●オーストラリア便り No.01

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●オーストラリア便り No.01 田中研二

ワルツィング・マチルダ (その1)
 高校の頃に、映画「渚にて」サウンドトラック盤の「Waltzing Matilda」というのを持っていた。映画は1959年にスタンリー・クレーマー監督、グレゴリー・ペック、エヴァ・ガードナー、フレッド・アステア出演で制作され、核戦争後の世界を舞台にしていた。撮影でオーストラリアを訪れたエヴァ・ガードナーがオーストラリアの感想を求められて、オーストラリア人の気を悪くするような発言をしたために顰蹙を買ったという話が伝えられている。多分、「なんて地の果てなの」みたいなことを言ったのだろう。 ドーナツ盤のサウンドトラックは、グレゴリー・ペック艦長の潜水艦が陸地を発見する場面で始まり、オーケストラがこの曲を奏でるものだったように思う。
 オーストラリアの俗謡詩人バンジョー・パターソンが1895年に作詞し、スコットランド民謡の「Bonny Wood of Craigielea」という曲に乗せて歌われたということになっている。イギリスの17世紀の曲「The Bold Fusilier」だという説もある。バンジョー・パターソン版の「Waltzing Matilda」は、今歌われているものとはかなり違っているし、原曲と言われるスコットランド民謡も似ているとは思えない。パターソン版の曲はどちらかと言えば飛び跳ねるような子供の遊戯向きだし、流通している版もかなりゆっくりめに演奏しないとあまり興趣の湧かないメロディーである。それでもオーストラリアでもっとも親しまれている曲であることは確かだ。

 1974年、時の労働党内閣が、それまで長年にわたって用いられていたイギリス国歌「God Save the Queen (King)」に代わるオーストラリア国歌を、ということで新しい国歌を公募した。詞は2500件、曲は1400件の応募があったがろくなものがなかったので従来から歌われていた数曲から国歌を選ぶことになり、世論調査の結果「Advance Australia Fair」が「Waltzing Matilda」、「Song of Australia」を抑えて国歌に選ばれた。ところが翌年に国会が予算案を巡って紛糾し、国会議員によって選ばれた連邦首相が、自ら任命した、オーストラリア女王 (つまりイギリス女王) 代理の連邦総督によって罷免されるという奇妙な事件が起きた。この政変は今でも「オーストラリア民主主義の危機」と言われている。代わって任命された自由党政権は、「Advance Australia Fair」と「God Save the Queen」の2本立てを定めた。1977年に再び国民投票にはかった結果、再び「Advance Australia Fair」が、「Waltzing Matilda」と「God Save the Queen」を抑えて1位になったが、有力者の間で反対が多くて国民投票の結果は無視され、「Advance Australia Fair」が国歌として確定したのは、1984年に労働党が政権に返り咲いた後のことである。国歌というのは大体メロディもしらじらしく、歌いづらく、感情移入しにくいものが多いが、「Advance Australia Fair」も例にもれず、まして擬古調の歌詞も「まったく何のことか分からん」という意見が多い。それはともかくとして、「Waltzing Matilda」を国歌に、という声は今でもある。

 「Waltzing Matilda」がどんな歌かと言えば、「ある日、陽気なswagman (スワッグマン, 放浪者)、billabong (ビラボン, 池) のほとりに立ち止まり、coolibah (クーリバー, ユーカリの一種) の木の下で一休み」しているところに、jumbuck (ジャンバック, 子羊) が水を飲みにやってきた。これはしめたと流れ者、子羊を捕まえ、tucker bag (タッカーバッグ, 食料袋) に押し込んだ。そこにやって来たのがsquatter (スクォッター, 大牧場主) と騎馬警官3人。窃盗の現行犯で警察に連行されようというところで、スワッグマン、『生きて捕まるものか』とビラボンに飛び込んだ。今でもあのビラボンに行くと、スワッグマンの亡霊が現れて歌う。マチルダを踊ろう、と」というものである。
 この歌が国歌にならなかったのは、子羊1匹盗んで自殺する放浪者の歌を国歌にするのはさすがにはばかられたからだという説がある。現実の世間では、むしろ大々的に武力金力人力を使って世界中から盗みまくり、大金持ちになり、自殺する気遣いもないほど傲岸不遜横柄堂々としていればそれなりに尊敬を集めるし、結構なことには神様にまで守ってもらえるのが普通である。
 それはともかくとして、この歌にはオーストラリアの歴史と英語の背景が豊富に隠されている。言い替えれば説明を加えないと分からないということだが。マチルダというのは一説によればドイツ語に語源があり、兵士に同伴して戦場に赴き、夜に兵士を温めた女性を意味したが、オーストラリアでは転じて放浪者が家財道具一切を包んで運び、夜は体を温めてくれる毛布を意味するようになったそうである。スクォッターというのは「居座る人」という意味だが、オーストラリアの歴史ではイギリス出身の金持ちで大金をオーストラリアに投資し、勝手に公有地を囲って羊や牛を飼い、土地をそのまま自分のものにしてしまった牧場主を指す。それに対して貧しい農民が政府から分譲区画をもらって細々と農場を切り開いたのをセレクターと呼ぶ。開拓時代にはこのスクォッターが地域の有力者となってただでさえ肥えている私腹をさらに肥やし、警官はたいがいスクォッターとつるんで貧しいセレクターに嫌がらせしたらしい。まして貧しいセレクターにカソリックのアイルランド系移民が多いとなると英国教会系のイギリス人スクォッターとの間で旧世界時代から抱えていた反感がそのままオーストラリアでも再現されることになる。ミック・ジャガー主演の失敗作映画「Ned Kelly (邦題は「太陽の果 てに青春を」という奇抜なものらしい)」の主人公ネッド・ケリーがブッシュレンジャー (盗賊) になった背景にもイギリス系スクォッターと警官、それにアイルランド系貧農の対立があった。それはともかくとして、この放浪者の行動に「反権威主義」や「自由への憧れ」を重ねる人々もいるが感傷に過ぎるというものである。

 


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