七夕人形の由来
七夕は陰暦7月7日の夜に、天の川の両岸にある牽牛星と織女星が年に一度会うという、中国渡来の古い伝説にもとずいて星をまつる行事であって、日本では奈良時代からすでに行われていたという。
一方我が国にはそれ以前からすでに、棚機津女の信仰があって、聖なる乙女が人里離れた水辺の機屋に籠もって、そこに神を迎える風習があつた。
この我が国古来の信仰と、牽牛・織女の伝説とが習合して生まれたのが七夕行事である。
佐久地方においては、笹竹に願いごとや詩歌を書いた短冊とか、人形をつくって吊して飾り、その前に、季節の野菜や果物を供えて、機織・裁縫・書道・詩歌等の上達を祈ることが行われていた。
七夕飾りは六日夕方飾りつけ、早いところでは七日の朝、または夕、遅いところでは13〜14日頃取りはずすところとがあった。
人形を流す形式のところでは、一年ごとに作り、人形に身の穢れをたくして流した。
着物かけ形式のものは角材・箱・板などに顔を描き、それに腕と脚をつけ、着せかけた着物の裾を尻挟みして軒先へ吊すものと、板の人形へ子供の着物を着せかけるものとがあった。佐久地方でも大正の頃までは各家庭で災厄や魔性を洗い流す日とした古いしきたりが行なわれていたが養蚕の発展と共に次第にその姿が消えていった。小須田盛凰