Angelique
**parody**

imbalance 【2】
 

 小刻みに揺れる個室の中で、ロザリアは静かに到着の時を待っていた。かたかたと車輪が揺れる音だけが、規則正しい旋律で聞こえてくる。
 もう二度と戻ることのないであろう道を、馬車は早足に過ぎ去って行くのだった。
 暦はちょうど昼と夜をちょうど二分する日である。
 これを境に明日からは春と呼ばれる季節がやってくるが、まだ明け方は肌寒く感じることが多かった。
「お嬢さま。お寒くありませんか?」
 同乗している古参の使用人が、主であるロザリアに声をかける。
「ええ。わたくしは平気ですよ、ばあや。……ありがとう」
 車内に凛とした声が響いた。真っ直ぐと背筋を伸ばして座っていた少女が、僅かに首を傾けて答える。
 少女の名前はロザリア・デ・カタルヘナ。スモルニィ女学院に在学する十六歳の少女であった。
 平凡だった生活が突然非凡なものに変わり始めてから、まだたったの一週間しか経っていない。当たり前のように高等部の第二学年に進級する筈だったロザリアに、女王陛下から直々の通知がきたことによって今のような事態になっているのだ。
 女王候補生。
 次期女王になる器であるかどうかの試験を受けることができる特別な生徒である。今回はロザリアの他にもう一人、スモルニィ女学院から選抜されているというものであった。
 当然女王になるのはそのうちの一人である。
 ロザリアの生家であるカタルヘナ家は、古くから多くの女王を送り出してきた、言わば名門である。ロザリアも幼少の頃から、現当主の一人娘として、女王に選ばれるべく英才教育を受けてきたのだ。
 両親は幼い娘に大きな夢を託す。そして、夢はそのまま少女自身のものとなっていくのだった。
 ロザリアは再び居前を正すと、また黙って空を見つめているのだった。
 馬車には小さな覗き窓がついており、そこから朝の弱い陽光が車内に注ぎ込んでいた。
「まあ。こんなに外れまで来てしまったのですね……」
 ばあやと呼ばれた老女が、窓から外を見て声を上げた。
 太陽が顔を出し始めてから幾らも経っていないが、景色を見るには充分である。お嬢さま、と思わず声をかけるのだが、ロザリアは微苦笑しながら小さく首を振って、それを断るのだった。
 この先に待ち構えているであろうことを考えて、緊張している様子でもない。しかし、ロザリアはここに辿り付くまでのめまぐるしく移り変わる景色を、一切見ようとはしなかったのだ。
 幼い頃から傍でロザリアを見守ってきたばあやは、彼女の性格をよく知っている。人一倍探究心が旺盛で、始めてどこかに訪れる時はいつもきょろきょろしながら周りの様子を窺っていた筈だ。
 それが今日の彼女はどうだろう。大人しく、ただ時が満ちるのを静かに待っているようにも見える。この一週間という短い期間で、少女は急激に大人になっていった。
 当初、ロザリアは自分の同行も大反対をするのだった。何をするにも、ばあやばあやと言って手を放そうとしなかった少女が、始めて自分を拒絶したのだ。大人になった嬉しさよりも悲しさよりも、何よりもロザリアを案じる気持ちが勝って、強引についてきてしまったのだ。勿論ロザリアは「わたくしを信用して下さらない」とか「わたくしはもう大人です」などと散々文句を言っていたが、年寄りの鋼鉄の意志を砕くことも出来ず、諦めてばあやの動向を認めたのだった。
 しかし、この一件すらも、ばあやにとっては気にかかることであったのだ。重い使命の前に、子供の殻を無理矢理脱ぎ捨てて大人の仮面を被っている、ばあやにはそう思えてならないのであった。
 一度、大きく馬車が揺れた。
 その衝撃に、ロザリアも身体の平行感覚を失う。進行方向につんのめって、咄嗟に手をついて転がることだけは防いだ。耳元にだらりと落ちてきた青い髪をさり気なく後ろへ整えているとこに、御者台に座って馬を操っていた男が馬車の扉を開けるのだった。
「失礼致します、ロザリア様」
「如何なさったの?」
「ここからはお二方で行かれて下さい。私たちはここまでの許可しか頂いて下りませんので」
 どうやら目的地に着いたようだ。ばあやと顔を見合わせて、降りる仕度を始める。
「判りましたわ。ここまでご苦労様でした」
「いえ。当然のことをしたまでです」
 労いの言葉をかけると、御者は馬車に乗り込み詰んであった大きな荷物を次々と下ろしていくのだった。
「それに、今までも世話になりました。帰ったらお父さまとお母さまに宜しく伝えて頂けるかしら。もう二度とお目にかかることもありませんが、ロザリアはカタルへナの名に恥じぬよう、立派に努めて参ります、と」
「はっ、必ずやお伝え致します」
 ロザリアの言葉を、御者は彼女同様に背筋を真っ直ぐに伸ばして聞いていた。主家の息女が誇らしくて堪らなかったのだ。
「宜しくお願い致します」
 花が綻ぶようなロザリアの笑顔を見て、男の目頭は熱くなった。幼い頃から変わらない天使と呼ばれる所以であるその笑顔も、今日で見納めなのである。
 ずっと傍で見守ってきた天使のようだった姫が、本当の天使になろうとしている。そんな旅立ちに付き合うことができて、使用人という立場であっても万感の思いだったのだ。
「ロザリアお嬢様……」
 昔からの呼び名が、喉から零れた。
「私も……私たちも嬉しく思います。お嬢様が、こんなに立派になられて……」
「まぁ、泣かないで。わたくし、どんなになってもあなた方のことは、一生忘れませんわ」
 ロザリアにとっても、みんなかけがえのない人達だったのだ。このまま永遠に逢えなかったとしても、決して忘れることはないだろうと誓うことができる。
「私たちには、勿体無いお言葉です」
「メアリと幸せになってね。ウィルもどうか息災で」
 ウィルと呼ばれた青年は、両手でロザリアの手を握り締め大きく頷いた。彼女とは世話する者とされる者という間柄でありながら、自分の方が色々と面倒を見てもらったのである。
 カタルヘナ家の使用人であったメアリとの仲を取り持ったのもロザリアであった。その上、主人である父親に頼み込んで、結婚式の手配までしてくれたのだ。
「式に出られなくなってしまってごめんなさいね、とメアリにも伝えておいて下さる?」
 そんな彼女のことまで気にかけるロザリアの優しさに、とうとう堪えていた涙が零れ落ちた。
「お嬢様……。あなたが女王になって下さったら、きっと誰も不幸にならない世の中になると思います」
 優しい優しいロザリアお嬢様。そのお嬢様が幸せになることが、今の自分の望みだった。
 少女は幼い頃から女王になることだけを夢見ている。今日という日は、まさにその一歩目を歩み出さんとしている佳節であったのだ。
 御者台に戻ったウィルに、ロザリアは尚も声をかける。
「そうなるように努力するわ。あなたも頑張って家庭を支えていくのよ」
「はい! ロザリア様もどうかご健勝で……」
 失礼しますとの言葉を最後に、ウィルは馬に鞭を入れた。馬は小さく嘶いて、元来た道をまた駆け出していく。
 舞い上がった砂煙がすっかり消える頃には、馬車もまたその姿を消しているのだった。



