優しき偽り

コスモキャニオンを出て数日経った。

ティファはクラウドの微妙な心の揺れを感じていた。
それはコスモキャニオンを出発してから少しずつ、しかし確実に大きくなっている。
何故なのかは分からない。
もしかしたら、クラウド自身気付いていないのかもしれない。
だからティファはその理由を問う事はしなかった。

砂浜に座り、少し遅い昼食を取る。
「コレルまではまだまだ遠いわね」
「そうだな」
二人はコレルに向かっていた。
予定ではコレルからコスタ・デル・ソルへ行き、船でホーリーシティへ渡る予定だった。
丁度かつて旅した行程を逆に進んでいる事になる。

「ティファ、ちょっと寄り道してもいいかい?」
「寄り道?」
「ゴンガガ村に行こうと思うんだが」
「クラウドが行きたいなら、私は何処でも行くよ」
「そうか、ありがとう、ティファ」
「でも、どうして急にゴンガガ村へ?」

「コスモキャニオンを出てから、ずっと心に引っかかっていたんだ、あの村が」
「...ザックス?」
「あそこには彼の両親がいる。あの人達に本当の事を伝えなくてはならない」
「ザックスの最期を知っているのは俺だけだから」
「考えてみれば、俺はあいつの両親にも、そしてエアリスにもその事を伝えていなかったんだ」
「仕方ないよ...あの頃のクラウドはザックスと自分の区別さえつかなかったんだもん」
「あの頃は確かにそうだった。だが、今は違う。俺はクラウドだ。「ソルジャーになれなかったクラウド」だ」
「クラウド...」
「本当のところは俺にも良く分からないが、ザックスは俺をかばって死んだと思う」
「どうして?」
「気が付いた時、ザックスは殺され、俺は生きていた。...俺は思った。彼は俺のために死んだんじゃないかと...」
「クラウド...自分を責めるのは止めて」
「ティファ、大丈夫だよ。もう、俺は自分を責めたりはしない」
「俺達は親友だった...だから俺がザックスの立場だったら、やっぱり同じ事をしたと思うんだ」
「彼を死なせてしまったのは罪かもしれないが...彼は俺を恨んだりしない、そう思えるんだ」
「ただ、彼の両親にだけは本当の事を伝えようと思うんだ。それが俺を恨むような結果になったとしても」
「決めたんだ。俺はこの旅で自分の中にある不安とか後悔とか...そういうものを全て払拭しようって」
「クラウド...」
ティファには分かっていた。クラウドの中の深い罪の意識を。
親友の死、しかもそれが正気を失った自分のせいかもしれない事。
そして自分がソルジャーとして振る舞っていた事を。
でも、ティファにはどうする事も出来ない。これはクラウド自身が解決しなければならない問題なのだ。
ティファは思った。たとえ全ての人が彼を責めたとしても、自分だけは彼の支えになりたい、と。

ゴンガガ村に着いたのは、日も暮れかかった頃だった。
ゴンガガ村。ザックスの生まれ故郷。
そしてそこでは彼の両親が息子の帰りを待っている。
二人は真っ直ぐザックスの両親の家に向かった。
クラウドは自ら言い出したにもかかわらず、その足取りはとても重そうだった。
かつて此処を訪れた時、自分はまるで他人事のように振る舞っていた。
ティファとエアリスだけが特別な感情を抱いていた事も知らなかった。
特にティファはエアリスやザックスの両親にも秘密を持ってしまった。
それはどんなに辛かっただろう...。
ティファも秘密を抱いていた頃を思い出していた。
あの時、エアリスもいた。ティファはエアリスにもあの時秘密を持ってしまった。
エアリスはあの時どんな想いだったんだろう...ティファにとっても複雑な気持ちだった。

「こんにちわ」
最初にザックスの家に入ったのはティファだった。
「失礼します」
クラウドは心なしか緊張しているようだった。
居間にはザックスの父親がいた。
「お客さんとは、これは珍しいのう...こちらへどうぞ」
二人は居間のソファに腰掛けた。
ザックスの父はお茶を入れ、二人に差し出した。
「こんなものしかお出し出来ないのじゃが...」
「いえ、ありがとうございます」
二人はお茶を口にした。とても暖かかった。
「それにしても、あんたは息子によう似とる。その髪型といい、その蒼い瞳といい...そうか、あんたもソルジャーか」
「いえ、僕は...神羅兵でした」
「そうじゃったか...ソルジャーなら息子の事を知ってると思ったんだがのう...」
「息子はザックスという名のソルジャーでのう。でも、今は消息不明なんじゃ」
「その息子さんについてですが...」

