「シチョウ知らずに碁を打つな」
―○●○わたしの囲碁格言説教集より○●○―
2008年2月1日 碑文谷教会牧師 大三島義孝
シチョウは、四丁と書きます。中国語では征。
四丁とは約400メートルの距離のことで、長い距離を追いかけていくことが由来です。
具体的には、アタリ(次の手で石を取れること、麻雀のリーチのようなこと)、アタリの連続で相手を追いつめていきます。最終的には、どこまでいっても、石は助かりません。シチョウにかかえられると、石に活路はほとんどなくなるわけです。
シチョウ知らずに碁を打つなとは、そういう碁の基本も知らずに碁を打つとは、何と、初心者以下ではないかというたとえなのです。
ただ、シチョウでも、犠牲をはなって、活路を求める方法もあります。シチョウアタリ、また、シチョウノガレというのですが、シチョウは、絶体絶命のように見えるのですが、シチョウをのがれる術で、全体の形勢を挽回する手段もあるわけです。毒が薬にもなるということです。
旧約聖書の詩篇に、「命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う」(詩編二三・六 新共同訳)という言葉があります。
神さまは、恵みと慈しみをもって、わたしたちを生涯追いかけるというのです。逃げても逃げても追ってきます。この恵から逃げる術(すべ)はありません。
シチョウ知らずに碁を打ってはならないように、神さまの追いかける恵みを知らないでは、初心者以下ということでありましょう。
わたしたちの人生は、キリストの恵みが追いかける人生であります。