Angelique
**parody**

imbalance 【6】
 

 どんなに寝つけない夜であっても、平等に朝はやってくる。
 白みかけた空を見上げて、ロザリアは嘆息した。健康管理も仕事のうちである。慣れない環境だからといって睡眠不足に陥れば、そのつけは必ずどこかで返ってくるのだ。女王たるもの自分の健康くらい管理できずに、世界が管理できようか。試験初日の朝から己に課した課題を達成できなかったことが、ロザリアに自己嫌悪という溜息を生じさせたのであった。
 眠っていなくても時間になると身体は活動を始めてしまう。習慣とは恐ろしいと思いながらも、ロザリアはばあやの作った朝食を摂り、身支度を整えていくのだった。



◆◇◆




 全ての仕度が整い、時計を見上げると午前七時半を廻るか否かのところだった。妥当な時間であったので、ロザリアは取り敢えず満足する。
 彼女の家からスモルティ女学園までは、車で五分の場所にあった。スモルティの始業時間は午後八時四十五分で、三十分から始まるホームルームまでに登校することが義務付けられていた。
 ロザリアは毎日家を七時半に出発していた。その日の渋滞具合にもよるが、大抵のことがない限り八時前には学校に着く。それからホームルームまでの時間、誰もいない教室で勉強するのが常であった。
 十年近く生活習慣を変えていないロザリアにとって、早起きは何てことのない日常に過ぎなかった。しかし、それが今日ばかりは裏目に出てしまったのだ。飛空都市の施設は午前九時に開かれることになっている。それまではカフェくらいしかやっていないのだ。
 こんなことなら昨日のうちに本の一冊でも借りておくのだったと、悔やんでも悔やみ切れない。慣れない飛空都市は、移動に思わぬ時間がかかり、予定通りの行動が出来なかったのである。
 しかし今更悔やんだところで、どうにかなるものでもない。ロザリアは主星の自宅から持ってきたファイルや真新しいノートを両腕で抱え込むと、キッチンに立っている人影に向かって声をかけた。
「ばあや。わたくしはでかけるから、お留守番をよろしくね」
「もうお出掛けになるのですか?」
 慌てたようにばあやが顔を出した。どこも開いていないということを、彼女も知っているのである。
「ええ、開館次第すぐに調べたいものがあって……帰りは遅くなると思うけど、心配しないでね」
「特別な場所ではありますが、お気を付け下さいませ」
 天地を統べる女王直々の庇護があるとはいえ、それでもばあやの心配は尽きないのである。過保護とも思える発言に、思わずロザリアから小さな笑いが零れる。しかし、自分を慮ってのことだとは承知しているので、素直にその言葉に頷いた。
「わかっているわ。それでは、行って参ります」
 軽やかにロザリアは寮を飛び出した。僅かに冷たく感じる風を、その頬に受ける。
 朝の澄んだ空気は、この半人工的に作られたこの地のものでも気持ちがよかった。新緑が芽吹き始め、その身をいっぱいに広げ柔らかな光を浴びている。空のどこか高いところでは、鳥が鳴いている。まだ途上ではあるが、煌びやかな世界がそこにある。
(これが飛空都市……次期女王が学ぶ土地なのね)
 ロザリアの気持ちは日増しに高まっていくようだった。未知の体験が自分を待っているのだと思うと、好奇心旺盛な少女は興奮せずにはいられない。
「さあ、頑張りましょう。『目指せ完璧!』ですわ」
 目標を口に出して、己に活を入れる。ロザリアには言葉で自分を追い込んで、それを力にする癖があるのだ。
 気合も入り、足取りも軽やかになる。目指すは王立研究院なのだが、今行ったところで閉まっているのが落ちであろう。
 時間は有効に使った方がいいに決まっている。ロザリアは直接王立研究院には向かわずに、回り道をするべく行き先を変えるのであった。
 方向感覚には自信がある彼女であったが、何しろ昨日今日来たばかりの土地である。確認も兼ねて、施設を一周してみるつもりであったのだ。
 庭園を横切ろうとした際に、寝不足の目には眩しすぎるほどの鮮やかな色彩がそこにあり、ロザリアは幾度か瞳を瞬いた。
「よう、お嬢ちゃん。飛空都市には慣れたか?」
 妙な縁があるのだろうか、と疑ってしまうのも無理はないほど、この赤い髪の男にやたらと遭遇しているように思われる。昨日のような愚行を犯さないよう最善の注意を払って、ロザリアはその彼――オスカーに対して笑顔を返すのだった。
「これは炎の守護聖さま。おはようございます」
 生じた疑いはおくびにも出さず、ロザリアは模範的な受け答えでそつなくこなした――――つもりであったのだが、返って来たのは妙に残念そうな声音であった。
「おいおい。俺とお嬢ちゃんの仲で、その呼称はどうかと思うぜ」
「…………」
 いつのまに、どんな仲が出来上がっていたと言うのだろうか。まさに本人の知らぬところである。これにはさすがのロザリアも、引きつった笑顔しか返すことは出来なかったのだ。
「そうか。個人的な挨拶は、まだだったよな」
 黙り込んでしまったロザリアを見て、オスカーはそんなことを呟いている。しかし、このままぼんやりしていたら昨日の二の舞であると我に返ったロザリアは、彼が口を開くより先に軽く右手を上げてそれを制止させた。
「大丈夫ですわ。皆様のことは存じ上げております」
「ほう、さすがだな」
