ディスコホール Disco Hall


Disco Hall
Disco Hall
(写真は、91/12/09、中山競馬場:TV東京賞3歳牝馬Sのゴール/ウィナーズサークルにて)

生年・性別・毛色:89年 牝馬 栗毛

厩舎:栗東・山内研二 厩舎

血統:
父:ノーザンテースト母父:Big Spruce母母父:Crimson Satan
母:ダンスカントリー母母:Grand Char母母母:Bright Prospect


戦績:
平成3年
 札幌新馬1着
 札幌札幌3歳S2着
 京都デイリー杯3歳S6着
 阪神阪神3歳牝馬S5着
 中山テレビ東京賞3歳牝馬S1着
平成4年
 東京デイリー杯クイーンC2着
 阪神報知杯4歳牝馬特別1着
 阪神桜花賞12着
サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別の追いきり後に屈腱炎を発症、繁殖入り

現況:社台ファームにて繁殖牝馬として繋養中

産駒:
94年:ビンラシッドビン(父:トニービン、牡馬)、2勝(現役)
95年:アラビックナイト(父:トニービン、牝馬)、未勝利→繁殖
97年:馬名未定(父:トニービン、牝馬)
98年:馬名未定(父:サンデーサイレンス、牡馬)

かかわり

それは、インターネットなんてものが一般にまだ知られていない頃、 internet-NetNews(そのころは、まだfj.rec.sportsに競馬の話題が間借りしていた)で お知り合いになった関西在住の方々と、天皇賞(春)を観戦するために京都を訪れた私とで offline-meetingと称する飲み会を行う事になった。
その場に、同馬の厩務員さんの息子さんがおり、「厩舎見学しません?」のお誘いに2つ返事で お言葉に甘えたのがそもそもの始まり。

そこで見たのが、3歳4月の時点で入厩していたこの娘。栗毛+尾花栗毛のたてがみというハデな立ち姿。
ハナ面を恐る恐る撫でてみると、「ウンウン」と頷いて喜ぶ仕草に心引かれて、馬と人との関わりから応援する事になる。

山内厩舎が全国区に名を売り出したのは、この世代の3歳馬たちからだろう。 記者やファンからは「山内の3歳馬は、仕上がり早で走る」と言われ、 牧場からは「早く3歳を入れて欲しいというのは、東の境勝太郎、西の山内研二」と言われるほどの方針の徹底ぶり。
先生自身、「早くデビューできれば、ライバルも少ないし勝ち上がりもできる。何より、1勝をあげることが馬主への努め」 という方針はピンクの家紋入りメンコとともに知られる事になった。

さて、知り合ってから3ヶ月、あっという間にデビュー勝ちし、3歳重賞に食い込む健闘を見せる。
で、中山へ持ってくるという話から、前述の方から「私も応援に行く。横断幕が無かったら泣く」(笑)と言われ、 2週間でこしらえたのが後述の横断幕。その場で難なく優勝。
こうなってくると、横断幕を作った手前、どこへでも開門前に競馬場へ行き応援する事になる。
#ここら辺の経験が、現在の躊躇無く関西の競馬場へ行ける原動力になっているのだろう。(笑)
で、とうとうクラシックレースの桜花賞へ出走。
このレースは、「山内3人娘」と呼ばれた、ディスコホール/サツマコムスメ/ダンツセントーが揃って出走し、 特にダンツセントーは九州産馬としてのクラシック制覇という視点で注目されていた。
初めて触ったデビュー前の馬が、新馬勝ちし、重賞を勝ち、そのうえクラシックに出走なんて もう2度とないと思った私は、給料1ヶ月分を賭けて応援するという一世一代の暴挙にでて、 あえなく夢は散ったのであった。
#同馬の厩務員さんにG1の表彰台に立って欲しいという切なる願いもあったのだが。

結局、これが最後のレースになり、繁殖入りとなっている。
産駒は、いまひとつ勝ち星に恵まれないのと、みな馬体が小さく出るのが残念であるが、まだまだこれからかんばれると思うのである。
また、同馬の厩務員さんにG1競走のお立ち台に立って欲しいという願いは、ダンツシアトルの宝塚記念で見事叶うのであった。 この姿を生で見られたのは(偶然とはいえ)非常に喜ぶことであった。 が、惜しむらくは、このレースが多くのファンにとってはライスシャワー号の事故があったレースとして 記憶されているということである。

前述の方は、その後IP-unreachableとなってしまい、音信がとれなくなってしまった。
#もしご覧ならメール下さい。
厩務員さんはまだ現役で、現在はチェックメイト号の担当である。
で、私は山内厩舎フリークになり、さらに社台RHの会員になることになり、どっぶりクラブ馬主生活にハマってしまうのであった。(笑い、完)


おまけ
TV東京賞3歳牝馬S〜桜花賞の各出走時には、こんなものを作って応援してました。(笑)
「JUNET」という文字が時代を感じさせます。(感涙)
Disco Hall

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