミスティ・ハーブの村は、今では住む人は無く、生活の臭いを残した家々があるだけだった。
2年という歳月は確実にこの村を風化させてはいるだろうが、今ゲイルの目に映る風景は彼の記憶の中にあるそれと少しも変わってはいない。
村人がいないという点だけを除けば。
・・・いや、もう一つある。
向こうの山の中腹にあるこの場所とはおよそ不釣り合いな人工物、魔晄炉がその威容を晒している。
何故この村に魔晄炉があるのか?それを語る者はこの村にはもういない...。
ゲイルは一軒一軒の家を回り、丹念に状態をチェックする。
埃にまみれたテーブルを布で拭き取り、床を掃く。庭の花に水をやり、家の中で風化によって壊れた箇所があればそれを修繕する。
・・・その行為にどんな意味があるというのだろう? もう、その家の主は此処にはいないのだ。
ゲイル自身、虚しい作業だという事は分かっている。だが、ゲイルはそれが自分の努めだと感じている。
唯一人残ったミスティハーブの村人としての。
(ゲイルよ、そなたの言う通りだな)
(ゼウスか・・・)
(人の所業とは・・・恐ろしいものだな)
(こんな事が出来るのは奴等だけ、神羅だけだ)
ゲイルは魔晄炉へ視線を向けた。その眼差しは明らかに憎しみの色で染まっていた。
(お前の気持ちは分かる。ならば、今は北を目指すのが第一ではないのか?)
(ああ、分かっている。だが、今日は此処で一晩過ごすつもりだ)
(追っ手が迫っているやもしれぬぞ)
(追っ手は来ないと思う。ホーリーシティの牢で会ったあいつの言葉が真実だとは思ってはいないが、追っ手は出されていない気がする)
(あやつを信じるというのか?)
(信じる、というのとは違うだろうな。俺はそう感じただけだ)
(・・・)
(心配要らないさ。この村の存在を知っている人間は殆どいない。たとえ知っていても簡単には此処へは辿り着けやしない。それに・・・)
(それに?)
(北の大空洞へ行けばお前の言う通り俺は究極の力を得る事になる。そして俺はリーブという男を殺すだろう。
そうすれば、きっとこの星の殆どの人間にとって悪魔のような存在になるだろう。
俺にとって、その覚悟を得るためにはこの村で迷いを迷いを断ち切る必要があるんだ)
(そうか・・・)
(さあ、俺の家に行こう)
ゲイルはかつての自分の家へ向かう。いや、其処は今でも彼にとって帰るべき家だった。
炊事場はついさっきまで母が食事の支度をしていたかのように食器が脇に置かれている。
居間のテーブルには父の趣味だった手彫りの鳥の置物が作りかけのまま置かれている。
妹の部屋に行けば彼女の趣味である絵が描きかけのままになって置かれている。
そして自分の部屋はこの村を出て行った時のままになっている。
時間が凍りついてしまったかのような我が家。自分以外、誰もいないなどとはどうしても信じられない。
かつて村へ帰って来た時、余りに悲しくて家を焼き払いたくなった事もある。
全てを消し去りたかった。全て嘘にしたかった。
いつも真実はゲイルの心をえぐる。想い出は残酷な今を鮮やかに照らし出すものに思える。
ゲイルを懐かしさ、悲しみ、憎しみといった感情がうねりとなって襲いかかる。
ゲイルはベッドの上に寝転がり、眼を閉じる。身体中の毛穴が閉じてしまったかのような感覚が駆け巡る。
「ううっ...」
声にならない呻き声とともに、ゲイルは耐えるのではなく、それをあえてしっかり受け止める。
辛い・・・だが、今はこれこそがいつも心に刻みつけておくべきものだと思っている。
自分の復讐の意味・・・自分の生きる目的・・・それをこの場所は教えてくれる。
正義じゃない。むしろ憎しみは憎しみを産み出すだけなのかもしれない。それでも復讐を果たすために...。
小一時間はそうしていただろうか。ようやくゲイルは身を起こす。
その表情は憎しみに彩られたものではなく、むしろ晴れやかなものだった。
「さあて、食い物でも探しに行くとするか。このところまともな物を食っていなかったからな。ここなら俺の好物のポートが取り放題だ」
そう呟くと、ゲイルは彼の好物を探しに部屋を出ていった。
夜、ゲイルは裏庭で焚き火でポートを焼きながら酒を飲む。
ゲイルの宿るマテリアは部屋に置いてきた。今夜だけは一人になりたかった。
ポートを肴にグラスを傾ける。酔いが過去の出来事を回想させる。
やがてゲイルは憎しみに押し込めていた筈の迷いが心の表層にまで上っているのを感じ出した。
(俺のしようとしている事は正しい事なのだろうか・・・)
ゲイルはグラスを傾ける。
(それは違うだろうな。ならば村の人達が望んだ事? いや、きっと村の誰もそんな事は望みはしない)
正直ゲイルの心には迷いがあった。心に決めた筈だ。それにもう引くに引けない状況にある。
憎しみは薄れる事は無い。村へ帰って来てそれは増すばかり。昼間、それを再確認した筈だった。
それでも、ゲイルは復讐を躊躇させるものが自分の中にある事を感じている。
