正直ハマーンを20年描き続けてきた私ですから、今更考察する事に何の意味もないのですが、数年前に巷に荒れ狂っていた「萌え媚びハマーン」も落ち着いた事ですし、とりあえず数年振りにコミケで本を売っていた(増刷した分ですけど)という縁起の良い事もありましたので、少し...というかかなり偏った意見で彼女の事を述べてみますね。(コミケの初参加が幕張だったというのも、今では良い思い出です)
まぁ、当たり前的な発言を期待されるのでしたら、公式から出てる書物類や、ネット上で解説されてる公式サイトやそれに準じたサイト様をご覧になる事を是非お薦めします。もちろん、そこで書かれてある事は充分すぎる位価値があるとは思いますし、とっても参考になる事も多々あったりします。ただ、その元となる「後付けで塗り固められた設定」自体には、一体どの程度の説得力、価値があるのかは判りかねますが...。
では、出会った頃から考察してみますね。まず、アステロイドベルトにシャアとハマーンが一緒にいた頃は、お互いの理由や利害関係、そして閉鎖空間という事もあってか、二人はとっても信頼し合って時を過ごしていたと思われます。それは、Zガンダムでの画像に見られるような幸せな時間を共有していた事でしょう。少なくてもハマーンに関しては...ね。でも、ハマーンもニュータイプな訳ですから、シャアの心の曇りを察する事...それ位は理解出来なかった事は無いと思うんですよね。むしろ、ハマーンはそれを承知で心を寄せ、シャアに尽くす事で彼の閉ざされた心を開こうとしたという方が、「らしい」のではと私は思ってます。
そして、TVのお子さま向けという建前で考察するのでしたら、アステロイドベルト時代は深く心と心が繋がり合っていた...という感じなのでしょうね。まぁ、制約がない私個人の想像ですから、もう一つ進んで体を許しあう位深い関係になったと考える方が、その後の地球圏での執着ぶりを考えると、すんなり解説出来るのではと思います。
もし、ジオンの機密を持ち出しただけだとしたら、あそこまで彼に拘る事も無いでしょう。あれ程まで執着するというのですから、シャアがアステロイドベルトから脱出する時には、やはり二人は精神的、肉体的に深く繋がっていたと考える方が自然なのではと思いますね。もし、深い関係になっていないとしたら、単なる脱走兵扱いの処遇になる事でしょう。例え、ジオン・ダイクンの息子という肩書きがあったとしてもね。
また、シャアに復讐したいだけなら、戦闘中にあそこまで彼に「戻ってこい」と言う事も無い訳ですし、彼に寄り添って安らぎを得たいという態度を、あれ程までに示す事も無かった事でしょう。
アステロイドベルトにいた時代、シャアに心を預けて裏切られたからこそ、他人に心を開くことを頑として拒否し、自分の殻の中に閉じこもる女性になってしまったとは思いませんか?その心を他人が開く事が出来るとしたら、やはりそれはシャアだけでしょうし、ZとZZの間に何があったかは判りませんが、ある程度心の整理を済ませる様な事があったのだとは、その後の態度の変化を考えれば容易に想像することが出来ます。そして、自分から少し心を開き、新しく踏み出そうとした時にタイミング良く出会った少年がジュドーだったという訳なんですね。
と、ここまで書いた所で、ハマーンを「ツンデレ」とは呼ばないで下さいね。彼女が登場した頃は、そんな言葉は存在しませんでしたし、シャアが心を開いてくれさえすれば、あんな態度で人に接する事は絶対にしない訳なのですから...。ハマーンは、あの歳でジオンの怨みを含めた全てを背負いながら、唯一の心の拠り所だったシャアすら失って(脱出して)しまったのですから、それを全て抱き込んで笑顔で生きろという方が無理というものでしょう。ましてや彼女は責任感が人一倍強そうですしね。
そんな彼女でしたが、戦い方に関しては天才的とも言える手腕を発揮したのは、ここを見て下さっている方々も知っての通りです。自分の戦力を無駄に消耗させる事無く戦うように指揮する者が名将と言うならば、間違いなく彼女はそれに当てはまる事でしょう。Zガンダムでの戦い方はもちろんの事なのですが、ZZでダカールを無血占領して、サイド3を奪還した事などは、もっと評価されてもいい筈なのですけどね。言っておきますが、ガンダムシリーズでそんな事を成し遂げたのは彼女だけなのですよ。みんな力押しの消耗戦をやりたがるヤツしかいない中で唯一の存在だという事を、もっと理解して欲しい限りです。
