|
imbalance 【3】 |
|
| |
「ロザリアお嬢さま。本当に大丈夫ですか?」
「このくらい何でもないわ……」
そうは言うものの、ロザリアとばあやの間には距離が生じてしまうのである。やはり重過ぎたのではないだろうか。そんな気持ちをこめて見遣ると、ロザリアは首を振って否定するのだ。
「いいからばあやは地図だけを見て頂戴。わたくしは大丈夫だから……」
「でもお嬢さま……。あ、そこを曲がれば後は一本道でございます。ばあやは先に行って、このティーカップだけ置いて参ります」
「えっ?」
「そうしたらすぐ戻りますので……では、お先に失礼致しますね」
「ちょ、ちょっとばあや! そんなに無理しなくて宜しいのよ?」
「お嬢さまこそ、そこでお待ちになられて下さいな」
ばあやは歳の割に機敏な動きで、あっという間にロザリアの前から姿を消して行くのだった。
「……もう。ばあやが怪我でもしたら、元も子もないっていうのに……」
急にどっと疲れてしまい、ロザリアは荷物から手を放した。他人が――それがたとえばあやであっても――傍にいる時は気持ちを張り詰めていた為に、気づかなかったのだ。
ロザリアの口から思わず、はぁーっと盛大な溜息が洩れる。
「朝から盛大な溜息とは……何が君をそんなに悲しませているのかな?」
「っ!?」
背後から降ってきた低い声に、ロザリアは身体を強張らせながら向きを変えた。
振り返ってみて、また驚いた。
今の今まで気がつかなかった筈なのに、声の主はロザリアのすぐ手前まで近づいていたのだ。ここが女王に守られた空間で、ましてや早朝であるということに安堵していたという所為もあったのだが、ロザリアは一向に人の気配を感じなかったのだ。
見上げるほどの長躯。
高いところから自分を見下ろしている青い瞳に、ロザリアは動けなくなるような衝撃を感じた。睨まれている訳でもないのに、溶けない氷のような冷たさを秘めているようで、空恐ろしかったのだ。
表面上は笑顔を振りまいているのだが、どこか嘘臭い表情であるように見えてならない。
(何だか、悲しいですわね)
まやかしのような微笑みを見て、何故かロザリアはそう思わずにいられなかった。心に小さな氷の棘が刺さる。
そして、それが表情に出てしまったのかもしれない。
燃え盛るような赤い髪を軽く振って、男は困ったような顔をするのだった。
「憂い顔も決して悪くはないが、折角そんなに麗しい面立ちをしているのだから、どうせだったら笑顔を見せて欲しいものだな」
見せてくれと言われて見せられるものでもなく、それ以前にそんな提案を受けたことのないロザリアは、思わず化け物でも見るような顔付きになってしまう。
余計に訝しげな表情になったロザリアに、男は苦笑する。そして不躾とも言えるほどロザリアを凝視した後に、再び口を開くのだった。
「そういえば見かけぬ美人だな……。ということは、始めまして、か」
「はぁ?」
ロザリアらしからぬ、少々抜けた声が漏れる。確かに始めましてであるのだが、男の言っている事は脈絡がないことこの上ない。
「俺は一度でも見た女性のことは、決して忘れないのさ。お嬢ちゃん、さては女王候補の一人だろう?」
「ええ、そうですわ」
ようやく意味の分かることを問われ、ロザリアはいつも通りの口調に戻って頷くのだった。ちくりと胸を刺していた小さな氷の欠片も、いつのまにか溶け切っていた。
「それでこの大荷物って訳か」
相手も現状を把握したらしく、小さく何度か頷いている。ぽかんと眺めているロザリアと目が合うと、男は満面の笑顔で返し、どっしりと置いてあったスーツーケースを持ち上げた。
「な、何をなさるんですの!?」
「寮まで運ぶのだろう? お嬢ちゃんの細腕に、こんな重いものは酷だ」
言葉とは裏腹に、何とも軽がると持ち上げているではないか。
「わたくし自分で持てますわ」
「力仕事は太古の昔から男の役目と決まっているのだよ」
言うなり、すたすたと歩き出してしまう。今しがたばあやの消えていった角を男も曲がろうとしている、ということは、本当に寮まで運んでくれるつもりなのだろう。
(きっと、こういうお仕事の方なのですね)