(あの男がああいう人間でなければ・・・)
ゲイルには復讐の対象である人間、リーブの事が分からなくなっていた。
神羅の元幹部。あのミッドガルを創った男。そして今や大統領にまで登りつめた男。
自らの過去を恥じる事無く再びこの世界を支配しようと目論む男・・・の筈だった。
なのに彼のそんな思い込みとは全く正反対のリーブという男の姿ばかりが見えてくる。
ホーリーシティはもちろん、他の街や村でも彼の悪評は耳にした事が無かった。
ゲイルもまたリーブの行動だけを取れば認めざるを得ない。恐らく、彼が元神羅の幹部でなければ賞賛した事だろう。
しかし、ゲイルはそんなリーブに胡散臭さを感じていた。元神羅の幹部、ゲイルはリーブの陰の部分を想像した。
どのように善人の衣を纏っていても、何処かでは綻びが見えてくる筈だった。
ゲイルも一時はミッドガルのスラムにいた男だ。どんなに慈善家を装っていても、彼の本当の姿を語る声は薄暗い路地裏から聞こえて来る事を知っている。
そう、かつてのプレジデント神羅がそうだった。
だが・・・あの男にはそれが見えないのだ。
多くの人々が初めから彼を信じた訳ではないだろう。むしろ疑いの目で見ていた事は想像に難くない。
にもかかわらず今、彼を非難する声は聞こえて来ない。
それは何故? とりもなおさずそれは彼がそれだけの事をしてきたという証。
(此処に来れば俺の迷いなど吹き飛んでしまうと思ったんだが。究極の力を得たとしても、俺はそれを使う事が出来るだろうか...)
ゲイルには確信が持てずにいた。究極の力を得て、そしてそれを使ってリーブを殺すという行為は・・・あの神羅と同じではないのだろうか?
本当はこの村唯一の生き残りとして、この村を復興させるのが本当の自分の使命なのだという事もゲイルには分かっていた。
かつて村へ帰って来て思ったのは、復讐心と同時にそんな使命感だった。
だが・・・例え深く愛し合える女と出会えたとしても、ゲイルは彼女に村へ一緒に帰ろうとは言えなかっただろうと思う。
もう、ミスティハーブという村は失われてしまったのだ。村を復活させたとしても、それはもう本当のミスティハーブではない。
古代種の血とかそういう事ではない。自分にとってのミスティハーブは決して取り戻せるものではないのだから。
(今となっては・・・もう俺にはこれしか道は残されてはいないんだ・・・)
ゲイルは酒を一気に飲み干した。酔いたい、酔い潰れたかった。
復讐を果たしたとしても、恐らく残るのは虚しさだけだという事は分かっている。
だから酔いが迷いを消して欲しかった。せめて誤魔化して欲しかった。
だが、身体は酔っていても、心までは酔わせてはくれなかった...。
ゲイルの部屋の机の上に置かれた召還マテリアが怪しく光る。
そしてその中から邪悪な響きを持った声が呟く。
(所詮は心弱き男・・・まあよい。我が真の覚醒を果たすまで我のために働いてくれさえすれば良いのだからな。ククク...)
翌日、ゲイルはかなり遅めの朝食を取ろうとしていた。朝食とはいっても昨日取ったポートを焚き火で焼いて食べるだけだ。
此処から北の大空洞まではかなりの距離がある。寒さは昔に比べてかなり和らいだとはいっても厳しい道のりになる事には違いは無い。
「まともに食事が取れるのは此処が最後になるだろう」
すっかり身支度は出来ている。食事を終えたらすぐにでも北の大空洞を目指すつもりだった。
ゲイルが薪に火を着けようとしたその時、村の入り口辺りから人の声が聞こえてくる。
(追っ手か!?)
ゲイルは咄嗟に身を隠し、村の入り口付近の様子を伺う。そこには一組の男女の姿があった。
初めて見る顔だった。
(どうしてこんな所に・・・)
ゲイルは二人の言動を注意深く観察する。他に人の気配は無い。どうやら本当に二人だけのようだ。
二人はしばらく村の入り口で立ち止まっていた。その表情は次第に悲しみとも寂しさともいえぬ色に染まっていった。
まるで既にこの村の姿を理解したかのように。
「あの時のニブルヘイムと似てる...」
女の大きな瞳にはうっすらと憂いを帯びているように見える。
「でも、ここはニブルヘイムじゃない」
「うん・・・」
男に言われて女は頷く。しかし、そう言った男の瞳もまた憂いを帯びていた。
(・・・)
ゲイルはこの男女が敵ではないと即座に理解した。
(どうやら追っ手では無いようだな)
ゲイルは身を隠すのを止め、裏庭に戻って薪に火を着ける。
(ゲイルよ、どうするつもりだ!?)
ゲイルは微かに笑って答えた。
(此処は俺の村だ。客人は歓迎しなくちゃな。あいつらは追っ手では無いようだし、恐らく道に迷ったのだろう)
(本当に追っ手では無いと言い切れるのか?)
(だとしても、俺にはお前がいるからな。心配はいるまい)
(・・・)
(まあ、俺に任せろ)
ゲイルはポートをいくつか焚き火の中に忍ばせる。やがて訪れるだろう客人のもてなしとして...。