 当然と思う傍らで、褒められて少し嬉しくなった。丁寧に腰を折ってお辞儀をする。おのずと身に付いた、上流社会における挨拶の仕草だった。
「わたくしはロザリア・デ・カタルヘナと申します。女王候補生と致しましては解らないことだらけで、何かと守護聖さま方のご厄介になると思いますが、宜しくお願い致しますわ」
 ロザリア脳の回路は、記憶してきたデータを容易に拾い上げる。その性能なコンピューターが、現在は炎の守護聖について表示していた。
(炎は強さのサクリアを生むもの。……それにしても、守護聖さまって随分と早くからご出仕なさっていらっしゃるのね)
 初めてあった日もそうだった。確かに起き出すには早すぎた時間であったのだが、オスカー以外とは誰ともすれ違わなかったのである。よもや守護聖自らそんな時分から活動しているとは思わず、それゆえロザリアはオスカーを守護聖でない者だと見誤ったのである。
「オスカーさまは大変早起きでいらっしゃいますのね。わたくし感心致しますわ」
 心からの賛辞であったのだが、何故かオスカーは少し困ったような顔で苦笑いするのだった。
「早起きとは少し違うんだが……」
「……何ですの?」
「いや、こっちの話さ」
 うやむやにされてしまったのは判っていたが、別段気にもならなかったので、特に追及しようとはしなかった。それをいいことに、オスカーはさらりと話題を転換する。
「それはそうと、飛空都市見学は済んだのか? よかったら案内するぜ、お嬢ちゃん」
「ご親切にありがとうございます。でも、『お嬢ちゃん』は止めて下さらないかしら? わたくし、ちゃんと名前を申しましたのに」
 至極丁寧にロザリアは提案をした。オスカーは大変親切であるが、この『お嬢ちゃん』という呼ばれ方はあまり好ましく思えないのだ。
 遠回しであれ気に障ると言っているのだから、すぐにでも止めてくれるだろう。この炎の守護聖の人柄についてまだ深くは知らないが、今までの経験上、いい人である、という印象を抱いていたのだ。
 しかし、ロザリアの考えは根底から覆させることになる。
「悪いが俺は、守備範囲外のお子様はお嬢ちゃんと呼ぶことにしているんだ」
 『悪いが』と前置きしておきながら、その実少しも悪いと思っていない口振りである。唇の端っこで不敵な笑みさえ浮かべているではないか。
(このわたくしを掴まえて、お子様ですって……)
 十六年間、大人っぽいと言われたことはあっても、子供っぽいなどと言われたことは皆無である。ロザリア自身もそれは自覚していて、化粧でもすれば軽く二つや三つは年上に見られたのだ。
 ゆえに、これはロザリアにとって人生で初めて受けた侮辱であった。
「それで道案内は要らないのか? レディとお子様には優しくするぜ、――――お嬢ちゃん」
 完全にわざとである。必要以上に強調して付け加えられた語句を言い放つのは、言外に『お嬢ちゃんは後者である』と匂わせている為なのだろう。
 君はまだレディではないからお嬢ちゃん。
 にやついた顔にはっきりとそう書いてある。またそれを少しも隠そうとはしないところがますます気に入らない。
 ロザリアの自負心は、彼の言動を黙殺できなかった。しかし取り乱すのも、怒鳴りつけて怒るのも、ロザリアの矜持が許さない。
 出会った時と同様――――否、それ以上の馬鹿丁寧なお辞儀をして、ロザリアはこの不愉快な男との会話を早々に切り上げることにした。
「いいえ、結構です。わたくし用が有りますので失礼致しますわ、炎の守護聖さま」
 名前で呼んでもらえないのなら、同じ行為に出るまでである。
 同じように語尾に力を入れた発言はロザリアなりの宣戦布告であったのだが、オスカーは意に介した様子もない。しかし肩を竦めて見せるというところから、ロザリアの意図は汲み取っているのだろうと思われた。
「それは残念だな。では今度時間がある時にでも、ゆっくりデートしような」
 何ともそぐわない単語が出てきて、ロザリアは危うく眩暈を起こしかけた。この男性は自分の立場や目的を綺麗さっぱり忘れているのではないかと疑いたくなるほどである。
 自分は試験を受けている最中の女王候補生なのである。物見遊山でのこのこ飛空都市まで来た訳ではないのだ。
「冗談じゃありません! 不謹慎ですわ」
 我慢も限界を超えて、音声最大力で怒鳴りつけてしまった。
 ロザリアの剣幕に一瞬目を見張るオスカーであったが、僅かもしない間に声を上げて笑い出すではないか。
「見かけに寄らず、怖いお嬢ちゃんだな」
 オスカーは悪びれる様子もなく、こともあろうか更に言われ慣れていない単語を口にするのだった。しかし、そう言いながらも笑っているので、何とも説得力がない。からかわれているようにしか見えないその姿は、ロザリアの怒りを煽るだけであった。
「お話になりませんわ。失礼致します」
 乱暴にお辞儀を一つして、ロザリアはオスカーに背を向ける。少女の足取りからも憤りの色が見えて、オスカーはますますこみ上げてくる笑いを昇華するのに悪戦苦闘するのだった。


to be continued.....

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ロザりん本領発揮?


update 26,Mar,2002

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