負けるは勝ち ―わたしの『いろはかるた説教集』より―
2008年3月1日 碑文谷教会牧師 大三島義孝
現代は、「負けるが勝ち」というのが普通です。子どもの喧嘩に、負けてあげなさいというふうに使います。
私は碁を打ちますが、トラブルな碁の場合、勝っていても投了、すなわち自分から負けることがあります。勝負は勝っている、また実力も自分が上と納得し、しかし、打ち続けると面倒になるので、自分から負けるわけです。
負けるは勝ちというわけです。
江戸時代は士農工商の時代です。町人は、自分が正しくても、武士には意見を通せなかったでありましょう。自分は譲って、しかし勝ったというのがこのことわざの由来のようです。
負けるは勝ちでいいのですが、多少の精神的な犠牲がつきものです。
神さまは、私たち人間に勝っています。また、悪魔にも勝っています。そのために、自分が負けたように見せて、御子イエス・キリストを十字架の死に引渡したのではないでしょうか。
負けて勝つために、普通では考えられない、自分の独り子の犠牲を引き受けたわけです。
ことわざは、逆に、勝っているようで、負けていることもあるということでありましょう。
負けることのできる人、ゆずれる人は強い人であると思います。負けるが勝ちと、本当に思えるような心境に、いつもありたいですね。なかなかそうはいきません。誰もが勝ちたいからです。