◆◇◆




 ウィルに降ろしていった荷物だけが残り、それを改めて見たロザリアは絶句した。自分が用意したのは、小さな旅行鞄一つ分ほどしかなかったはずだ。それがいつのまに、こんなに大きくなってしまったのだろうか。
「ねえ、ばあや。少々荷物が多かったのではなくて?」
「いえ、これでも選別に選別を重ねて参りましたのですよ」
 滅相もないと首を横に振る。
「こんなにあるのなら、郵送で済ませればよかったのに……」
「勿論、郵送の手配もしてあります」
 ばあやは己の抜かりのなさに、胸を張って答えた。
「……ということは、これ以上に荷物があるということなのね」
 荷解きだけでも一日かかりそうである。あれだけばあやの同行に反対していたロザリアであったが、この時ばかりは連れてきて正解だったと思ったのであった。
(でも、ばあやにあまり重いものを持たせるわけにはいかないし……)
 主星にいる間、ロザリアは荷物運びのような力仕事を一切行ったことがなかった。フォークやナイフより重いものを持ったことはない、というのは言い過ぎであるが、もしもロザリアがそれを望むのなら、フォークだって持たなくていいような環境にあったのだ。
 貴族、ましてや由緒ある名家の令嬢とあっては、それも当然なのである。しかしロザリアは、自分のことくらい自分で出来なくてはならないという信念を持っていたので、そこまで偏った生活には至らなかったのである。ここが普通の令嬢と、ロザリア・デ・カタルヘナの違いにあった。
 そうはいうものの、やはりこの荷物は尋常じゃない。一体ばあやは何を詰めてきたのだろうか。
 考えていても仕方がないので、ロザリアは皮のトランクをひとつ持ち上げてみる。やはり重たいが、持てないことはないだろう。
「ああ、お嬢さま! それはばあやがお持ち致します」
 慌てるばあやを空いた手で制し、その手でもうひとつの鞄を抱えた。
「このくらいわたくしでも持てますわ。ばあやはその包みを持ってくださる?」
「お嬢さまがそんなに持つ必要ございません。そちらはばあやにお任せ下さい」
「残った包みの中身は、一体何なのかしら?」
「これはティーセットでございます。お嬢さまがお気に入りの青い花模様のものでございますよ」
 そんなものまで持ってこなくても、と内心思いながら、ロザリアはにっこりと笑顔で言った。
「マイセンのね? それだったら尚のこと、ばあやに持ってもらいたいわ。割れてしまっては一大事ですもの」
 芝居掛かって大きく手を打ってみせる。その格好のまま懇願の視線を送ると、ようやくばあやは納得して小さな包みを手にするのだった。
「わかりました。それではこちらは、ばあやが責任を持ってお持ち致します」
「宜しく頼みますわ」
 伊達に長いことばあやと付き合っていないのだ。大事そうにティーカップを抱えているばあやをちらりと眺めて、ロザリアはこっそり一息つくのであった。