「まあ、ザックス、帰ってきたんだね!」
その時、奥の部屋からザックスの母親が現れた。そうしてクラウドの元に歩み寄ると、彼を抱きしめた。
「心配したんだからね。でも、よく帰って来てくれたねえ」
「.....」
クラウドは突然の事にどうして良いか分からなかった。
いくら自分がザックスに似ているといっても、母親が間違える筈が無かった。
「これこれ母さんや、ザックスは疲れているんじゃ。...久し振りに手料理を作ってあげなさい」
「ごめんよ、ザックス。今、母さんが美味しい料理を作ってあげるからね」
ようやくクラウドは解放された。クラウドには全く事態が理解出来なかった。
「すまんが...ちょっと外で話がしたいんじゃが...」
「はい」

クラウドとティファ、そしてザックスの父は外に出た。
「先程は妻が失礼をしました」
「いえ、いいんです」
「半年くらい前じゃったか、妻は熱病に掛かってのう。今はすっかり良くなったが、後遺症が残ったんじゃ」
「時々記憶が混濁して、ああして全くの他人を息子と勘違いする事があるんじゃ」
「特にあんたは息子によく似てたから、あいつも息子と思ったんじゃろ」
「.....」
クラウドは返す言葉も無かった。
ザックスは誰よりも両親を愛していた。彼はいつも言っていた。

『ソルジャーになって両親に楽な暮らしをさせてあげたいんだ』

「ところで、あんたは息子の事を知っているんじゃな。さっきそれを言おうとしたのではないか?」
「はい、僕はザックスの事を...誰よりも知っています」
クラウドはザックスとの出会いから彼の最期まで自分の知る限りの事をザックスの父に話した。
ザックスの父は黙って聞いていた。
「そうじゃったか...やはり息子は」
「すいません、俺がいたばかりに息子さんを...」
「クラウド君、君のせいじゃないよ。わしは決して君を恨んだりはしないよ」
「その時、君がセフィロスという男を倒していなかったら、恐らく息子は殺されていたはずじゃ」
「それにもし、君が息子の立場なら、きっと同じ事をした筈じゃ」
「...君も苦しんでいたんじゃのう。じゃがもう苦しまんでいい」
「こうしてわざわざ伝えに来てくれただけで充分じゃよ。ありがとう、クラウド君」

「わしには分かっていた。もう、息子はこの世にいない事を」
「あいつが私達に黙って何処かに消えるような子供じゃない事は分かっていたからのう」
「それは恐らく妻も分かっていた筈じゃ」
「ただ、真実を知るまでは生きてることを信じたいと思っていたんじゃ」
「幸いにも...妻はいつまでも息子が生きていると思う事が出来るがのう」

「クラウド君、一つお願いがあるんじゃが」
「何ですか?」
「今、妻は君を息子だと思ってる...出来れば今夜一晩だけでも息子を演じてもらえんかのう?」
「でも、僕にはとても演じるなんて...」
「大丈夫じゃよ。君は何も考えんでいい、ただ、いてくれるだけでいいんじゃ」
「分かりました。それがご両親の望みでしたら」
「すまんのう。...おお、それからティファさん、見たところあんた方はまだ結婚していないようじゃが」
「はい」
「すまんが、あなたには彼の奥さんという事にしといてもらえないじゃろうか?」
「え?...はい、分かりました」
「すまんが、よろしくのう」
三人は再び家に戻った。

早速ティファはザックスの母の料理を手伝った。
もとより料理の腕は一級品だったから、ザックスの母はとても喜んでいた。
「息子はいい嫁をもらったねえ」と。
ティファも亡き母を、そしてクラウドの母を思い出してた。
ザックスの母の褒め言葉が、クラウドのお母さんに言われているような気がして、嬉しかった。
そんな二人の姿を見ていて、クラウドもまた亡き母を思い出していた。
決して見ることの出来ないティファと自分の母が二人で料理している姿を見ていた。

