大雪山のナキウサギ

クロトン・カムイ(岩場の神様)の憂鬱
【画像をクリック!】
 短い夏の日射しにバテバテになって、カメラの放列の前に昼寝する姿を晒していたナキウサギも、秋風が吹けば冬ごもり用の草の収穫に忙しい。夏の頃に比べだいぶ少なくなったカメラマンも、日が陰るのを合図に帰り支度を始める。午後4時ともなれば、そこにはたいてい私一人が取り残されている。実は私はこのときを待っていたのである。

 私は元来カメラ嫌いで、未だにカメラは扱えない。バカチョンカメラでさえ見事にピンぼけさせてしまうほどだ。カメラを持たない私は、旅の間どんなに感動的な自然の姿に出会ってもそれを写真に収めることはなかった。本来自然の姿というものは、私が生きているわずかな時間の中でそう変わるものではないはずだ。その景色を見たくなったときはまた訪ねればいい、そう考えてきた。その私がナキウサギに出会って8ミリビデオカメラを買ってしまった。

 人間の為すことは暴力的な激変を地球に引き起こした。一つまた一つと美しい自然や見事な生き物が消えていく。もしかしたら私は、二度とこれを見ることが出来ないかも知れない。初めてナキウサギを見たとき、不意にそういった危惧に思い至り、安直ながら8ミリを手にすることになったのである。

 私は8ミリを片手に然別湖に通うようになった。狙うはカメラマン達が撤収を始める夕方近くだ。もとより芸術的な絵を撮る気などないから、少々光が足りないからと云って私は平気である。そしてカメラの放列から解放されたナキウサギも警戒心が緩むのか、それまでより頻繁にその姿を現してくれるのである。  

Top Page 三葉虫標本室 北海道の旅 宮沢賢治への旅