それならお役目を奪っては申し訳ないわと、妙な納得をしたロザリアは、それ以上は抵抗せずに荷物をこの男に任せて、彼の後を追っていくのだった。
◆◇◆
噛み合わないながらも、それとなく弾んだ会話を交わしながら、二人は寮までの道を歩いていた。
「朝も早くから大変ですことね」
「いいや。朝から役得にありつけて、恭悦至極さ」
珍妙な台詞を交えながらも、男は目印になりそうなものをいちいち教えてくれたので、ロザリアは多いに助かった。当分は付き合う土地である。地理を覚えるのは、早い方がいいに決まっている。
寮がさほど遠くないこともあって、早過ぎると思うくらい短時間のうちに、ロザリアたちは目的地に到達してしまった。
「お嬢さま! もういらしたのですか!?」
ドアを開けるなり、ばあやが慌てて飛び出してきた。
「ええ、この方が手伝って下さったの」
「荷物はここで構わないのか?」
「ええ、結構ですとも。どうもお世話になりました」
「ばあや、それでね。荷物を運んで頂いたので……」
「ええ? あ、ああ、わかりました……」
そそくさとばあやは部屋の中へ消えていった。そしてすぐさま玄関まで戻ってくる。
行く時には持ち得なかった小振りの封筒を、ロザリアの手に納めた。
「はい、お嬢さま」
「ありがとう」
そして、それがそのまま男に手渡されていく。
「何だい、これは?」
ロザリアの手を握ったまま――否、封筒を受け取ったまま、男は心底不思議そうに聞いてくるのだった。
「大変お世話になりました。これは少ないですが、どうぞお納め下さいませ」
所謂チップである。
ロザリアとてそのくらいは知っていた。
主星の一流ホテルに泊まった時、荷物を運んでくれたり、ドアを開けてくれたり、とにかく何かをしてもらう度に小額の紙幣を渡していた。それが彼らの収入源になると聞いたことがある。だから当然の感覚で、ロザリアは金を渡そうとしたのだった。
しかし何故か目の前の男は、大笑いするではないか。
もしやここではお金でなく、別のものがチップの代わりであるのだろうか。何を間違えたのか判らないロザリアは、首を傾げるより他無かったのだ。
「いや、そんなものが欲しくてやったんじゃないぜ」
可笑しくて堪らないといった様子で、男は込み上げる笑いを隠そうとはしない。
「それでは、何が欲しいのですか?」
神妙な顔でロザリアが尋ねると、男は背後に控えているばあやをちらりと盗み見てから、少し考えるような素振りを見せた。
「そうだな……お嬢ちゃんの感謝の言葉と笑顔で、もうお釣りがくるな」
今の今まで握っていたロザリアの手に恭しく口付けを落し、それをやんわりと押し戻す。彼女の手の中には、小さな封筒が入ったままであった。
「はぁ……。よく判らないですが、お金は受け取れないと仰るのですね?」
「そういうことだな」
「判りました。それでは、本当にありがとうございました」
礼がほしいと言われたので、取り敢えずもう一度改めてロザリアは言った。
「ああ、どう致しまして。お嬢ちゃんはこれから荷物整理だろう? 邪魔になるだろうから、俺はこの辺で失礼するよ」
「ええ、そうですわね。お忙しいところをお引止めしても、申し訳ありませんし……」
「お嬢ちゃんになら、幾らでも引き止められたいけどな。まあ、楽しみは後に取っておくとするか」
じゃあな、と手を上げて、男は踵を返す。その背に軽くお辞儀をして、ロザリアは得体の知れない青年を見送った。
「ごきげんよう」
「またな」
大きな背中も一瞬で小さくなってしまう。
鮮やかな赤い色彩が視界から消失する前に、後ろに立ち尽くしていたばあやがロザリアに声をかけた。
「親切な殿方でしたね」
「そうね。それに面白いことばかり仰る方だったわ」
すでにばあやは腕まくりをして、大掃除の方に気持ちが直行している様子である。ちらりと外に目をやると、赤毛の青年の姿は、もう確認することができなくなっていた。
ゆっくりとドアを閉めながら、小さな笑いが零れる。
(あんな風に無料奉仕ばかりなさっては、生活できませんことよ)
飛空都市で生活に困ることなんてあるはずがないのだが、当時のロザリアはまだこの地の感覚に慣れずに、至極真面目に的外れな心配をしているのであった。
|
|
|
to be continued..... |
|
|
|
|