光彦と浅見家の人々 |
浅見光彦 年齢33歳、身長175cm、血液型B型、痩せ型、面長、鳶色の目の中に黒曜石のような瞳、声はきれいなバリトン、なかなかのハンサム。(いろいろ抜粋) 年齢については、「皇太子と同じ年に生まれた」とされている。 2月10日生まれ。(我流ミステリーの美学) 一浪して大学を卒業したが、職を転々として、現在はフリーのルポライター。 「他人が体験したことでも、何度となく自分の頭の中で反芻しているうちに、あたかも自分の体験であるかのように錯覚し、記憶してしまう癖がある。」(朝日殺人事件) タレントの石田純一に似て甘いフェイス(琵琶湖周航殺人歌)。 よく「浅見光彦のモデルは誰ですか」という質問を受ける。厳密にいうとモデルはいないのだが、浅見のデビュー作「後鳥羽伝説殺人事件」を書いた昭和56年ごろ、廣済堂出版の編集者だった「佐藤 薫」という人物の風貌をイメージしたことがあるにはある。(ミステリー紀行第4集) 好奇心が強い。変化の最期まで見届けないと気がすまない性質(性格)である。(日光殺人事件) 収入は月々30万程度。(讃岐路殺人事件) アルコールはあまり飲めないくち。(隠岐伝説殺人事件) トマトが嫌い!(佐用姫) この世の中で何が一番怖いかと訊かれれば、躊躇なく「お化け」と答える。 お化けと飛行機が苦手。(長崎殺人事件) 高所恐怖症。(佐用姫伝説殺人事件) 滝野川小学校、滝野川中学校を経て小石川高校へ進学した。(「首の女」殺人事件) 私大文学部卒、社会に出るのがいやさに大学院へ進み、博士課程を修了。卒業後人並みに新聞社文芸部に勤めるが、なんとなく肌が合わず、3年で退社。広告のコピー、雑文を書いている。(後鳥羽) 一浪して二流大学に入った。二流の商社や三流の新聞社、四流の薬品会社等々を転々とした。(鐘) |
雪江(母) 大正5年生まれ、無職。 年齢のわりにはなかなかの長身で、姿勢がいい。鼻筋が通った、きつい顔立ち。細い金縁の眼鏡をかけている。(後鳥羽伝説殺人事件) 居候の光彦には辛くあたっているかのように見えるが、その実、その才能を高く評価しており、ときどき光彦の尻をたたいては、事件に介入させることがある。 |
陽一郎(長男) 浅見家は代々官僚の家柄で陽一郎は、東大法学部を優秀な成績で出て、上級職試験にパス。現在46歳という若さで警察庁の局長の席にいる。(赤い雲) 昭和1X年4月8日生(江田島殺人事件)P186 5行目(情報提供、中坊さん) 風貌も性格も父親を生き写しにしたような秀才。 高校時代に司法試験にパスした。(美濃路) 光彦の探偵としての資質を認めている。 |
吉田須美子(浅見家のお手伝いさん) 「光彦にかかってくる若い女性からの電話には、どういうわけか性格が一変----というより、本性がモロに出てしまう。声のトーンが確実に5度は高くなる。」(横浜殺人事件) 次男坊の嘘を見分ける鋭い洞察力の持ち主。(上野谷中殺人事件) 光彦が朝食に食べるフライドエッグの、微妙な焼き加減をちゃんと心得ている。(鞆の浦殺人事件) 「伊香保殺人事件」では、群馬県吾妻町で起きた、焼死殺人事件の容疑者として警察に連行されてしまう。 |
秀一(父、故人) 帝国大学を卒業し、大蔵省の局長まで行き、ゆくゆくは次官にもと嘱望されたが、光彦が中学生の頃に惜しくも急性肝炎で急逝した。(後鳥羽伝説殺人事件)。 |
兄嫁の和子(46歳)は、美智子妃殿下と同じ学校を出た才媛である。(漂泊の楽人) 智美(長女)と雅人(長男)のふたりの子の母親。 |
長女の祐子は事故で死亡した。(後鳥羽伝説殺人事件) |
次女の佐和子は、ニューヨーク在住(記憶の中の殺人) 次女・佐和子は女子大を出てからニューヨークの大学へ行った。(記憶の中の殺人) 後鳥羽伝説殺人事件に名前だけ出ていたが、「記憶の中の殺人」でニューヨークにいることが判明した。ちなみに登場したのは電話シーンだけである。 |
陽一郎の長女の智美は私立の女子学園に通っている。(佐用姫伝説殺人事件) |
陽一郎の長男の雅人はヴァイオリンをならっている。(鬼首殺人事件) |
浅見家の住所は、東京都北区西ヶ原3丁目 「浅見家のある北区西ヶ原へは、東大前からバスで一直線であった。東京にめずらしく、あまり大きなビルのない古い住宅街だ。」(後鳥羽) 応接室は、飾り気のないインテリアで、けばけばしい装飾だとか、成金趣味の置物などが一切ない、すこしそっけないほど直線的な佇まいである。(日蓮伝説殺人事件) |