◆◇◆




 大きな荷物を一度足元に降ろし、ロザリアは目の前に佇む門を見上げた。一見しただけでは判りかねる素材で造られたこの門は、凝った細工が施されている為にあまり重厚な感じはしなかった。
「ここをくぐれば、飛空都市なのね」
 しかし、ロザリアは目に見えない力で全身を圧迫されていた。外の世界との境であるこの場所を守るもの一人もいないのは、この力――――おそらく女王のそれで守られているからであろう。
「立派ですね、お嬢さま。ばあやも嬉しいです。ロザリアお嬢さまがこんなに大きくなられて、その上女王候補だなんて……」
「いやね、ばあや。候補ではなくてそのうち女王になってみせるわ。このロザリア・デ・カタルヘナが女王とならずに、どなたがなられるのかしら?」
「ええ、ええ。そうですよ、お嬢さま。ばあやは楽しみにしております」
 ロザリアは応えるように笑いかけて、改めて前を見据えた。
「では、参りましょう」
 さすがに第一歩目は緊張する。もしもこの門にかけられているであろう力が働いて、二人を拒絶したらどうしたらいいのだろう。
(いいえ、わたくしはロザリア・デ・カタルヘナ。次期女王候補に選ばれた者なのよ)
 小さく頷いて、不安を吹き飛ばす。そしてロザリアは右手を扉にかけた。
 何らかの反応が返ってくるかと思ったがそれもなく、力強く扉を押すと呆気なくそれは開いた。
 目の前に広がるのは、始めて目にする異空間。
 一面に花が咲き、早起きの鳥が歌い、まだ弱い陽の光が降り注ぐその世界は、今までいたところと何ら変わるところはない。
 しかし、どこか優しく感じる。
 目に見える訳でもなく、肌で感じるわけでもないのだが、ロザリアはそう思ったのだ。
 あえて言うなれば心である。この景色は、心に安堵を呼び起こすのだった。
「本当に凄いわね……」
「ええ。とても美しいところですね、お嬢さま」
 ばあやはロザリアのような感覚は持ち得なかった。目にした感想を素直に述べているだけに過ぎない。
 ロザリアの感覚こそが女王になる為に必要だったものであるということは、この時はまだ本人すらも知り得ないのであった。
 不安は既に消えていた。ロザリアは再び荷物を手に持ち直して、ばあやを促す。
「さあ行くわよ。ばあや、地図はすぐに出せて?」
「ええ、勿論ですよ。……そうですね、あの角を曲がってそのまま道に沿って行けば宜しいかと……」
 地図を確認して、ばあやは前方を指差した。
「道筋は任せるわ。地図ばかりに気を取られないで、足元にも注意するのよ」
「はいはい。ばあやは大丈夫ですよ」
 幼いロザリアに口が酸っぱくなるほど言っていた台詞である。ばあやはそれを思い出して、くすくすと笑いながら先を急いだ。


to be continued.....

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優しくてみんなに愛されるロザりんは、個人的な希望。


update 22,Mar,2002

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