夕食は本当に和やかなものだった。
ザックスの母は本当にクラウドを息子だと思っているようだった。
クラウドも最初は息子を演じる事に戸惑っていたが、いつの間にかザックスに成り切っていた。
ティファもザックスの妻に成り切っていた。
ザックスの父もとても嬉しそうで、時々涙していた。
偽りであっても、それぞれが幸福を感じていたのは紛れもない真実だった。

その夜、二人はザックスの両親の家に泊まる事になった。
「クラウド...やっぱり眠れない?」
「ティファもそうか」
「うん、何だか今夜の事が夢みたいで...私本当にクラウドのお母さんや私のパパと過ごした気がしてた」
「俺もそうさ。いつの間にか俺はザックスに、いや、俺自身が息子になっていた」
「いろいろあって気が付かなかったけど、私寂しかったのかもしれない」
「そうだな...あの事件で俺達はたった一人の親を失ったんだからな」
「何か不思議...こんな幸せな気分になれるなんて思いもしなかった」
「正直言って、俺は此処に来るのが辛かった。ザックスの死を告げるのも、両親が悲しむのを見るのも嫌だった」
「今は?」
「ティファと同じ気持ちさ」

「でも、明日からは夢は消え、真実だけが残るのね...」
「夢は...いつまでも残るさ、みんなの心の中に」
「心の中に?」
「ああ。叶わない現実があったとしても、夢を見、それを願う事は出来る。現に今日、俺達はその夢を体験した」
「うん、きっと...そうだよね」

次の日の朝、クラウド達は身支度を済ませ、居間へ出てきた。
「あら、お客さんが泊まってらしたの?」
「おう、昨日夜遅く訪ねられてのう。クラウドさんとティファさんじゃ」
ザックスの父がクラウドの耳元で囁いた。
「今日は妻は普通に戻ったようでのう。昨日のことは忘れとるようじゃ」
「クラウドといいます」
「ティファといいます」
二人はザックスの母に挨拶をした。妙な気分だった。
「お二人さんは昔息子と知り合いだったそうで、息子に会いに訪ねて来られたんじゃ」
「あら、そうでしたの...すいませんねえ、わざわざ来てくださったのに」
「いえ、こちらこそ突然来てすいませんでした。その上、泊めていただいて...」
「まったくうちの息子ときたら...もう10年以上も連絡をよこさないんですよ」
「すまんがお二人さん、もし息子の消息が分かったら教えていただけまいか」
「...ええ、その時はご連絡します」
クラウドは混乱しながら場の雰囲気に合わせて会話を取り繕った。
ザックスの母は昨日の記憶が無いのだ。それだけはクラウドにも分かった。
「あら、朝食もお出ししなくて...今すぐ用意しますからね」
「いえ、僕達は...」
「クラウドさん達は急いでいるそうじゃ。お弁当を作って差し上げなさい」
「そうですか、すぐ作りますからね」
「あ、私も手伝います」
ザックスの母とティファは台所に消えた。
「ありがとう、クラウド君。ビックリしたじゃろ」
「お母さん、記憶が...」
「ああ、忘れとる。だが、心の何処かには残っとる筈じゃ。いつ思い出すかは分らんがのう」
「心配せんでいい。妻は息子の帰りを待っている、それでいいんじゃ。わしは妻を支えて生きていく」
「むしろ君には感謝してるんじゃ。夢のようなひとときを与えてくれた」
「そして、わし達の生きる糧を与えてくれたのじゃからな」
「.....」

クラウドとティファは二人に別れを告げ、そしてそのまま村を出た。
「本当にこれで良かったのかしら...結局私達、嘘をついていたのよね」
「分からない。だが、一つ分かった事があるんだ」
「分かった事?」
「真実だけが全てじゃないって事だ」
「全てじゃない?」
「今、あの二人は偽りの中に生きている。きっとこれからも。でも、それは真実以上に大切な事なんだ」
「真実はいつも優しい訳じゃないものね」
「ああ、二人にとってザックスは生きている、それこそが信じられる真実なんだ」

クラウドは思った。恐らく再びこの村を訪れることは無いだろうと。
夢は一度だけ現実になればいいのだ。
たった一度だけ叶えられた夢...二人はその想い出を抱いて生きていける。
それはクラウドとティファにとっても同じだ。
それが正しかったのかは自分でも分からない。
ただ、自分に出来る事はこれが全てであり、最後なんだと感じた。

振り返り、クラウドは呟いた。
「ありがとう、束の間の夢...これで良かったんだよな、ザックス」