十四.五年前、私は無一文になって網走からウトロを目指して歩いていた。止別のバス停で夜を明かし、次の日は峰浜の海岸を寝床とした。食料はコーヒー豆が少しと角砂糖が半ケースほど残っているだけだった。角砂糖たっぷりのコーヒーを沸かし、コーヒー豆を豆のままバリバリと喰らい飢えを凌いでいたのだ。
5月の末のこと、観光シーズンにはやや早いがウトロまで行けば何かしらのアルバイトのクチが有るだろうと期待して私は歩き続けた。
峰浜を出て間もなく、私はテキ屋のおっさんの軽のワンボックスに拾われた。そしてその日から私は知床五湖の入り口で北海道一高いトーモロコシ売りに転身してしまった。(当時一本350円。札幌の大通り公園では一本230円で売られていた。)
ワンボックスはボコボコに凹み、エンジンもボロボロと変な音を立てていた。乗り込むとオイルの焼けた臭いが鼻を突いた。訊くと、運転していた、おっさんの親戚という医者の卵が前日に横転させたためらしい。それを直しもせずに乗っていたのだ。その青年よりマシだろうと私が運転することになった。更に驚いたことにブレーキがほとんど効かないシロモノだった。減速するのにシフトダウンとフルブレーキでのポンピングを組み合わせなければならない。このクルマで斜里から五湖までの約50qを一月余り毎日往復する事になってしまったのだ。