D JA初のDXCC完成まで

1973〜1985

 

WACは完成したがこの時点では、JA全体で交信出来たカントリー数は約30カントリーで、個人的には20−25カントリー程度であったからDXCCのことは話題にもならなかった。年間交信出来るニューカントリーは5−6カントリー程度だから数年先のことと考えられていたし、日本から果たして160mでDXCCは出来るのだろうかという悲観的な考えすらあった。

 しかし、この気の遠くなるような目標に向かって着実にJAのトップバンダー達は歩み始めたのであった。

 

1972年以降のJAからの交信状況は次のようになっている。

年月日

 

1st ever 

JA

 

カントリー

相手局

72.05.13

JA3UI

DU

DU1PAR

72.12.02

JA5BIN

EP

EP2BQ

72.12.10

JA1HKP

KH2

KG6JBO

73.01.27

JA7AO

5Z4

5Z4KL

73.07.08

JA7AO

LU

LU5HFI

73.07.09

JA7AO

C21

JA1MCU/C21

73.07.09

JA7AO

VP8

VP8KF

73.10.17

JA3PNP

3W

XV5AC

73.11.30

JA7AO

DJ

DL1FF

74.01.04

JA7AO

PY

PY1RO

74.08.25

JA7NI

CP

CP1EU

74.11.11

JA2GQO

S2

S21JA

74.11.22

JA7NI

8Q

8Q6AG

74.12.07

JA3ONB

ST

ST2AY

74.12.13

JA7AO

G

G3ZEM

75.04.20

JA5DQH

XW

XW8HP

75.06.06

JA7NI

OA

OA8V

75.10.24

JA1MCU

T30

VR1AA

75.11.27

JA3ONB

HB

HB9RM

75.11.30

JA3ONB

PA

PA0HIP

75.12.06

JA3ONB

OH

OH2BO

75.12.23

JA3ONB

GM

GM3YCB

76.01.10

JA7NI

V8

VS5DB

76.02.15

JA7NI

A3

A35AM

76.02.25

JH8DEH

5N

5N2NAS

76.03.29

JA2GQO

T2

VR8D

76.04.21

JA7NI

H44

VR4CW

76.05.31

JA2GQO

7J1

7J1RL

76.09.09

JA7NI

YB

YB7HB

76.10.03

JA2GQO

KH3

KJ6DL

76.10.03

JA7NI

T32

VR3AH

76.12.23

JA3ONB

9H

9H1AB

77.01.24

JA3ONB

YU

YU1SJ

77.01.29

JA3ONB

4X

4X4NJ

77.06.17

JH1SWD 

KH5 

KP6AL 

77.06.19

JA8SCD 

KH5K 

KP6BD 

77.11.27

JA3ONB

ZC

ZC4IO

77.02.13

JA2AAQ

KH4

KM6FC

77.12.26

JA8SCD

XE

XE1AN

78.02.26

JA7AO

IS

IS0LYN

78.10.03

JA2GQO

VK9/M

VK9ZR

78.12.03

JA5DQH

4U1ITU

4U1ITU

79.05.05

JA5DQH

9N

9N1BMK

79.05.25

JA1CUW

KH0

KG6SW


以上のようににして1966年から1979年までかかってJA各局の努力により約60カントリーが交信済みとなった。半分はやっと過ぎたもののこれから100カントリーまでということは今までのペースならばもう10年近くを費やさねば達成出来ないのではないか、と思われ、途方に暮れる感じであったが、実は大変なニュースが飛び込んで来た。それは、それまで160mで他の国との交信を禁止していたUSSRが全面的に解禁し自由に交信しても良い、と言うことになったと言うのだ。

USSRは国土も日本に接近している極東からEUまで広大で、アマチュア無線も盛ん だし、何よりもカントリー数が18もある。ひょっとしたらDXCCまで手が届くかも、という期待を抱かせるには十分なビッグニュースであった。その記念すべきUSSRとJAとの初交信は1979年9月13日2142JST、UA0FDDとJA6PJJの間で行われた。

 こうして遅いペースながら交信出来るカントリーがじわじわと増えていった。

1983年になると、JA5DQH_80C,JA3ONB,JA7AO,JA7NI_75C,JA2GQO_70Cと推定されていてこの5人の中から最初の完成者が出るだろう、と言う下馬評であった。 でも、ロランが停波して1.8メガが使用可能にでもならない限り100WKDは無理ではないか、という話もちらほら聞こえていた。 

 

 しかし、1983−84年はコンディションがFBで 、予想以上にDXとのオープンがあり、このチャンスにJA2GQOは50メートル近いタワーを建ててその上にデルタループを張り、受信もビバレージを張って1983年は13カントリー増、1984年は何と18カントリー増と急ピッチで追い上げ、遂に1984年8月18日、JA1PCY運用のBY5RAとのQSOにより日本で最初の160mで100カントリーと交信した人となった。

 

 一方JA5DQHも最後の追い込みでKH8,SM,T77,F,OH0,Y36,OE,KX6,ZK2等のNEWを得て1985年1月に100CをWKDした。

 さてこれ以降はQSLのCFMとARRLに対する申請が争いになる。

JA5DQHは100枚目が揃ったので内容を吟味し、確信が持てたので1985年2月13日ARRL向けAIRMAILを発送した 。

一方のJA2GQOは若干余裕を持たせ103枚のカードを用意、2月1 2日にARRL向け発送。

 しかしながらしばらく経って待っている二人にARRLから戻ってきたのは「申請用紙が変更されたので書き直して出しなさい」という通知だった。もちろん二人は折り返し新フォームに記入して再提出したことは言うまでもない。

 そのようなやりとりがあった末、160METERS DXCC賞の発行は#75_JA5DQH, #76_JA2GQOで、アジアでもそれぞれ#1と#2(#3は#81の4X4NJ)であり、日本で最初の受賞はJA5DQH奈木氏であった。

 

 それから幾星霜 、時は流れて今年は2001年、JAにおける160mDXも飛躍的な発展を遂げた。DXCC完成者は二桁になりトップは220カントリーというすさまじさ。 JA3ONB中西氏による160m_WASの受賞もあった。ロランCも停波したし1.8メガ帯も解禁された。益々発展を続けることだろう。 

 

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