また、統率の基本として恐怖での支配という事も、少ない数で行動する上では重要な選択支の一つだったりします。それは劇薬ですし、諸刃の剣ではありますが、場合によっては劇的な効果をもたらす事もあります。これに関しては、ZZにおいてのダブリンでのコロニー落としが当てはまります。ハマーンは苦渋決断の後にこの方法を選択し、実行しましたが、彼女とて人々の苦しみの声をジュドー以上に感じた事でしょう。しかし、この方法が無駄な戦いを終結させる為の最善の方法だと思えば、たとえ血塗られた道を歩む事になっても行動するのが彼女なんです。この行動に関して言えば「風の谷のナウシカ」に登場するクシャナ様並の行動力だと私は思ってます。
それと、彼女はニュータイプではありますが、シャアのように理想による人の革新を待つのではなくて、あくまでもオールドタイプの視点に立って民衆を導き、革新していこうとした人なのです。腹を減らした民衆にとって、今必要なのは理想なのか、目の前の平和と飯なのかを誰よりも判ってた人こそ、他ならぬハマーンなんですね。
そんな思いも、内部からの分裂という事で瓦解してしまう訳ですが、シャアが手元に戻って来ないと判った時点で、ハマーンにとってはある程度予想出来たのではないかと私なんかは思ってしまいますね。ハマーンは直接民衆を導くよりは、シャアのようなカリスマがある人の側で手腕を発揮するタイプのように思えますし、(劉備と孔明のような仲と言えば判りやすいかな?)それが判っていたからこそ、彼にジオンへ居て欲しかったのだと思うんですよね。
ZZでジュドーを仲間にしたかったのも、そんな影響が強かったのかなぁ...と思えてしまいます。とは言え、ジュドーにシャアの代わりに人を導けというのは(年齢的にも)ちと辛い訳ですから、どちらかと言えば、彼の一途な心に、以前の自分の心を投影してたと思う方が割とすっきりするかなと私は思ったりします。シャアと別れてから、傷付き、汚れてしまった自分の心を癒してくれる存在として、心の奥底にしまい込んだ自分の理想の部分を持つ存在として、ハマーンはジュドーに接近したと考えれば、無茶を犯してまで彼に会いに行くという事も納得できます。もっとも、ジュドーはあと数年もすれば、社会に揉まれて更にいい男になる事でしょうから、ハマーンはとっても先見性があったとも言えるんですけどね(笑)
あ、でもハマーンは面食いという訳でも無いと思うんですよね。姉と同じく信念を貫く男が好きなんじゃないかなと思えます。ミネバを丁重に扱うのも、姉が尽くした男性の子供だからという面もあると思うんですよ。そう考えると、顔は悪くても自分の限界を知ってた上で行動するドズルの様な生き様を見せる男が好きだったりもするかもしれませんね。でも、それをシャアに期待しろというのは...やっぱ無理ですよねぇ...(笑)
それで、最後のジュドーとの戦いなのですが、彼女にとってはホント無意味な戦いでしたね。少なくともあの時点でのハマーンは、もうジュドーと戦う理由が無かった訳ですから...。でも、ジュドーの立場としては、一人の女性の強い信念を体で感じ取れ、尚かつ生き残る事が出来たのですから、とっても貴重な体験をした訳なんですけどね...判ってくれたのかなぁ...彼。
で、ここからが私なりの解釈ですが、キュベレィの爆発した場面で、ハマーンが戦死したという客観的な証拠は何一つありません。画面に見えるのはイメージ映像ですから、0083のガトーのように「これはもう...」という事も言いきれない訳です。また、あのシャアも旧作やZで信じられない脱出を行っている訳ですから、彼を愛しているハマーンが同じ事を出来ないとは誰も言い切れない筈です。
え?公式では戦死した事になってるって?そんな設定、くずかごに捨ててしまえばいいよ。「画面で語られなかった設定」を、制作側があれこれ後付けで言った所で、ファンが独自に想像した設定と、一体どこが違うって言うのでしょう?話の中で語られなかった事に関しては、個人や、数人であれこれ話し合って楽しんだりする事が本当の意味でのファン活動ってもんじゃないのかなぁ...と、私は常々思ってますよ。
そんな訳で、私の中では、ハマーンはZZの最後では死んでませんよ(笑)シャアがナイチンゲールで助けに来て無事に脱出してますし、その後サイド6にて静かな余生を過ごす事になってます。また誰の子かの確認は出来ないのですが(間違いなくシャアの子なんだろうけど)、後に子供(男子)が産まれます。そして、シャアが再びジオン総帥として立つ姿を、ブラウン管越しですが嬉しそうに眺めていたりもします。ハマーンの家には、セイラも時々遊びに来たりして、子供と一緒に楽しく時を過ごしたりしてます。...そんな余生を想像するのも、ファンの楽しみ方の一つだと思うのですが、皆さんはどう思われますか?与えられたものだけで満足するなんて、ホント、時代が泣いてしまいますよ。
2008年1月4日
完 |