B W1BBのこと |
|
160mと言えばこの人W1BB_Stewを抜きにしては語られないほど彼の影響力はこのバンドでは大きいものがあった。 W1BBは1953年に世界初のWACを完成、その偉業がQSTで報じられたことにより、我が国でも知られることになった。そして彼を通じて未知のバンド160mのことが徐々に知られるようになった。世界最初のWACはEI9J,EK1AO(タンジール、現在はCN8モロッコ),ZC4XP,ZL1AH,HC1JW,KV4AAとのQSOにより完成し、世界中を驚かせた。 |
|
下のの写真はJA5DQH奈木氏が1981年渡米、W1BBを訪問して写したもの。 1980年代のW1BBと彼のシャック。 |
中央の給水塔を利用してアンテナを張って居た。 右端は大西洋という絶好のロケーション。 |
W1BB 160m DXBULLETIN ↑ |
このようなアンテナでOKだと ↑ 丁寧に指導して貰ったこともあった |
W1BBの業績はそればかりでなく、160mバンドの普及、活性化に大きな力を注いだことでも知られている。 その一つは大西洋横断テストである。 その昔アマチュアが長波から、使い物にならないとされていた短波に追い出された頃のこと。 ある日、アメリカであまり聞いたことのない電波が受信された。 何だろう、どうやらヨーロッパの電波らしいぞ、そんなバカな、と大騒ぎになった。 ヨーロッパでも同じように、どうやらアメリカの電波らしい、と気がつきだした。 それで、ARRLではポール・ゴットレーをヨーロッパに派遣して実状を調査させたが、やはり大西洋を渡ってアメリカの電波がヨーロッパに間違いなく届いているのが確認されたという。その後お互いの努力により、1923年12月17日アメリカのアマチュアの「1MO」とフランスのアマチュア「8AB」による初の大西洋横断交信が成功したのだが、この一連の活動をARRLは「大西洋横断テスト」と呼んでいる。1932年にはG6FO等により同じ趣旨で若干形を変えて大西洋横断DXテストとして続けられ、途中第二次世界大戦で中断はあったものの1972年には第40回を数えていた。W1BBは戦後、この大西洋横断テストについて、一切の面倒を見ておりおかげで沢山のFBな記録が生まれている。 更に彼は日本の160m開放を喜び、強く意識してW,VE,JA,VK,ZL等の160mDXに焦点を合わせた「TRANSPACIFIC 160m DX TEST」(太平洋横断160mDXテスト)を計画、発表した。第一回の期日は1967年12月2.16.30日1968年1月13日、2月3.17日で、JA局は毎時0−5分受信、5−10分送信、などその他きめ細かく説明されていた。 W1BBのもう一つの業績はW1BBブレテンの発行である。 正式名は「W1BB 160 METER DX BULLETIN」というのだが、彼自身がニュースを集めタイプライターを打ち、もちろん自費で全世界のTOP BANDERに航空便で送り続けた素晴らしい内容の160mのDXニュースであった。 私達はこのブレテンにより世界の情報を知り、160mDXの知識と面白味を得ることが出来たのであった。 1969年2月24日、W1BBは世界初のDXCCを完成した。100カントリー目は当時のIARU会長W0DX等によるHK0TUマルペロだった。 その日は交信直前にアンテナのトラブルで電波が出なくなり、冬の真夜中午前1時過ぎ、外気温0.5度風速11mという悪条件の中、65才の老骨に鞭打って彼は鉄塔に登り同軸ケーブルの短絡箇所を修理、1時41分HK0TUと交信成功、100カントリー交信の大記録を達成したのであった。 |